医療事故裁判における刑事免責の「自動発券」真相を隠蔽し被害者家族と市民を騙す人々
―業務上過失による医療事故再生産の機序:ウログラフィン誤使用事故事例検討から

ここで取り上げるのは,20144月に国立国際医療研究センター病院で起こったウログラフィン誤使用事例の裁判です.引用したのは,学術雑誌に掲載された論文を含め,すべて公開資料であり,誰でも原資料に当たってその内容を確認することができます.

目 次

「業務上過失致死」が真相を隠蔽する:遺族に真相を隠して初めて成り立つ仇討ち茶番劇場

真相を隠蔽する裁判が事故を再生産する

裁判で隠蔽された不都合な真実の数々

1.被告人以外は全員「知らなかった・忘れていた」で刑事免責を「自動発券」
2.欠陥オーダリングシステムでも刑事免責を「自動発券」
3.救命治療注意義務違反でも刑事免責を「自動発券」
4.真相隠蔽裁判を支える人々
5.真に必要なのは裁判を医療事故調査の出口にしないという社会的合意形成

参考事項1:造影剤の進歩と脊髄造影関連の事故との関係

参考事項2:なぜ懲役ではなく,禁固なのか?

参考事項3:過失の共犯問題

------------------------------------------------------------
裁判真理教による真相の隠蔽と医療事故再生産
それを一般市民に対して説明して理解を得る努力が必要
そうしないと,「刑事免責なんて,盗人猛々しいにも程がある」という国民感情が燃え上がり,その炎上が国民感情専門家に利用される.医師も一般市民です.その医師が「国民の皆様」という仮想敵を勝手に設定して,本来は良識ある市民を敵に回してはいませんか?医療事故裁判は,医療事故再生産装置というだけではありません.メディア,警察,検察,裁判官といった,正義の味方を自認する神々が,医師と市民を対立させる罠でもあるのです.医療者自身が医療事故裁判による事故再生産機序を理解するのはもちろん必要ですが,その理解を一般市民と共有する地道な努力を継続していかなければ,正義の味方を自認する神々が,医師と市民を対立させる罠を撤廃させることはできません.

「裁判は真実発見の場ではない」「刑事裁判はすべて冤罪である。稀にしか発生しない例外的不正義として冤罪を観念するのではなく、常に存在するそこにあるリスクとして考えることで、はじめて市民裁判が可能となる」(森 炎『教養としての冤罪論』岩波書店)

これだけ読んだだけでは,森氏の意図するところは非常にわかりにくくなっています.特に,刑事裁判というと,事実認定を争いようがない凶悪殺人事件しか思い浮かばない一般市民にとっては理解しがたい記述です.しかし,これが医療事故裁判になると,刑事裁判の冤罪性が非常に理解しやすくなります.北陵クリニック事件は,科学なき科学捜査により「毒殺魔 守大助」をでっち上げることによって,ミトコンドリア病の見逃しという医療事故を隠蔽した冤罪事件です.ただし,北陵クリック事件の場合には,科学なき科学捜査によるでっち上げ,そのでっち上げを糊塗するために,裁判官と検察官がともに公文書で私を天下に隠れもなきやぶ医者と誹謗中傷するという,非常にわかりやすい構図ができています.これが一般の医療事故裁判になると,その冤罪創作構造を理解するために,医療事故は殺人事件とは違うことを,理解する必要があります.

アンプル型高濃度カリウム製剤による事故の裁判では,病院全体での医療安全管理体制の不備という主犯を見逃し,全ての責任を若い看護師一人に押しつけることによって,冤罪が成立します.また、以下 に述べるように、ウログラフィン誤使用事故もまた同様に冤罪事件です。これだけ世間も医師も注視している中で行われる、ウログラフィン誤使用事故裁判でさえ、白昼堂々と行われる冤罪裁判なのですから、医療事故裁判の冤罪性は、裁判の本質に根ざす構造的なものであり、今まで行われてきた医療事故裁判は、程度の差はあれすべて冤罪であることがわかります。

