←戻る 真柳誠『龍谷大学大宮図書館和漢古典籍貴重書解題(自然科学之部)』3-4頁、京都・龍谷大学発行、1997年7月30日

〔太平聖恵方〕黄帝明堂灸経 一巻一冊(695.3-14-1)写字台本

宋・太平聖恵方第百巻部分 室町写本 書高24.5×幅19.7p

 当本は宋の王懐隠らが太宗の勅を奉じて編纂し、淳化三年(九九二)に刊行された国定医方書『太平聖恵方』全百巻の伝本より、第百巻部分の「小児明堂」を後付した『黄帝明堂灸経』一巻を抜粋したものである。その装訂・文字・料紙等より室町期の筆写と認められた。

 当本第一葉オモテとウラ第二行第三字までが王懐隠らの「明堂序」で、「小児明堂」も編録して巻末に付すと記す。この巻百に収められた『黄帝明堂灸経』の撰者は不詳だが、唐以前の撰は疑いない。

 『太平聖恵方』は九九二年の初版後、宋・紹聖三年(一〇九六)にも小字本が刊行されたらしいが、ともに伝存しない。現存版では紹興十七年(一一四七)の福建路転運司刊本が名古屋の蓬左文庫に、また紹興頃の浙刊本が宮内庁書陵部と東京国立博物館に分蔵される。いずれも鎌倉幕府の金沢文庫旧蔵書なので、本書の渡来は鎌倉期と考えてよく、当本はそれらの室町伝写本の一つである。なお『太平聖恵方』の完本は中国で早くに失われ、明治になって日本から写本が逆伝した。

 一方、中国では北宋代に『黄帝明堂灸経』一巻が単行され、江戸幕府医学館に所蔵されていたが、現所在は不明。その記録によると首行の書名上に五文字分の空格があり、そこには本来「太平聖恵方」の文字があったのを削除して単行されたことが分かる。また元の竇桂芳はこの一巻から正背側人図と小児灸方を分巻して計三巻とし、別の針灸書三書とまとめて『針灸四書』に入れ、元の至大四年(一三一一)に燕山活済堂から刊行した。この全体は明の成化年間(一四六五〜八七)にも復刻され、日本では元版から『黄帝明堂灸経』三巻のみが江戸前期に計九回単行されて普及した。しかし当本は前述のごとく、そのいずれの系統とも無関係である。

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