ハンセン病の悪夢再び

「絶対に帰るな」帰省を相談した父の返答が話題…岩手県担当者語る“感染者ゼロ”ゆえのプレッシャー(FNNプライムオンライン 2020年6月30日)
「岩手県に住む父に「そろそろ帰っていいかな」と軽く言ってみたところ…」
というコメントとともに投稿された、LINEのスクショ画面には「絶対に帰るな」「岩手1号はニュースだけではすまない」との文字が見える。

無知と流言がパニック招いた“神戸エイズパニック” やっかいなのは今の時代 産経新聞 2017/3/9
「国際都市に“招かざる客”」「ネオン街に衝撃」。センセーショナルな見出しが新聞紙面に躍ったのは、30年前の昭和62年1月18日。日本で初めて女性のエイズ患者が神戸市で確認された翌日のことだった。エイズは同性間の性交渉で感染するといわれていた当時、同性愛者ではない患者が出たことが分かり、国内に空前のパニックを引き起こした。
「不特定の男性100人以上を相手に7年間売春行為を続けていた」「感染源はギリシャ人船員」「三宮・元町で出会った男性と性交渉を持ったため、心当たりのある人は血液検査を」…。記者発表を皮切りに報道は過熱し、虚実ないまぜの情報が垂れ流された。後に誤報だと判明したのだが、売春婦だからエイズに感染したと言わんばかりの内容は、女性を「患者」から「加害者」に変えた。女性のプライバシーを暴いて接触者を捜すことに躍起になり、女性の実名や顔写真を載せる週刊誌まであったという。

Colin P.A. Jones.  Can Japan's laws adapt to pandemic-era privacy needs? Past experiences with identity and disease put Japan in a better spot to prevent discrimination. The Japan Times  MAY 18, 2020
Many government policies are based on attributes that are often a component of identity, components that aren’t just relevant to the individual, but to the rest of society as they may affect other people or how you interact with various governmental systems (which includes property rights). Common components of your “legal identity” may include your name, gender, age, nationality and place of residence. Think about how often you find yourself writing this sort of information on application forms.

What if your COVID-19 test score gets tied to your name and impacts your ability to work, go to school or travel? Could your relationship to the novel coronavirus ― tested or not, immune or still susceptible, vaccinated or not ― become a component of your identity?

Tests are still unreliable and a vaccine is a thing of the future, yet Chile is already reported to be rolling out an “immunity passport” for those who have recovered from the virus, with Germany currently debating the ethics of a similar move. Some places, including Japan, are also adding contact-tracing apps to their arsenal of countermeasures. Despite numerous unanswered questions about COVID-19 ― including whether those who have it and recover become immune ― politicians and businesses will be increasingly likely to look to what information is available to provide at least some comfort about an individual’s likely immunity and/or lack of infection. In short, even outdated testing information could become a legal or de facto component of our identities.

A more shocking example involves Hansen’s disease, otherwise known as leprosy. Starting in the 1930s, Japanese authorities launched an aggressive campaign to eradicate the disease by rounding up those who suffered from it and locking them away in sanitariums. Doctors were required by law to report cases to the authorities, police were involved in roundups and there was even an Orwellian aspect of community-based informing on those thought to carry the disease. Entire families were caught in the net, in part due to fears the disease might be genetic.

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「リスクゼロ」求める危険性 ハンセン病を想起させるコロナ禍 専修大教授・武田徹さん 毎日新聞 2020年6月17日

 全国で緊急事態宣言は解除されたが、新型コロナウイルスの感染者や医療従事者、その家族に対する“感染バッシング”とも言える差別や偏見はいまだに続く。ハンセン病の歴史をひもといた著書「『隔離』という病い」(中公文庫)がある武田徹・専修大教授は「コロナとハンセン病は、見えない罹患(りかん)におびえるという構図が似ている」と指摘し、ハンセン病隔離政策の教訓を踏まえ「感染者の隔離に対し社会的な『補償』が必要」と訴える。

感染の実態見えず恐怖心があおられる
 ――コロナ感染者への差別や偏見が生まれる背景をどのように見ますか。
 ◆全国の感染者は累計1万7000人超になりました。毎日、感染者の数字が増えるだけで、その実態が見えないため、恐怖心があおられていたように思います。亡くなったタレントの志村けんさんなど著名人の感染状況は明るみに出ますが、一般の人たちの具体的な様子はほとんど伝わってこない。個人情報保護の観点から明らかにできない事情は分かりますが、プライバシーを守りつつ病気のリアリティーを伝える工夫はできるはず。病と闘う患者の姿が見えないまま「絶対に感染したくない」という気持ちだけが強くなった結果、感染の疑いがある人や場所をとにかく遠ざけようとする差別意識が本人も知らないうちに生まれてくるのだと思います。
 感染者自身が自分の状況を発信する場合もありますが、その際に匿名性の強いSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を使うと誤った情報が広がる恐れもあるので、必ずしも最良の策とは言えません。取材で事実関係を確認できるマスメディアが、自分の病状や受けた検査、治療の具体的な内容を伝えてくれる人たちの声を丹念に拾い上げ、専門家の見解ともすり合わせつつ、断片的な情報をつないでいくことが大切です。病気そのもののあり方や検査、治療の実態が可視化されれば、より的確に怖がることができるようになって差別意識が薄まるのではないでしょうか。