裁判真理教は,読んで字の如く,「裁判は真実発見の場である」と信じて疑わない,非常に古くからある信仰です.元裁判官の弁護士である森氏が看破するように,裁判は真相を究明するどころか,隠蔽します.そんな裁判が医療事故を「裁けば」,事故原因は隠蔽され,事故が繰り返されます.ここでは,病院管理者によって警察に通報された医療事故の裁判で,末端の医療者一人だけを業務上過失致死に問うことによって,病院全体あるいは日本全体のシステムエラーを含む本質的な事故原因が隠蔽され,その結果事故が繰り返されてきたが,裁判が事故防止に何の役にも立っていないことを説明します.

「業務上過失致死」が真相を隠蔽する:遺族に真相を隠して初めて成り立つ仇討ち茶番劇場
アンプル型高濃度カリウム製剤による事故同様、このウログラフィン誤使用事故の裁判でも、患者さんがなぜ亡くなったということばかり議論していて,どうやったら助かっていたかを全く議論しません。なぜでしょうか?それは、どうやったら助かっていたかを議論してしまうと、被告人以外の医療者(院長、医療安全管理委員長、薬剤部長、整形外科部長、集中治療部部長といった偉いお医者さんから検査補助に入った研修医まで)の責任を問うことになり、すべての責任を被告人となった医師一人に押しつける国営仇討ち劇場で,「業務上過失致死という名の予定調和」が実現できなくなるからです。こうして,病院全体のシステムエラーを含めた真の事故原因や事故防止策といった,予定調和を妨げる事項は、、すべて「不都合な真実」として封印されます。

検察官は事故原因分析も事故防止策も決して論じません.そもそも脈の取り方一つ知らないのですから,そんなことを論じるわけがないのです.検察官は自分の職務に忠実に,とにかく罪を重くするために被告人一人に事故の全責任があると主張して遺族の憎しみを煽り厳罰を勝ち取ろうとします.弁護人も脈の取り方一つ知らないのですから,事故原因分析も事故防止策も論じられません.仮に弁護士に医療安全管理の知識があったとしても,事故原因分析も事故防止策を積極的に論じることはありません.なぜなら,裁判は真相究明の場ではなく,被告人一人を吊し上げるための仇討ち劇場だからです.事実認定に争いがないのですから,あとは「被告人が深く反省していると情実に訴えることが,量刑を軽減する最も効率的な方法であり,事故原因分析や事故防止策を滔々と論じても,「無駄な議論で悪あがきをする馬鹿な弁護士」との印象で,裁判官は心証を悪くし,検察官はほくそ笑み,遺族の感情はさらに悪化するだけで,被告人にとっても百害あって一利なしです.

業務上過失を問う裁判におけるこのような不都合な真実の隠蔽は,このウログラフィン誤使用事故ばかりでなく,アンプル型高濃度カリウム製剤や,北陵クリニック事件でも全く同様に起こっています.なぜそんなことができるかというと、憲法が黙秘権を保証しているからです。日本国憲法第38条には「何人も,自己に不利益な供述を強要されない」とあります。「何人も」であって、「被疑者」とか「被告人」ではありませんし、「警察や検察による取り調べや裁判の時に限り」と状況を限定しているわけでもありません。北陵クリニック事件のような典型的なでっち上げに対する関係者(*)の完全黙秘も日本国憲法で保障されている、日本は法治国家なのです。

*河北新報を筆頭とするメディア、宮城県警、関係した東北大学のお医者様達、私をやぶ医者呼ばわりした、加藤 裕、金沢和憲、荒木百合子の3人の検察官以外の検察庁の人々、そして同じく私をやぶ医者呼ばわりした河村俊哉,柴田雅司,小暮紀幸の3人の裁判官以外の裁判所の人々

末端の医師一人に責任を押しつけて,とにかくこいつを有罪にするんだ.他はみんな仲良く自動的に刑事免責だよね というノリ.そして患者の救命可能性は全く議論されない!もちろん遺族にも説明されない.肝心の真相を隠蔽する「ニッポンの裁判」ここにあり!検察官も裁判官も,嘘八百を書いた公文書を出しても, 決して業務上過失に問われない.そんな検察官と裁判官が,業務上過失を認定するのです.

