明・王璽(孤竹)著 明成化十八年春徳堂刊 毎半葉匡郭21.0×14.3p
当本には成化十八年(一四八二)の王璽自序および同年の春徳堂の木記があり、本書の初版本と分かる。黒口本で、字体も成化版の特徴を備えるが、印面からすると後印本である。当初版の完本は、他に北京大学図書館・上海第二医科大学図書館・南京図書館・台北国立中央図書館に各一点が所蔵されるが、日本では恐らく当本が唯一だろう。
のちの版本では、中国に明の正徳版・嘉靖版があり、朝鮮でも銅活字版が出された。それらは室町時代より渡来しており、日本医学中興の祖とされる曲直瀬道三(一五〇七〜九四)は、その著『啓迪集』(一五七四)に本書から二七一回も引用している。江戸期では幕府の紅葉山文庫に寛永十六年(一六三九)に架蔵された記録が『御文庫目録』に見える。いま内閣文庫にある嘉靖八年(一五二九)の劉氏日新堂刊本がそれにあたるだろう。日本では寛文元年(一六六一)に一回、本書の和刻本が出ている。
著者の王璽(?〜一四八八)は永楽府の出身で、字を玉斎といい、孤竹と号した。もと太原の左衛指揮同知を任じ、成化年間初に都指揮僉事、同十三年(一四七七)に都督僉事、同十七年(一四八一)に署都督同知の官を歴任した。翌年の本書自序には、節制甘粛諸軍事平羌将軍総兵官右軍都督府都督同知栄禄大夫という、長い肩書きを記す。また自序には官職で辺地に行くと適宜な医薬書がないのを知り、それで本書を著したという。
内容は病門別に分類され、中風門より始まる典型的な方論書で、巻九が婦人門、そして巻十の老人門・小児門で終わる。