医療事故裁判の「第三の犠牲者」

 

「私が名古屋高裁に勤務していたころの話です。友人のN検事から、こういうことを言われました。『裁判官は、検事の主張とあまり違ったことをしないほうがいいぞ。何故かというと我々はむずかしい問題については、庁全体あるいは高検、最高検まで巻き込んで徹底的に協議してやっているんだ。それに比べてあんたたちはいったい何だ。一人かせいぜい三人じゃないか。そんな体制で俺たちに勝てるはずがないんだ。仮に一審で俺たちの主張を排斥して無罪判決をしたって、俺たちが控訴すれば、たちまちそんな判決は吹っ飛んじゃうんだ』」(木谷明『刑事裁判のいのち』法律文化社)


裁判官を恫喝するのは?

木谷氏と同じく刑事裁判官出身の弁護士である森炎氏が「刑事裁判は全て冤罪である」(『教養としての冤罪論』岩波書店)と明言する一方で、有罪率99.9%という事実は一体どうやったら説明できるのか?そんな素朴な疑問も、上記の種明かしで瞬時に氷解します。

刑事裁判官は検察官よりもはるかに勇気の要る職業です。なぜなら、検察官は求刑すればいいだけなのに対し、最終的に決断するのは裁判官だからです。反社会的勢力の報復なんぞ恐れていたら、刑事裁判官なんてできやしません。刑事裁判官は検察官以上に毎日が命がけなのです。一方で、裁判を勝ち負けのゲーム感覚で捉える検察官が、自分よりも勇気のある裁判官に対し、友人としての「親切な助言」ではなく、自分の思い通りの判決文を書かせようとする時、どんな態度に出るのでしょうか。

 

「下手なことをしたって、てめえの判決なんか上級審でいくらでもひっくり返してやる。俺たちに逆らえば一生ドサ周りってことぐらい、わからねえほど呆けちまったのか!」。この台詞は単なる私の想像に過ぎませんが、最強国家権力者達が裁判官をどう恫喝しようと、今の世の中、誰も驚きません。生意気な被疑者の向こう脛を録画に写らないように机の下で蹴り上げ、外国人被疑者には目の前に千枚通しをつきつけて日本語で思いっきり罵倒する」(市川寛『検事失格』毎日新聞社)。そんな特別公務員暴行陵虐罪も厭わない人々のやることなのですから。

 

マスメディア・警察・検察といった、真実を発見し不正を暴くはずの人々が、白昼、東京のど真ん中でせっせと事故原因を隠して事故再生産構造を守ったのが、ウログラフィン誤使用事故裁判でした。被告人をかばおうとした奇特な医師もいたかもしれませんが、そこは、これまた「チンピラ矯正医官の戯言なんぞ物の数ではない」とばかりに,私の診断を全面的に否定して神経難病患者が適切な治療を受ける権利を15年間も踏みにじり続けてきた百戦錬磨の人々のことです。「ご希望ならば先生も業過罪の共犯にしましょうか?」との殺し文句一発で、刑事免責の自動発券と引き替えに口封じです。何せ相手は、医師を業過罪で刑事訴追する実績では世界一を誇る警察・検察です。そこまで証拠を隠されたら、裁判官とて情状主張を認めて執行猶予をつけるのが精一杯だったに違いありません。


裁判官もまた「犠牲者」
「(医療事故裁判では)医療者側が加害者扱いされます。しかしそれは、違うと思う。不幸な結果を招いた医療者は、亡くなられた患者さんやそのご遺族以上に心の中は深く傷ついている。これを加害者と言うのはおかしい。私はいつも亡くなられた方は犠牲者だが、それに関わった医療者もまた犠牲者だ、と思うのです「(安福謙二『医療事故と刑事裁判―県立大野病院事件の法廷で考えたこと』)

 

袴田事件で無実の心証を抱きながら死刑判決文を書いたことを公言した元裁判官の熊本典道氏は、刑事裁判の典型的な犠牲者です。その熊本氏を描いた『美談の男』(尾形誠規、鉄人社)の中で、袴田事件で石見勝四裁判長が無罪判決を下せなかったのは、警察・検察・マスメディアによって操作された世論を恐れたからだと熊本氏は述べています。その袴田事件の再審請求審で再審開始決定が出る2日前の2014325日、仙台地裁は袴田事件とは全く逆に北陵クリニック事件の再審請求棄却決定を出しました。

 

「一審の無罪判決直後に、親しいある検察官から夜に電話がかかってきて、『事件の記録は、俺もよく見た。確かに証拠から言って無罪だ』と言われた。けれども、その次のセリフが凄かった。『でも、これは筋から言って有罪。高裁でひっくり返してやる』と言われた。『なんですか』と。『証拠は無罪って、言ったじゃないですか。筋って、何ですか』と僕は怒ってしまった。でも実際、本当にひっくり返された」安福謙二『東京地検公判部東京高裁出張所」