真相究明なんかどうでもいい,事故原因の科学的分析なんかどうでもいい:これは症例検討会なんかじゃない.事実認定については争いがないのだから,後はすべて些細なことだ.弁論も最低限にして,量刑相場に従って,裁判官,検察官,被告人,弁護士,遺族,全ての関係者が一致協力して,業務上過失という予定調和に向かってまっしぐらに進んでいこう! 
厳罰至上主義は体罰賞賛主義:医療者の「勉強不足」「基本的な心構えの欠如」が事故の原因だ。このことを医療者に認識させ、事故の再発を防止するいためには被告人に体罰(じゃなかった)厳罰に処することが必要である

上記のような前世紀の体育会系スローガンが、法廷,いや日本全体を支配している中で、アンプル型高濃度カリウム製剤による事故、,このウログラフィン誤使用事故、そして北陵クリニック事件の裁判は行われました。ただ、北陵クリニック事件では業務上過失致死が殺人に置き換わっただけです.

一人の医療者を業務上過失で血祭りに上げるために不都合な真実を隠蔽する構図は、これまで行われてきた全ての医療事故裁判と共通しています。医療事故リスク低減のためには、事故原因分析が必須ですが、真相を隠蔽する医療事故裁判は、事故原因分析とは真っ向から対立し事故原因分析と事故再発リスクの低減を願う患者家族と市民を騙し,裏切る行為に他なりません.医療とも科学とも何の関係もない国営仇討ち劇場・業務上過失という名の予定調和による医療事故とその犠牲者を再生産を断固阻止する、医療事故調査制度意義は、ここにあります。

真相を隠蔽する裁判が事故を再生産する
これまで,ウログラフィン誤使用事故例は,刑事裁判になっただけでも6件ないし7件あります.最も最近のものは,私が調べた限りでは98年です.この裁判の最大の意義は次の本質的な問題を明らかにした点です.
●この病院では98年より以前もそれ以降も,ウログラフィン誤使用事故を防ぐための実効性のある対策は何ら立てられていなかった.
●裁判と刑罰は事故防止のために何の役にも立ってこなかった.

日本の医療事故裁判は,裁判が事故防止に無力であることを証明するために,何度でも裁判を繰り返しているのです.まさに,テレビドラマの水戸黄門が何百回繰り返されて悪人が何百人,何千人成敗されてもドラマは延々と繰り返されていたように、怪人や戦闘員が何百人,何千人成敗されても仮面ライダーシリーズが延々と続いているように.悪人・怪人が出てくるシステムエラーを是正しない限り、悪人・怪人はいくらでも出てくる。それがわかっていて放置するんですから、極めて悪質です。えっ、誰が悪質かって?そりゃ決まってるでしょ。医療とも科学とも何の関係もない国営仇討ち劇場で、被告人となった看護師やお医者さんが吊されるのを面白がって(あるいは黙って)見ている人は、みんな悪質ってことですよ。事故が起こったらすぐさま警察に通報するような病院長だけが悪質ってわけじゃないんです。

といっても,今回の事故が起こる前に、私が何もかも知っていたと自慢するつもりは全くありません.むしろ今回の事故から自分の記憶の頼りなさを改めて学んでいる次第です.ウログラフィンの誤使用事例は98年以降報道されていません。そうだとすると、17年前から医療に従事していた人でないと、ウログラフィンの誤使用事例は記憶にないはずです。卒後33年私の場合、今回この事故のニュースに接した時、「確かに以前、同様の事故があったはずだ」という程度の記憶想起でした.それが98年だったか,それ以前だったかも記憶にありません.そんな体たらくですから,どこの勤務先でも,私自身,学生や研修医に対する教育の際に、ウログラフィンの誤使用事例を引用したことは一度もありませんし,実際にウログラフィンがどこでどう管理されているか,チェックしたこともありませんでした.みなさんはどうだったでしょうか?