コロナ禍の「自粛警察」はハンセン病の「無らい県運動」をほうふつとさせる
 ――ハンセン病とコロナ禍の類似点とは?
 ◆政府はコロナの感染拡大を受けて、人と人との接触機会の8割削減を求めました。「8割」の言葉が独り歩きし、規定に従い営業している店舗や必要があって外出している人たちにまで「ウイルスをばらまくのか」といった抗議や嫌がらせが相次ぎました。こうした行為をする人たちは「自粛警察」と呼ばれ、社会現象にもなりました。政府の自粛要請はもちろん命令ではなかったのですが、数字だけを示したために、個々の事情を考慮せずに自粛させようと強いる行為を誘発する危うさを持っていたのではないでしょうか。
 こうした風潮は、ハンセン病患者の隔離を進めた官民一体の「無らい県運動」をほうふつさせます。それぞれの県で未収容患者がゼロになるように競いあい、患者が見つかれば住民が通報して行政と一体となって隔離を事実上強制しました。
 双方に共通していることは、行動している人たちに悪意がないことです。自分や家族が罹患する恐怖心や、病気をなくすという正義感からよかれと思って自ら買って出ている。今回のコロナ禍でも100年前とよく似た状況が起きているのは、ハンセン病の隔離政策が人権侵害を引き起こしたメカニズムが正しく検証されず、教訓として全く生かされてこなかった結果だと言えます。

感染者の隔離には社会的な「補償」が必要
 ――第2波が懸念されていますが、ハンセン病の教訓を踏まえて、どのような対策が考えられますか。
 ◆1次感染者の隔離でしか2次感染を防げない場合に隔離が必要となることはあると考えます。ただ隔離は、さまざまな行動を制限するので当然、基本的人権を制限しますから、医療行為としての隔離という方法を人権思想と両立させる工夫が必要です。今回、自粛要請に従わない人に罰則を科すべきではないかと言われましたが、それではハンセン病患者を強制収容した歴史を繰り返すことになる。そうではなく、行動制限に対して社会的に「補償」し、隔離中はもちろん、感染予防のために休業した場合にも手当を出すなど、社会防衛のために犠牲になった個々人の生活の質のせめてもの回復にまず努めるべきでしょう。
 こうして医療行為としての隔離と補償をセットにした環境を整えることで、罰則なしでも自粛がスムーズに進んで、緊急事態宣言を出さずに済んでいたかもしれない。補償は経済政策ではなく、感染症対策なのだと理解すべきです。

 ――差別意識はどこから来るのでしょうか。
 ◆リスクゼロを求める心情にも一因があると思います。感染力が低いハンセン病患者に対して、特効薬が使えるようになった後も強制収容を続けたので日本のハンセン病医療は「負の歴史」と言われます。しかし、隔離に関わった医師には彼らなりの考えがあったはずで、いかに感染力が微弱でも、特効薬があっても感染リスクはゼロにはならない。リスクをゼロにするには感染者を終生隔離して非感染者との物理的接触をゼロにしなければならない。医師たちはそうして病気を根絶するという自分たちの使命を追求しようとし、ハンセン病を恐れる社会もそれを望みました。

 コロナ禍も同じで、リスクゼロを求めると感染者や感染の可能性が高い人には社会から退場してもらうしかなくなってしまう。たとえば日本の医療機関は新型コロナウイルスの院内感染対策を講じてきたはずですが、防げなかったケースもあったし、そうでなくても発熱者や体調不良者が集まる場所なので感染リスクが高いと見られがちです。そこで医療機関で働く人の子供を保育園で預かることを他の子供の親が拒むなど、露骨な差別があったという話も聞きます。

 しかし、医療関係者が十分に働けなくなったら社会はもっと危険な状態になり、その危険は差別した自分にも返ってきます。リスクゼロを求めるあまりに一部の人に極端な負担を強いたり、社会全体のリスクレベルを上げてしまったりする結果になるのは明らかにおかしい。そうした矛盾に陥らないために、十分に低いリスクであれば、自分の側で有効な感染対策をすることで避ける。もちろん重症化の恐れがある高齢者や基礎疾患を持つ人、そして、その家族などはより慎重になる必要がありますが、いずれにせよ自助努力をさまざまに組み合わせることで、社会全体のリスクを減らし、特定の人を差別しないで済むように努める。そうした姿勢を主体的に選べるように、学校や社会のいろいろな場面で感染症リスクとの向き合い方について学んだり、考えたりする必要もあるでしょう。

 ――病院側が「差別」を受けた状況や感染防止対策を情報発信することで差別行為が収まったケースもあります。
 ◆本来であれば病院側には治療に専念してほしい。啓発活動を担うべき行政やメディアが役割を果たしてこなかったことを反省すべきです。たとえば医療従事者に優先的にPCR検査を行うような政策も必要だったのではないか。検査には偽陰性の問題がつきまといますが、不安の高まりが差別などの原因になっている現状では検査数を増やして安心してもらうことに一定程度の効果はあったと思います。感染症にかかるのも、怖がるのも人間なのであり、人間の心理や振る舞いについてよく知っている人が感染症対策の司令塔になるべきです。
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新型コロナウイルスの 3つの顔を知ろう!(日本赤十字社)
コロナのデマに飽きた人へ
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