←戻る 真柳誠『龍谷大学大宮図書館和漢古典籍貴重書解題(自然科学之部)』61-62頁、京都・龍谷大学発行、1997年7月30日

溯洄集講義 一巻一冊(690.9-340-1)写字台本

松岡玄達録 貞享三年(玄達自筆)写本 書高23.7×幅16.7㎝

 本書名は外題より採った。書頭首行の下方に「松達子直述」、書末の奥書に「貞享三歳次丙寅(一六八六)夏六月十八日/揮毫於東洛蔵月堂/松岡大淵子記」とある。松達子直も松岡大淵も松岡玄達のことで、全書の運筆も彼の若年時のものである。よって貞享三年の玄達自筆写本と認めた。

 本書名に「講義」とあるように、文中には当時の講義録に多いゾ体が見えるが、誰の講義か記述はない。当時、玄達(一六六八~一七四六)は十九歳で、彼が講義に準備したノートとも思えない。一方、この前年より玄達は浅井周伯の講義を筆録しており、貞享二年十二月五日に『薬性記』(写字台本、690.9-319-1)、同三年三月十三日に『難経本義記聞』(写字台本、690.9-83-1)、同年四月二十七日に『運気論講義』をそれぞれ書き上げている。すると本書に筆録された講義者は浅井周伯だった可能性が高い。もし周伯(一六四三~一七〇五)だったなら、このとき四十四歳である。

 玄達と周伯の略伝は前述の『薬性記』の解題に記した。本書は伝写本も含め他に所蔵記録がなく、また周伯の『溯洄集』に関する書も伝存しないので、史料価値が高い。なお周伯とともに味岡三伯門下の四傑の一人とされた岡本一抱も、『医経溯洄集和語鈔』を著している。

 講義のテキストとされた『溯洄集』の全称は『医経溯洄集』で、元末明初の王履(安道、一三三二~八三~?)が著したが成立年は不詳。一三九九~一四二四年の間に編纂された叢書『東垣十書』に収められ、後これが中国・日本ともに復刻され続けて広く流布した。主に『傷寒論』の内容についての議論をまとめた医論書で、江戸期の古方派勃興にもやや関与している。

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