不都合な真実1 被告人以外のお医者さんは全員「ごめんなさい・これからみんなでよく気をつけましょうね」の小学校の学級委員スローガンで刑事免責を自動発券
ウログラフィン誤使用事故の本質はアンプル型高濃度カリウム製剤による事故の本質と何ら変わるところはありません.つまり,過去の同様の事故例から教訓を学んで,しかるべき対策を取っていれば,患者さんは亡くならずに済み,若き医師の前途も閉ざさずに済んだのです.一番大切なその事実が決して語られることなく、被告人以外のお医者さんには全員「知らなかった・忘れていた」「これからしっかりやります」で「刑事免責」を自動発券する。これが裁判という名の仇討ち劇場での検察官の業務です。ほとんどのお医者さんは検察官を怖がっていますが、業務上過失という予定調和に協力的なお医者さんには大変寛大です。

この事故自体、「ウログラフインを脊髄造影に使ってはいけない」という知識が、院内で共有されていなかったことを示しています。担当医と、一緒に検査に加わった1年目の研修医2人にはもちろん、薬剤部や医療安全管理に携わる人々の間でさえも、この知識は共有されていなかったことが明白です。なぜなら、もし、この知識が共有されていれば、脊髄造影を行った検査室の棚に、本来使用すべきイソビストとウログラフィンを前後に並べて置いておくような、地雷さながらの危険な「罠」は存在し得なかったはずだからです.

脊髄造影検査におけるウログラフイン誤使用による死亡事故についての報告」と題したA4 1枚、1200字ほどの、院長名で2014年8月に公開された報告書には、そこには、「基本的な知識や手技の確認と研修、マニュアルの整備、チーム医療における相互チェックの実践」といった、医学生でも思いつく、純体育会系のスローガンが羅列されているだけです。「本件事故の主な原因は、担当医の造影剤に対する知識が不足し、脊髄造影検査には禁忌であるウログラフインを誤使用したためでした」とあります。「本件事故の主な原因」という表現からして、
●そもそも病院が肝心の事故防止対策を怠っていたこと:「主犯」は病院であること
●医療事故が複数のシステムエラーとヒューマンエラーが絡み合って発生する複雑系の産物であること
といった誰でも知っている事実を,この文書を作成した人間が隠蔽していることが明白です。

事故発生から4ヶ月もあったのに、医学生のレポートにも及ばないこんなお粗末な代物を公表する目的は、決してこのナショナルセンター病院の杜撰な 医療安全管理体制を曝露するためではないでしょう。、「医学生でも思いつけるような幼稚な注意義務さえ果たせなかった奴が”犯人”だ」と宣言したかったからに他なりません.何しろ警察に通報した時点で、”犯人”は特定されており、警察もメディアもそれに一切異論を唱えなかった、裏を返せば、その犯人以外には通報した時点で刑事免責が自動発券されていたからです。

不都合な真実2  薬剤管理関係者・オーダリングシステム開発関係者にも全て刑事免責を「自動発券」
検察官により刑事免責が自動発券されるのは、お医者さんだけが持つ特権ではありません。この事例を巡り多くの議論が交わされていますが、自動車で衝突回避システムの開発に各社がしのぎを削る時代に、フールプルーフ・フェイルセーフの鍵となる薬剤オーダリングシステムについて、突っ込んだ議論が欠けています.

この事例で言えば、造影剤を薬剤部管理とするだけでなく、オーダリングの際に、検査名を入れると間違った造影剤がオーダーできないようにすれば(たとえば,脊髄造影のという検査名を入れると,使える造影剤の中にウログラフィンが含まれていない),オーダーする医師のレベルと処方箋を受ける薬剤部レベルのいずれの面でも発生しうるヒューマンエラーに対するフールプルーフになります。脊髄造影におけるウログラフィンの誤使用の危険性が、この事故が起こる前に共有できていれば、この種のフールプルーフのオーダリングシステムはできあがっており、今回の事故も防止できたはずです.

