犯罪自体が捏造だった
北陵クリニック事件の特殊性
もう検察は詰んでいる(AIの解答@2025/8/31)

筆者は、これまで20件以上の冤罪事件を取材してきたが、判決文、決定文で「捏造」という文字を見たことがない。造がなのではない。むしろ、冤罪には必ず、嘘の自白と捏造証拠がある。過去の死刑冤罪4事件でも、すべてに捜査機関による証拠の捏造があった。それにも拘らず、裁判官は再審開始決定や再審で、一度も「捏造」という言葉を使っていない。狡く言い換えている。これは検察への気遣いなのか、あるいは怯えなのか。
 (里見繁 〈袴田事件〉日本の裁判史上、初めて使われた「捏造」の文字…弁護人までもが長年、この言葉を忌避し続けた理由 集英社オンライン 2024/12/30

犯罪自体を捏造した検察
●北陵クリニック事件は裁判史上例のない「事件性のない事件」(阿部泰雄弁護士)である点で袴田事件とは大きく異なる。
●無罪ではなく無実。つまり犯罪そのものが存在しない。それが北陵クリニック事件の本質である。
●袴田事件では犯罪事実があり、真犯人がいた。一方、北陵クリニック事件では犯罪のないところに、あたかも犯罪があったかのように検察が犯罪を捏造した
診断・死因も捏造:袴田事件では捏造は物的証拠に留まったが、北陵クリニック事件では、病気による急変を、5人全てが実際には存在しなかった筋弛緩剤点滴の被害者と見せかけるために、診断そのものを捏造(*)した。*1人が病死、4人が病気による急変であることが、既に担当医により診療録に明記されていたにもかかわらず、検察は筋弛緩剤による殺人・殺人未遂「事件」に仕立て上げた。

溢れかえった「凶悪殺人事件」報道が誘導した「犯罪の捏造」
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「医療事故の平成時代の“元年”と言えるのは、1999年。1月の横浜市立大学の“患者取り違え事故”、2月の都立広尾病院での“消毒薬の誤投与事故”、7月の杏林大学の“割りばし事故”――。相次いで起きた3件の事故は、いずれも刑事事件に発展。医療事故が民事責任だけでなく、刑事責任を問われる時代になり、社会的にも大きな関心を集めるようになった。
広尾病院事件では、院長が医師法21条違反に問われたこともあり、その後、警察への医療事故等の届出件数は急増。しかし、福島県立大野病院事件の医師逮 捕、そして2008年8月の無罪判決で、届出件数は減少傾向に。民事裁判も減少に転じている。
m3.com 1999年以降、医療事故が刑事事件化【平成の医療史30年◆医療事故編】2019年5月26日配信
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北陵クリニックで、重症、急変患者が多いとの噂が広がったのが2000年末。守大助氏が逮捕、拘留されたのが翌2001年初頭。全てが医療事故告発合戦の只中だった。以後、「仙台筋弛緩剤事件」という報道の嵐が吹き荒れた。その背景には上記m3の記事にあるような、医療事故刑事事件化の「流行」があった。さらに「殺人事件」「筋弛緩剤を用いた看護師による毒殺」という扇情的な見出しが新聞、テレビに溢れた。報道機関と警察・検察が競って犯罪の捏造に走ったのである。

ジャーナリストは何処へ消えた??
袴田事件再審で、日本の裁判史上、初めて「捏造」という言葉が使われた。袴田事件が再審無罪に至るまで58年。その年月の責任の所在はどの組織あるのか? 検察だけだろうか?もちろん違う。58年間「捏造」を忌み言葉として検察批判を避け、裁判所に「先を越された」自称ジャーナリスト達が、率先して「捏造だ」「でっち上げだ」と、声を上げていれば、袴田事件再審請求はもっと違った展開になっていただろう。それにしても彼らは何を恐れているのだろうか?一介のムショ勤めに過ぎない私が、第一次請求審準備から15年もの間、今日もこうして五体満足、言いたい放題していられるというのに。

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