←戻る 真柳誠『龍谷大学大宮図書館和漢古典籍貴重書解題(自然科学之部)』 47-48頁、京都・龍谷大学発行、1997年7月30日

〔初学捷径〕医林要方 十二巻

(付 初学捷径医林要方脈訣一巻・初学捷径医林要方針灸秘訣一巻) 六冊(690.9-82-6)写字台本

玄孝(廉叔)編 永禄七年自序 江戸〔初期〕写本 書高25.8×19.2p

 本書は『国書総目録』『古典籍総合目録』ともに未収で、国外の所蔵記録もなく、写字台文庫の当本が恐らく唯一の伝本であろう。永禄七年(一五六四)中夏初五に記された桃隠軒・伴雲子の漢文序、同年正月の廉叔叟玄孝の和文序自序を前付し、各巻頭には半井末流南紀山人玄孝編と記す。書写年を示す奥書等はないが、全体の特徴より永禄七年〜江戸初期の写本と考えられる。

 本文もカナ混りの和文で、各巻頭には「初学捷径医林要方第一/中風」から「初学捷径医林要方薬品第十二」までが記される。また書末に「初学捷径医林要方脈訣」「初学捷径医林要方針灸秘訣」の各一巻が付される。

 序者の伴氏および著者の玄孝は、ともに伝を見い出せない。玄孝については半井末流南紀山人というので、あるいは半井姓で南紀州の人だったこと。また自序に廉叔叟と記すので、廉叔とも称し、当時高齢だったらしいことが分かる。半井家は平安時代に遡る宮廷医である。

 自序では、近年編刊の熊宗立『医書大全』は分かりやすい書で、世人はこぞって学んでいるが、初学者のためにそれを中心に抜粋し、和文で本書を編じたという。ここでいう『医書大全』は中国版ではなく、大永八年(一五二八)に堺の阿佐井野宗瑞が中国版を翻刻した日本版のことで、医書の出版としては本邦初だった。伴雲子の序によると、本書の編纂には元・呉恕の『傷寒活人指掌』、宋・陳自明の『婦人良方』、元・危亦林の『世医得効方』も使用されている。

 内容は医学全書に類する方論書であるが、阿左井野版『医書大全』、さらには熊宗立の医書が当時の医界に及ぼした影響の大きさを十分に物語る史料ともいえよう。

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