アンプル型高濃度カリウム製剤による事故も、今回のウログラフィン誤使用事故も、電子カルテシステムがこれだけ高度に発達した日本で、それより以前に導入されていたオーダリングシステムを医療安全管理に活用する余地は十分ありました。実際、治療用医薬品ではすでに自前で併用禁忌をチェックできるシステムが稼働している施設があります。さらに、注射薬監査支援システムを構築した施設もあります。いずれも、民間病院が患者さんの命と職員のキャリアの両方を守るシステムを自前で構築しているのです。ましてやウログラフィン誤使用事故が起こったのはナショナルセンター病院です。難しくてできないとか、ひどく金がかかるとかいう言い訳は絶対に通用しません。しかし裁判では、ここでも刑事免責が自動発券されてしまいました.

このように当然なされるべき議論が行われないのは、その議論をしてしまうと、オーダリングシステムという名のシステムエラーを共犯者として認定しなければならず、患者さんの死を被告人一人の責任にする、業務上過失致死の予定調和シナリオにとって、邪魔者になるからです。ここにもまた、裁判が事故防止に何の役にも立たないどころか、不都合な真実を隠蔽することによって事故再発の可能性を維持するシステムに他ならない.そういうエビデンスが見いだされるのです.

不都合な真実3 重大な注意義務違反がありながらも黙秘権行使により刑事免責を自動発行してもらった医師達
ウログラフィンを髄腔内に誤投与された患者さんを救命する方法は10年以上前に全世界に公開されていました.しかしその方法がこの患者さんには実施されなかったようです。そう私が推測するのは,患者さんが下肢の痛みで発症してから4時間後に亡くなるまで,懸命な救急治療・心肺蘇生こそ行われたものの,ウログラフィン誤投与による急変だったとわかったのは,死後の検証によってだったからです.病院報告書にも、「(亡くなった後)直ちに関係者による検証が行われ、造影剤誤投与の事実を確認致しました」とあります。

ウログラフィンあるいは類似のイオン性造影剤の脊髄造影への誤使用を32例(論文が出た時期は1980年代の後半から90年代にかけて)をまとめた論文が,2002年にベルギーのアントワープ大学病院から出ています(Eur Radiol 12 Suppl 3:S86-93).この論文によれば,32例中21例,実に3例に2例が救命されています.この32例の中には日本からの報告例も4例含まれており(東北大学、三重大学から各2例ずつ)、全例救命されています(Intensive Care Med 1988;15:55-57Intensive Care Med 19:232-234)。 上記の論文の中で共通して強調されているのは、迅速な診断、循環・呼吸器系の一般的な集中治療、過高熱、代謝性アシドーシスや横紋筋融解に対する対症療法(大量の補液と利尿剤の投与)とともに、高浸透圧性イオン性造影剤の性質とその神経毒性を踏まえた、以下のような特異的な治療法の重要性です。

1.徹底したけいれんのコントロール:けいれんそのものが脳の障害を起こすため。
2.座位保持:髄液より比重が重い造影剤を腰髄以下の髄腔内に留めることにより、それより上位の神経毒性を減弱する。
3.ウログラフィンを除去するための髄腔内の潅流(intrathecal lavage):具体的には頸椎と腰椎を穿刺して滅菌生理食塩水等で潅流することにより造影剤を除去する。この時に髄膜炎に対する予防的抗菌薬の投与も行う。

なお、上記の報告とは別に、日本では、 Nagamineら(Nagoya J Med Sci 32:429-444)が、名古屋大学医学部整形外科での6例の事故例(男女3例ずつ。年齢15歳―33歳)を70年に報告しています。診断は全例腰椎椎間板ヘルニアで、使用造影剤は76%ウログラフィン、注入量は12-20mlで、6例中2例で脊髄造影になってしまっています。5例は救命できましたが、1例(21歳女性、硬膜外造影例)が死亡しています。

