明・薛己(立斎)著 明〔嘉靖三十三年序〕刊 家居医録の一 毎半葉匡郭約19.2×14.5p
当本に序跋や刊記等はないが、別版本には沈啓原が友人の薛己から依頼されて本書を刊行する旨を記した嘉靖三十三年(一五五四)の序があり、それが本書の初版と分かる。一方、当本の巻中・下の版心上部には「家居医録」と刻されている。『家居医録』は薛己関係の書八種を徐々に刊行した叢書らしく、完本の伝存は不明だが、嘉靖二十七年(一五四八)の序刊や明刊の残欠本が中国大陸に三組、日本では内閣文庫に二組ある。当本は版式・文字等からしても嘉靖版に相違なく、したがって同三十三年に序刊された初版で、『家居医録』に追加されたものと認められる。
本書はのち、明代後期編の薛己の個人叢書『薛氏医案』に収められ、広く流布した。しかし『家居医録』本の本書は、他に内閣文庫と上海中医薬大学図書館に各一点現存するにすぎない。内閣文庫本は幕府紅葉山文庫の旧蔵書で、承応二年(一六五三)に架蔵された記録が『御文庫目録』にあるので、写字台本もその前後に収められた可能性がある。なお本書の和刻版には、承応三年(一六五四)刊の『薛氏医案』十六種本がある。
著者の薛己(一四八七〜一五五九)は江蘇省呉県の出身で、立斎と号した。代々の医家で、父の薛鎧は太医院にあって名医として知られた。薛己も弘治年間に太医院に入り、正徳年間に御医となり、また南京院判を任じ、嘉靖年間には院使の官に進んだ。本書ほかの自著は数多く、また過去の名著に校注を加えた書も多数あり、明代を代表する名医かつブックメーカーの一人である。
本書名の「癘瘍」とは中国南方に多いとされる病で、ハンセン氏病によく似た症状を呈する。上巻には本症・変症・兼症・類症の治法と治験、中巻はすべて治験、下巻には各症の薬方が記される。