明・汪機(省之、石山)編 明嘉靖十一年序刊 毎半葉匡郭約19.3×13.3p
当本には嘉靖九年(一五三〇)の汪機自序「針灸問答序」と、同十一年(一五三二)の程子礪の「刻針灸問答叙」があるので、一五三〇年の成立、一五三二年の序刊本である。後者の序文より当本は初版本と分かるが、両序文がともに書名を「針灸問答」と記すのに、各巻頭・巻末には「針灸問対」の書名を記す。
のち当版は汪機の他の編著書七種と一括され、明末の崇禎六年(一六三三)に『汪石山医書八種』の名で合印された。これに合印された嘉靖十二年(一五三三) 跋刊の『運気易覧』と同十三年(一五三四)序刊の『推求師意』も写字台本にあり、みな当本と同じ中国の原装である。すると当本は崇禎六年の後印本らしい。 なお本書と確定できる江戸期の輸入記録は見当らないが、元禄十二年(一六九九)刊の一色時棟の蔵書目録『二酉洞』に「汪石山全集」が記されるので、当本な ども一六九九年の前後頃に写字台文庫へ架蔵された可能性がある。
汪機(一四六三〜一五三九)は安徽省祁門県の人で、字は省之、石山と号し た。金元四大家の一人、朱丹渓(一二八二〜一三五八)の学説を継承するが、その医説には独自の見解も多い。父の汪渭も当地の名医だった。編著書には『汪石 山医書八種』所収の八書の他、『本草会編』『傷寒選録』『素問補註』がある。
本書三巻は書名の「問対」ないし「問答」が示すように、針灸に関する論を古典や諸針灸書から集め、それを問答形式にして自己の見解を加えたと汪機の自序にいう。すなわち針灸の医論書である。なお本書の刊行にあたり 校正を行った陳桷は他の汪機の書にもその名がみえ、彼の第一の門人だったらしい。