日本を含め、これだけの報告例があり、十分な救命可能性もある治療法も明確にされています.病院はこの点を,どう説明したのでしょうか?実は診断も治療も迅速かつ適切に行えていればそれでいいのですが,そうでない場合に,事実を遺族にどれほど開示しているのでしょうか?もし,ウログラフィン誤投与の診断が遅れて,適切な治療をやらなかったことがわかったとしたら,「刑事免責などもってのほか」と思っていらっしゃる国民の皆様や検察官、裁判官は「重大な注意義務違反」と認定すること請け合いです。それを見越しての関係者の完全黙秘なのでしょうか?これも憲法で保障されている権利ですから,私の方からはとやかく言う筋合いのことではないかもしれませんが,実はさらに重大な問題があります。

多くの医療関係者が注目していたこの裁判で、救命方法が議論されれば、日本全国の医療者がそれを学び、もし次に事故が起こっても、患者さんを救える、ひいては医療者の人生を守れる可能性がぐっと高まったのに、その絶好の機会を、関係者の黙秘権行使によってみすみす逃したのです。これまでの裁判と全く同様に、この裁判でも、患者さんの命を救う方法が封印された。そうやって真相を隠蔽する裁判によって,また事故が起こり,患者さんの命がまたもや失われる.そんな悲劇はもうごめんだ.事故調はその願いを実現するためにあるのです.

不都合な真実4 真相隠蔽裁判を支える人々
原発事故を思い出してください。「あってはならない」という思考停止は「もし起こったらとんでもないことになる」という認識から生まれるわけですから、その「とんでもない」事態を想定して、被害を最小化するダメージコントロールが必須となることは誰の目にも明らかなはずです。

人は必ず間違えるのならば,同じ事故が再発する可能性も認めなくてはなりません.実際に裁判になった事例だけでも,6件ないし7件ある.また何年か後に同じ事が起こらないと誰も保証できない以上,起こった時にどうやって患者さんを救うかを考えておくのは,医師として当然の使命であり、また師にしかできません.警察官にも、検察官にも、裁判官にも、患者さんをどうやって救うかなんて考えることは絶対にできないのです。それなのに、知識も経験も豊かな偉いお医者様達が、実は患者さんを助け、若い医師の前途をぶち壊さずに済んだことについて完全黙秘を貫いているのはなぜでしょうか? この構図は北陵クリニック事件そっくりです。

さらに奇妙なのは,「隠蔽」「責任追及」が大好きなはずのモンスタージャーナリスト達の沈黙です。今の時代,治療法・救命法などは,医師でなくても簡単に調べられます。にもかかわらず、ジャーナリスト達も,ウログラフィン誤投与の救命・治療法について,やはり完全黙秘を貫いているのは、「患者さんは実は助かっていたはずだった。研修医一人をスケープゴートにして、病院は自らの組織的犯罪を隠蔽した」という「告発」記事を書いても、決して売れないことがわかっているからでしょう。そもそも、自分たちの商売に差し障りになるようなことを記事にする義務なんて、ジャーナリスト達にはこれっぽっちもないのです。日本国憲法第38条には「何人も,自己に不利益な供述を強要されない」とあります。ここには「ただしジャーナリストは例外とする」との但し書きはありません。それに彼らには言論の自由があるのです。その言論の自由には、もちろん「報道しなくてもいい自由」が含まれています。この構図もまた、北陵クリニック事件そっくりです。

不都合な真実5 真に必要なのは裁判を医療事故調査の出口にしないという社会的合意形成

医療裁判は,所詮は3人のド素人の判断ですし,前提の事実の設定も疑問なことが多いのです.判決文を読むと,そうだよねと思っても,設定した前提事実がひどい誤認によるものも多く,証拠資料を読まないと本当の判例評釈はできません.(中略)最も人権に関わる刑事裁判ですら,くじで選ばれた素人に,事実認定や,刑罰まで決めさせるというのですから,「誰でもできる,何の素養もいらない仕事」なんですね.(田邊 昇 弁護医師®が斬る医療裁判ケースファイル180 中外医学社)

かつて我が国では、米軍のシャーマン戦車に爆槍(竹槍の先につけた爆弾)で「肉弾攻撃」を行う訓練が本土決戦に向けて行われていました。国家による仇討ち代行業に過ぎない刑事裁判や、素人同士による揚げ足の取り合いゲームに過ぎない民事裁判で、医療事故を「裁こう」とするのは、この爆槍と同様の「おとぎ話」です。

