〔松岡玄達録〕 江戸〔貞享頃 玄達自筆〕写本 書高24.4×幅17.5p
本書名は内題より採ったが、外題には「医学正伝或問紀聞」と記される。著者・筆写者の記述や印記はなく、同名書も他に現存しない。ただし外題の「紀聞」からすると受講録らしく、文中には江戸前期の講義に多いゾ体も見える。一方、写字台文庫には本書と同じ書体で、貞享年間(一六八四〜八七)に松岡玄達(一六六八〜一七四六)がまとめた自筆の受講録九点が所蔵される。それらとの比定より、本書も玄達自筆の受講録と認められた。
玄達が貞享二年十二月にまとめた『薬性記』(写字台本、690.9-319-1)の扉書には「薬性記備忘記」とあり、翌年三月には『難経本義記聞』(写字台本、690.9-83-1)をまとめている。ともに浅井周伯(一六四三〜一七〇五)の講義録だが、玄達は以後の受講録に一貫して『・・・講義』の外題を与えている。また本書の講義でテキストとされた『医学正伝或問』は、当時の医学初心者向け入門書だった。以上からすると、本書は貞享二年〜三年の間に周伯の講義を筆録した可能性があるが、とりあえずは貞享頃の写本とし、講義者の特定は避けておく。
『医学正伝或問』一巻は、実は『医学正伝』全八巻より巻一の総論部分「医学或問」五十二条のみ、日本で抜粋単行した書である。同類例は他にも数多く、日本特有の縮み指向とでもいえよう。『医学正伝』は明の虞摶(一四三八〜?)が一五一五年に著した医学全書で、巻一の当「或問」に続く中風門から、巻八の小児痘門まである。室町時代には渡来しており、曲直瀬道三の『啓迪集』(一五七四)に四六二回も引用されている。本書および「或門」部は江戸前中期にかけて集中的に和刻がくり返された。玄達がこれで講義を受けたのには、そうした時代性も関与しているだろう。