お告げの研究・解説

お告げの研究をやりたいと思っている人は、実は多いのだが、なかなか本格的な研究が論文にならないのは、協力してくれる人々や倫理委員会に対し て、もっともらしい説明が必要だからかもしれない。

母親が「赤ちゃんが不機嫌・元気がない」と来院したら、我々は非常に緊張する。重度知的障害者が「いつもと様子が違う」といって外来に連れてこられる時も同様だ。

言語性のメッセージが使えない人の全身状態の変化や、行動変容といったシグナルを、本人の利益代理人が捉えて本人を受診させる時、我々はその代理人の病態評価の感度を信頼するから緊張するのである。

それに対して、本人と代理人が一体になった受療行動が、「お告げ」である。

患者の行動表出の発症機序が理解できないからといって、その表出を捨ててしまうのは、もったいないどころか、しばしば危険ですらある。どうして来院したのかなんてどうでもいい。行動表出を使って自分と患者の両方が不幸になるのを防げれば、どうしてそんな行動をしたのかなんてどうでも いい。いや、どうして来院したのかは自明である。

本来なら、こんな時間に、針を刺され、血を抜かれ、おどろおどろしい検査をされて、またまた痛い注射をされて、挙げ句の果ては家に帰っちゃいけないなんて言われるところに行きたいと思うはずがないのに、そこを乗り越えて、医者のところにやってくるというのは、よほどの理由、つまり自分の体から発するシグナルを感じ取ってやってきた。それ以外の理由は考えられないじゃないか。

「通常とは異なる受療行動の評価が診療アウトカムに与える影響の研究」これなら倫理委員会もすんなり通るだろう。「お告げの研究」の方がよほどすっきりして(字数が少ないのは論文のタイトルとして必須要件!)、わかりやすいんだがなあ。

下記は懇意にしていただいている、発熱・頭痛で来院した患者さんを診た、ある開業の先生とのやりとりから(一部改変 2015/12/31追記)
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小学校に今年就職したばかりの教諭。数日前からの風邪症状と前日からの頭痛・発熱で金曜日の午前中に初診。頭痛は後頭部。わずか5cm四方で、しかも左頚部に限局。食欲はあり元気。夜間も寝られた。自転車で受診。
heal drop陰性、jolt test とneck flexionは明らかに陽性。初めての経験ですか?の問いにYes。僕の理解では、この4つの項目はいずれも感度は高いが特異度が低い。だから陰性の場合には役立つが陽性の場合にはそれほど役立たない。でもいつも頭痛発熱の患者さんには、この4つをセットにチェックしている。片側性の限局後頚部痛という前提が髄膜刺激っぽくない。でも3つも+であることは珍しい実感がある。
いったんアセトアミノフェンのみで帰っていただいたものの「もしl薬飲んでも午後までよくならいなら、必ず連絡ください。場合により専門医に見てもらいますから」と伝えていたところ。午後に電話あり、その後紹介したところ外来でのSpinal tap で無菌性髄膜炎として入院。

> 感度が高いけど特異度が低い所見が複数(できるだけ和が多いほうがいい)陽性であるときに「お告げ」と判断する
> →一つ一つは積極的に疑うための所見でなくても、それが複数集まればSnNoutではなくSpPin的に役立つ
これはその通りだと思います。以下のようにおおざっぱに考えても(統計学的には交絡の要素も考えないといけないのでしょうが)
仮に4つの問診・所見の特異度が各30%(=偽陽性70%)としても、4つ全てが偽陽性の確率は0.7の4乗で24%→特異度76%になります。

 「お告げ」を持ってくる臨床の神様(=患者様々受療行動)の贈り物は「大変な災厄に対する非常に高い特異度」です。たとえば、夜中に二次会のカラオケの最中に頭が痛くなって救急外来を受診したという受療行動は、「(頭痛の原因は側頭動脈炎でも緑内障の急性発作でもなく、とにかく)頭の中に大変な事件が起こって頭が痛くなったに違いない」と私たちに判断させます。ベテラン医師でなくても、医学生でも研修医でも呪術師でも占い師でも(*)そういう判断ができます。大変な災厄に対する非常に高い特異度を持った診断指標が極めて高い汎用性を持つ。これが「お告げ」の最大の特長です。

●二次会で酔っ払って疼痛閾値が上がっている
●カラオケ=楽しんでいる最中
●夜中
●二次会でカラオケを楽しむ人は側頭動脈炎や緑内障であるわけがない
こういった数々の受療行動障壁を乗り越えられる病気は、頭の中の血管の超急性病変以外にはありえない=特異度90%以上

> 小学校に今年就職したばかりの教諭。数日前からの風邪症状と前日からの頭痛発熱で金曜日の午前中に初診

20代の前半で一番医療機関に縁の無い年代で既往歴に特に問題も無い。小学校に今年就職したばかりだから仕事も慣れていないし、年末でめちゃくちゃ忙しいから受療モチベーションも本来低いはず。トライアスロン顔負けの、そういう数々の障壁を乗り越えて私の目の前にやってきてくれた臨床の神様の前で集中力が全開になります。そうして「今週初めから調子が悪かったけど我慢して勤務していた。でもよくならない。いつもと違う経過。このまま週末を迎えたら、もしかしたらやばいかも・・・」
そういう想像力が働きます。ただ、結構元気そうだし、食欲もあるから、心配ないかなあとも思う。そこで上記の4つの項目で確認したら、ああ、やっぱりここは譲れないなと思う。そうして、「大変な災厄」=ここでは髄膜炎に対して絶対的な防衛ラインを構築したわけです。そうやって時間を味方につける。前医であると同時に、後医の立場も半ば手に入れることができる。

「お告げ」によって構築した絶対的な防衛ラインの特長は
●患者さんが自分で材料を提供し、患者さんと一緒になって構築する。
●非常に簡便に安上がりで構築できる=費用対効果が無限大であるため、もし空振りでも「万が一に備えた」という「誇り」が得られて、「何も無くてよかったね」と患者さんと一緒に喜びを分かち合うことができる。

「お告げ」という言葉が象徴するのは、「なぜこの人はここまで来たのか?」という根源的な疑問の答えを得るために収集する情報の範囲を、患者さんの受療行動にまで広げる、シャーロック・ホームズ顔負けの医師の「欲望」です。というと、随分特殊な欲望のような感じがしますが、受療行動も患者が発する非言語性メッセージの一種であり、我々は、表情、歩行、姿勢、しゃべり方、「全身状態」といった無数の非言語性メッセージを常に診療に生かすためにモニタリングしているわけです。

村田敦郎 「災厄」の構図 :バリ島東部の黒呪術と祖霊祭祀の関係性をめぐる考察 早稲田大学博士(人間科学)学位論文 第1章 受療行動にみる「災厄」の認識と問題の移行

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