第10回 人と動物の共通感染症研究会学術集会 研究会目次

教育・特別講演7-2 狂犬病の現状とその課題について
 
井上 智
国立感染症研究所・獣医科学部
 
  現在、我が国では昭和45 年(1970)の青年1例と平成18 年(2006)に経験した壮年2 例のヒトの輸入狂犬病を除くと昭和32 年(1957)から国内ではヒトも動物も狂犬病の発生報告がない。しかしながら、海外では(1)狂犬病発生国でイヌに咬まれた旅行者が帰国後に狂犬病で死亡、(2)海外旅行に同行したペットが渡航地で狂犬病に感染して帰国後に死亡、(3)発生国から輸入した動物が狂犬病で死亡、(4)検疫されない侵入動物による輸入狂犬病などがしばしば報告されている。
  平成18 年(2006)に発生したヒトの輸入狂犬病(京都と横浜)は昭和45 年(1970)にネパールでイヌに咬まれた青年が帰国後に狂犬病を発症(死亡)してから実に36 年ぶりの症例であったが、いずれもフィリピン滞在中に狂犬病の飼いイヌに咬まれたことが原因で発症している。咬傷後の暴露後予防接種(PEP)が速やかに行われていたならば発症は防ぐことができたと考えられる。我が国においても海外で狂犬病に感染したヒトが帰国後に発症するリスクを知るところとなった。海外に出かける際には渡航地の狂犬病事情をよく知って、飼い主の明らかでないイヌやネコ等のペット、野生動物には特に注意して気軽に接触しないことが大切である。万が一、渡航先で狂犬病の疑われるイヌ等に咬まれた場合には、できるだけ早く最寄りの医療機関で適切な問診とPEP を受けて狂犬病の発症を防ぐようにしたい。
  一方、海外から国内に持ち込まれるもしくは侵入する動物等についてはどうであろうか。狂犬病に感受性のある全ての哺乳類を正しく把握して適正な管理下に置くことは容易でない。我が国の狂犬病侵入リスクは狂犬病予防法に基づく犬等の輸入検疫や輸入動物の届け出制度等によって小さくなってはいるが、清浄国であり続けるためには現行の対策を定期的に見直しながら想定外のリスクにも対応可能な調査や分析を継続して万が一の発生に迅速かつ適切に対応できる取り組みが必要である。また、市民や動物取扱い業等の関係者への狂犬病の正しい情報提供と予防意識の向上および啓発には、市民と接する機会の多い獣医師・医師・看護師等が自治体の担当部局と連携して市民を交えた予防対策を進めていくことが大切である。わが国に必要とされる狂犬病対策とは何か。また、疑い例への対応を含めた狂犬病事例への対応はどのようになされるのか。希少な輸入感染症である狂犬病に対して地道な取り組みを進めている自治体の関係部局および担当者(狂犬病予防員、技術補助員など)の存在意義を再考するとともに、イヌ等ペット動物の医療・医学に関わる専門家集団として獣医師が公衆衛生の感染症対策に果たす役割を熟考したい。
    狂犬病の世界的な分布と自然宿主域の拡がりを考えると、狂犬病はまだ忘れることのできない医学・獣医領域で重要なズーノーシス(人獣共通感染症、動物由来感染症)と言える。将来、国内で狂犬病と言う悲惨な感染症が二度と起きないために。また、風評被害による不必要な社会的混乱を未然に防ぐために。市民への正しい狂犬病の知識と理解の普及が国や自治体の担当部局と医師・獣医師等専門家の連携で継続されていくことが期待される。
 
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