←戻る 真柳誠『龍谷大学大宮図書館和漢古典籍貴重書解題(自然科学之部)』9-10頁、京都・龍谷大学発行、1997年7月30日

推求師意 二巻一冊(690.9-583-1)写字台本

明・汪機(省之、石山)編 明嘉靖十三年序刊 毎半葉匡郭約19.5×13.0p

 当本には嘉靖十三年(一五三四)の王諷の序と、同年の汪機自序がある。その自序で、汪機はかつて歙県の名家宅にて朱丹渓(一二八二〜一三五八)の門人が師意を布衍したと思われる書を発見し、これを写し持っていたが、門人の陳桷の意見により補訂・刊行して天下にひろめることにしたという。一方、王諷の序では、本書は朱丹渓の高弟で明・太祖の侍医も任じた戴元礼(一三二四〜一四〇五)の原撰であり、それを汪機がさらに布衍したと記す。そのため『四庫全書総目提要』以来、本書は戴元礼の撰とされてきた。

 たしかに汪機はそう考えたかったのであろうが、『四庫提要』も疑うように元礼の伝や墓碑文に本書の名はなく、さらに元礼の著述は少ないと記す。そもそも元礼の遺著が民間に一本だけ流伝するのは不自然であり、汪機の自序には元礼の名を一度も挙げない。したがって本書は汪機の編とすべきだろう。

 当本は字様からみて、汪機が弟子の陳桷に校正・刊行させた一五三四年の初版と認められる。ただし当版は汪機の他の編著書七種と一括され、明の崇禎六年(一六三三)に『汪石山医書八種』の名で合印された。これに合印された嘉靖版の『針灸問対』と『運気易覧』も写字台本にあり、みな当本と同じ中国の原装である。すると当本は一六三三年の後印本であろう。

 汪機(一四六三〜一五三九)は安徽省祁門の人で、字は省之、石山と号した。編著書は多く、朱丹渓の学説を継承するが、独自の見解も多い。本書名は汪機の命名で、師と仰ぐ丹渓ならばこう論じたであろう、と師意を推し求めた医論書である。一六九九年の前後に写字台文庫に収められた可能性があるが、江戸期の和刻本はない。

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