イレッサ・福島・そしてエボラ~薬のリテラシーとは~ 日経メディカルオンライン 2014/9/17 掲載

エボラウイルス感染症エボラ出血熱、以下EVD)に対する治療の話題が、一般・医療専門を問わずメディアに氾濫していますが、どれもこれも揣摩(しま)憶測・能天気な楽観論ばかりで、臨床開発についての真摯な議論は全く聞こえてきません。

EVDの治験をやる??
 実はEVD治療薬の臨床試験など、かつて一度も行われたことはありません。そう断言できるのは、何も私がEVD治療薬開発の専門家だからではありません。患者の消息さえ正確に把握できないような環境では、臨床試験が不可能なことはだれの目にも明らかです。さらに、仮に臨床試験の環境が整ったとしても、脱水に対する補液等の基本的な診療を行えば、EVD患者の半数が救命できることが分かった以上1)、最善の基礎治療に上乗せした有効性を示すという、悪性腫瘍化学療法並の高いハードルをクリアしなければなりません。

CBRN対抗医薬品の開発
 交通手段のグローバル化に伴い、Chemical、Biological、Radiological&Nuclear(CBRN)agentsは容易に国境を越えるようになりました。アフリカで発生したEVDもCBRN agentsによる健康被害を予防ないし治療する医薬品(以下、CBRN対抗医薬品)開発の必要性を、先進諸国の人々に教えています。CBRN対抗医薬品を開発するためには、 バイオセーフティレベル4 (BSL-4)に代表されるような研究施設に加えて、候補分子を人に対する治療薬として臨床的に使えるようにするための特殊な開発と規制が必要です。ところが、EVDがこれだけ大きな問題になっても、BSL-4に対する市民の認識は、かつてのハンセン病施設に対するそれと同様に止まっています。

 2011年3月、福島第一原発が極めて深刻な事態を迎えていた時に、当時長崎大学にいた私は、ある米国企業から、FDAでも未承認の急性放射線障害治療薬の日本での臨床使用について相談を受けました2)。その結果明らかになった問題点は、放射線障害ばかりでなく、CBRN対抗医薬品開発・規制全般に共通するものでした。

 相談の具体的内容は、海外でも未承認の急性放射線障害治療薬を、原発事故に対処する作業員に投与しなくてはならない事態が出来した場合、どのような手続きをすれば、日本に輸入して使用できるのか?でした。検討の結果、Animal Rule、emergency GCP(Good Clinical Practice)、規制の国際調和(harmonization)の3つの問題点が明らかとなりました2)

Animal Rule下での承認ルールなし
 CBRN対抗医薬品の臨床試験は倫理的に許されないため、あらかじめヒトで有効性を検証することができません。そのため、CBRN agentsによる健康被害の動物モデルを確立し、そのモデルにおいて検証された有効性と健常なヒトにおける安全性試験(第1相試験)のデータをパッケージとして承認申請を行うことになります。このような特殊な開発と承認申請に対しては、特別な規制要件を明文化する必要がありますが、ガイドラインを明らかにしているのは、ICH (日米EU医薬品規制調和国際会議)三極のうちでも米国のみであり、EUでも日本でも未策定です。

 CBRN対抗医薬品を仮にAnimal Ruleの下で承認したとしても、緊急事態下でいきなり臨床使用せざるを得ません。言い換えれば、緊急事態下での使用だけが、唯一の貴重な臨床データを得る機会です。そこでは有効性と安全性の両面にわたって、より良質なデータを効率よく取得すると共に、倫理的に重大な問題が生じないように配慮する必要があります。

 ところが、現行のGCPは、あらかじめ計画された臨床試験を大前提としているため、CBRN対抗医薬品の実地使用には適用できません。そのため現状では、たとえ Animal Ruleの下で承認されたものであろうとも、CBRN対抗医薬品の有効性・安全性を検証するデータは取得できません。実際に、チェルノブイリ事故の際のポーランドでも、福島でも、ヨウ化カリウムはただ乱用されただけで、有効性、安全性のいずれの面でも、モニタリングもデータ取得も一切行われませんでした3)

CBRN対抗医薬品に求められる国際調和
 CBRN agentsによる健康被害は国境に無関係に拡大するがゆえに、CBRN対抗医薬品の開発と規制には国際調和が必須であり、Animal Ruleもemergency GCPも国際調和の対象となります。ところが、現行のICHは、あくまで通常の医薬品を開発・規制するための日米欧三極を中心とした枠組みであり、メンバーも三極の規制当局と製薬企業の団体に限られています。さらに、CBRN対抗医薬品の開発・規制、そして実地使用に直接関わる組織は、軍事・防衛組織を始めとして、通常の医薬品の場合よりもはるかに広い範囲に及ぶため、ICHでは扱えず、新たな国際的な枠組みで議論する必要があります。

メディアスクラムの裏に仕事のヒントが
 臨床試験の何たるかをわきまえもせずに、イレッサの承認前に「副作用がない夢の抗がん剤」とはやし立て、世界に先駆けた5カ月余りでのスピード承認を厚生労働省に実現させたのは、ほかでもない自分たちだという記憶がジャーナリストたちにあれば4)、EVD未承認薬の「効果」に関するおめでたい記事の数々が氾濫することは決して無かったでしょう。彼らの記銘力障害は、職業病というよりも、医薬品リテラシーのかけらもない記事を書いて国民の皆様に売りつけるための最重要ツールとなっているのです。しかし、何とかとハサミは使いようです。イレッサの有効性とEGFR変異の関係を日本の腫瘍内科医たちが明らかにしたように5)、思考停止と忘却を繰り返すジャーナリストたちが全く取り上げないことにこそ、独創的な仕事のヒントが見つかるというものです。

【参考資料】
1)Ebola response roadmap
2)Shimazawa R,Ikeda M.Drug development against chemical,biological,radiological,or nuclear agents. Lancet 2011;378:486.
3)Shimazawa R,Ikeda M.Medical management of the acute radiation syndrome. Ann Intern Med 2011;155:135-6.
4)須山 勉、がん治療薬「イレッサ」副作用禍、毎日新聞東京朝刊(2004年2月26日).
5)イレッサ”の逆襲

コロナのデマに飽きた人へ
アビガンを第二のサリドマイドにしないために
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