COVID-19流行におけるSurvivor's guilt
飛鳥井望副所長 精神研最終講義 「自殺とトラウマから思い出の再構築研究へ」(2015年4月21日付の今村弥生さんのFacebookから)
被災者、被害者方への「外傷悲嘆」へのかかわり ところで、こういうのを病気と考えるべきなのかと考えつつ、病的な、複雑性悲嘆を統合された悲嘆とする作業である。思い出の回収と再構築の治療である。辛い思い出にいつまでも蓋をしたままでは、いつまでも整理されない、蓋をした思い出から「悲しみは消えない、だけど距離は持てるようになった」 死んだ人は帰ってこない、だけど私は生きていてもいい。

多くの人命が失われる災害や戦争の時、生き残った人にはsurvivors guiltが生じる。医療の現場では同様のことが全世界で毎日起こっている。余命幾何と見当がついている場合でさえ、患者さんを失った際の心的外傷は深い、ましてや自殺や医療事故で失った時、担当医は自分は医師として失格だと思い、キャリアから離れようとする。そんな時、「あなたが医者を辞めても患者さんは帰ってこない」と言ったとしても、「私ができることはこれだけだ」と言って去っていく。

COVID-19の流行では、それが世界中で起こった。病院だけではない。高齢者施設では病院以上のことが起こった。「高齢者が置き去りにされ、見捨てられた」報道はそう伝えただけだった。

これまで医療スタッフのsurvivor's guiltの問題を明示的に取り上げた記事・論文を私は寡聞にして知らない。しかし、もし、COVID-19の「第3波」がやって来ると本当に信じている人間ならば、医療・介護スタッフのsurvivor's guiltの問題を必ず取り上げるだろう。もし誰も取り上げないとしたら、「第3波」とやらがやって来るとしても、どうせまた、「なんちゃって第3波」だろうとみんなが思っていることになる。

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