医療事故を業務上過失という名の法の抜け穴で仕切った結果、被告人一人の有罪判決と引き替えに組織のシステムエラーを含む肝心の事故原因はもちろんのこと、患者の命を救う治療法さえも全て隠蔽され、事故が再生産され、また命が失われ、若い医療者の前途が台無しになることが繰り返されてきました。

このような犠牲者が生まれるのを防ぐために真に必要なのは、医療者の刑事免責ではなく、事故再発と犠牲者再生産の元凶である裁判を医療事故調査の出口にしないという社会的合意形成です。ではその合意形成の実行可能性はどうでしょうか?難しいでしょうか?私はそうは思いません。なぜなら、それよりもはるかに不条理な社会的合意形成が延々となされてきたからです。北陵クリニック事件アンプル型高濃度カリウム製剤による事故、そして今回のウログラフィン誤使用事故で見られるような、被告人以外の医療者の刑事免責、事故原因や救命方法の隠蔽は、まさに社会的合意形成の下で行われてきたのです.

参考事項1:造影剤の進歩と脊髄造影関連の事故との関係
現在脊髄造影に使われている、浸透圧の比較的低い非イオン性造影剤が登場したのは1980年代半ばです。それ以前は油性造影剤が使われていましたが,現在使われている水溶性造影剤のように吸収されないため、撮影後に注入造影剤の除去が必要でした。それでも注入した全量を回収することは極めて困難で、残存した造影剤による合併症として髄膜炎や癒着性クモ膜炎などの副作用が頻発しました。

 このため、1950年代から60年代にかけて、特に腰椎椎間板ヘルニアに代表される硬膜外病変が疑われる症例において、脊髄造影に代えて硬膜外造影が、ウログラフィンに代表される浸透圧の非常に高いイオン性造影剤を使って行われていました。硬膜外造影ならば髄腔内に神経毒性の強い造影剤が入らないことを前提にしていたわけですが、硬膜を傷つけた時はもちろん、硬膜を全く傷つけなくても、造影剤の滲入により、けいれん、意識障害といった重篤な症状を呈する事故が1950年代から国内外で起こっていました。前述のNagamineら(Nagoya J Med Sci 32:429-444)の例がそれです。

ウログラフィン誤使用事故が刑事裁判になった事例としては、私の調べた限りでは、1963年(6例)、88年(2例)、92、96、98、そして今回の2014年と少なくとも6回起こっており、63年の6例中3名が救命された以外は全て死亡例です(関連記事)。非イオン性造影剤が登場したのは1980年代半ばですから、63年の6例はウログラフィンによる硬膜外造影の事故であり、88年以降は脊髄造影におけるウログラフィンの誤使用事故と思われます。

参考事項2:なぜ懲役ではなく,禁固なのか?
業務上過失致死傷罪の法定刑は,5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金となっていますが,医師が(罰金以外の)有罪とされる場合には懲役ではなく,禁錮となります.この理由を知らないと「人を殺すようなけしからん医者は免許を取り上げるだけでは生ぬるい.なぜなら刑務所から出てきたら,もぐりの無免許でまた人を殺すかもしれないからだ.二度と人殺しができないように死刑か無期懲役にすべきである」と発言してしまいます.

刑務所は法務省矯正局に所属します.矯正というのは,罪を犯した人の再犯リスクを低減する教育を行うことです.刑務所は教育施設なのです.懲役とは教育です.医師が懲役ではなく,禁錮となるのは,刑務所の中には臨床研修施設も医師の再教育施設もないからです.

