←戻る 真柳誠『龍谷大学大宮図書館和漢古典籍貴重書解題(自然科学之部)』 21-22頁、京都・龍谷大学発行、1997年7月30日

〔新刊〕仁斎直指付遺方論 二十六巻

(付 仁斎直指小児付遺方論五巻・傷寒類書活人総括七巻・仁斎直指方論医脈真経二巻)
六冊本(690.9-487-6)・十五冊本(690.9-488-15) 写字台本

宋・楊士瀛(仁斎)編 明・朱崇正(恵斎)付遺 明嘉靖二十九年序刊(黄鍍) 毎半葉匡郭19.0×13.5㎝

 本書は計四書からなる個人叢書で、全体では医学全書に近い構成だが総称がないため、「仁斎直指方」で全体を代称することが多い。著者の自序は『小児方論』が景定元年(一二六〇)、『医脈真経』が同三年(一二六二)、『直指方論』が同五年(一二六四)に記されている。『活人総括』に序はないが、『直指方論』序の冒頭に、私は最初に『活人総括』と『嬰児指要』を著した、と記す。「嬰児指要」は『小児方論』の元の書名であろうから、すると『活人総括』もそれと近い年代、つまり一二六〇年前後に著されたと考えられる。

 これら四書が刊行された景定時の原刊本はすでに現存せず、現伝の版本は元版一種、朝鮮活字版三種、および当版の明嘉靖版一種である。この嘉靖版は恵斎と号した新安の朱崇正が四書に付遺を加え、嘉靖二十九年(一五五〇)に余鋟が刊行の序を記し、新安の黄鍍という人が刻版した。写字台本には当版が二点あり、うち十五冊本の第一冊には見返しに「書林熊咸初重較」と記されているが、この熊咸初と黄鍍・朱崇正との関連はよく分らない。

 著者の楊士瀛は字を登父といい、仁斎と号した。福建省閩侯県の出身で、代々の医家だったという。本書名の直指とは、指で直接示すようにはっきりとする、といった意味であろうか。

 写字台本と同版は内閣文庫に三点あり、うち一点は幕府紅葉山文庫の旧蔵書で、寛永十五年(一六三八)以前の収蔵と記録される。写字台本も恐らく江戸前期に架蔵されたのであろう。

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