 

北陵クリニック事件再審請求から棄却決定までの2年間、筋弛緩剤中毒を主張する御用学者は一人も現れませんでした。その結果、再審請求審では、私のミトコンドリア病と、検察官が単独で創作した筋弛緩剤中毒の「一騎打ち」となりました。結果は脈の取り方一つ知らない検察官の全面的勝利でした.しかし私は裁判官を恨む気にはなれませんでした.そこには、最強国家権力とその番犬の両者から恫喝を受ける哀れな犠牲者の姿しかなかったからです。

 

裁判官を恫喝して私を嘘つき呼ばわりさせることも厭わない検察は、今月から発足した医療事故調査制度(事故調)を絶好の下請け先として利用しようとしています。ログラフィン誤使用事故裁判に対する批判の中には、検察官による証拠隠しには触れずに裁判官の方を非難する向きがありますが、そのような見方は刑事裁判の「本質」を見誤っています。真に糾弾されるべきは、自らに不利な証拠を隠し、裁判官に対する恫喝を自慢するような、驕り高ぶった検察と、その検察の忠実な走狗として患者・家族や市民に対して真相を隠し、医療事故を食い物にして莫大な収益を上げてきたマスメディアなのです。


(以下は抗告審に提出した私の意見書の巻頭言である。検察官に騙された裁判官が如何に惨めなものかを市民に知らせるために転載したのであって、決して裁判官を誹謗中傷するのが私の意図ではないこと、そしてここまで裁判官が批判されることの一義的責任は、嘘八百を書き連ねて検察意見書、純朴な裁判官らに丸呑みさせた、加藤裕、金沢和憲、荒木百合子の仙台地検の3人の検察官にあることを申し添えておく。2015年10月24日追記)


将棋のルールを知らない人は、プロ棋士を相手に勝負を挑むことはできません。それと全く同様に、医師免許どころか、医学教育を一度も受けたことのない仙台地方裁判所の河村俊哉,柴田雅司,小暮紀幸の3人の裁判官ら(以下仙台地裁の裁判官ら)には、専門医である私のミトコンドリア病という診断を斟酌する資格も能力もありません。そのことを地裁決定書は以下のように明確に示しています。

第一に、彼らは、基礎的な医学知識さえも持っていませんでした。地裁決定書には医学論文や医学教科書はおろか、家庭医学書さえ引用されていないのが、何よりの証拠です。仙台地裁の裁判官らは医学の勉強を完全にサボタージュして再審請求を棄却したのです。第二に、彼らは、A子さんが急変して以来、ここ15年近くの間に起こった医学の進歩も学ぼうともしませんでした。彼らは医学の進歩どころか、肝心のミトコンドリア病の診断基準が改訂されたことにも気づかなかったのです。第三に、私の意見書に対して反論する医師がもはや一人もいなくなったにもかかわらず、あたかも橋本氏や後藤雄一氏(以下後藤氏)が私の意見書に対して反論した事実があるかのように装い、医学的根拠の全くない揣摩憶測を決定書に書き連ね、誤診の責任を橋本氏や後藤氏に転嫁しました。誤診の一義的責任は全て仙台地裁の裁判官らにあります。結局診断はミトコンドリア病以外にはないと結論している後藤氏(後述)はもちろん、今は自分の証言を訂正することもできない橋本氏にも誤診の責任を問うことはできないのです。以上の三重の誤りにより、仙台地裁の裁判官らは数々の医学的事実を誤認しました。彼らは本来の職務である事実認定さえもできなかったのです。

幾ばくかでも社会常識を持っている成人ならば、将棋のルールも知らずして、プロの棋士に戦いを挑むなどという愚かな真似は決してしません。しかし、仙台地裁の裁判官らは、家庭医学書の知識さえ持たずに、神経内科専門医によるミトコンドリア病の診断を否定し、A子さんがベクロニウム中毒であると誤診したのです。

私はこの意見書で、脳解剖学からミトコンドリア病の診断基準・病態、最新の臨床推論に至るまで、仙台地裁の裁判官らに懇切丁寧に説明しなければなりませんでした。それというのも、仙台地裁の裁判官らが、ミトコンドリア病の何たるかを勉強するどころか、家庭医学書さえ開かずに、事実誤認を重ねた挙げ句に、A子さんがベクロニウム中毒であると誤診したからです。国が指定した難病を負った患者が、解剖学を習ったこともない裁判官らによる、無責任極まりないお医者さんごっこの犠牲となっている。それが再審請求を棄却した地裁決定の本質です。

(引用ここまで)


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