業務上過失致死傷罪を定めた刑法には,医師の場合には医師免許を何年停止しろとか取り上げろとは一言も書いてありません.ですから,裁判所は医師免許については一切ノータッチです.どんなに重い罪を言い渡す時でも,相手は国家資格を持った医師なのです.お医者さんは刑務所に入るときも医師の資格を持って入ります.その刑務所は矯正施設です.その刑務所に入っている人は,死刑でない限り,いつかは塀の外に出て行かなくてはなりません.刑務所の最も大切な使命は,いずれ塀の外に出て行く人が,もう塀の中に戻ってこないようにすることにあります.ここのところを誤解している納税者の何と多いことか!

再犯リスクを下げるのに最も重要なことは何か?それは仕事に就いて,社会に受け入れられて,自立して人生を歩んでいくことです.そのため,刑務所は,様々な職場・工場を備えた職業訓練所となっています.ここで受刑者は,適切な職業訓練を受けるわけです.刑務所の中でも高齢化が進んでいるので,介護も実質的に(資格は取れませんので正式とは言えませんが)重要な職業訓練種目となっていますが,臨床研修施設はありません.懲役ではなく,禁錮となっているのは,国の矯正政策の瑕疵=納税者の怠慢=市民が行政の監視を怠っている を反映しているのです.

国ができないのなら,民間でやるしかありません.今回の被告人の場合には,その経験を生かして,医療安全管理の研究に携わる.病院がそういうポジションを提供する.それが病院の「罪滅ぼし」になるのです.

参考事項3:「過失の共犯」問題業務上過失自体がシステムエラーそのものであることをとぼけ通す人々
裁判で本気で「真相を究明」しようとすれば,脈の取り方一つ知らない警察官が「捜査」して,歴代院長,歴代薬剤部長,歴代診療放射線部長,歴代看護部長,歴代医療安全管理委員会委員長+歴代委員,歴代研修教育担当者・・・・何十人,何百人を,書類送検して(死んでる人を送検すると,またとやかく言われて処分を受けるから,生きているかどうかも確認しなくちゃならない!),それを受けた脈の取り方一つ知らないこれまた検察官が,一人一人について,誰を起訴し,誰を起訴しないかを決めた後,今度は,これまたまた脈の取り方一つ知らない裁判官が,あの「過失の共犯」(*)という,厄介極まりない問題を,何十人だか,何百人だかについて判断しなくちゃならない.そんなことやってたら,裁判に何十年かかるかわからない.裁判やっている間に被告人達の命が持ちません.

「複数の行為者が絡み合う企業活動(例えば自動車の製造・販売・リコール)や医療行為(例えばチーム医療)が典型例であるように,実際には,意思連絡だけを根拠にして刑法上の共同行為の存否を説明するのは,極めて困難である」。(金子  博 過失犯の共同正犯について ー「共同性」の規定を中心にー 立命館法学 2009年4号 851-1021).この「過失の共犯」問題は,実際に,いわゆる「明石歩道橋事故」の裁判で,検察審査会まで巻き込んで,大きな問題となりました(松宮孝明 「明石歩道橋事故」と過失犯の共同正犯について 立命館法学 2011年 4号(338号)1917-1967).「明石歩道橋事故」のような,発生メカニズムも予防法・対処法も明確な問題でさえ,過失の共犯の判断はそれほど難しいのです.共犯の認定作業は捜査,起訴,裁判,全てのプロセスで各部署が責任を持って独立に判断しなければならない.共犯と認めなければ見逃しリスク,共犯と認めれば冤罪リスクというダブルバインドが過失共犯問題の難しさの本質です.一体何がヒューマンエラーで何がシステムエラーなのかわからない医療事故の裁判では,この極めてやっかいな「過失の共犯」問題が必ずついて回ります.こんなに難しい問題内在した医療事故を,脈の取り方一つ知らない連中が,個人の純粋なヒューマンエラーである業務上過失で「乗り切ろう」なんて,シャーマン戦車に竹槍で立ち向かうのと同じ「おとぎ話」なのです.ですから,法曹界としても,医療事故の業務上過失の判断は,できれば回避したいというのが本音なのです.なのに,自己保身と組織防衛のために、速やかに警察に通報してしまう院長って、何年医者やってたか知らないけど、「相手の立場に立って物事を考えることができない人」なんですねえ。

一般市民としての医師と法