透明性恐怖症と説明無責任

キーワード: 検察官 実名報道 全面可視化 透明性 説明責任 マスメディア

取り調べ可視化の陰に
再審は極めて重要な制度である.なぜなら,検察が「引き返す勇気」(そういう勇気がもしあるのならの話だが)を発揮する晴れの舞台だからである.しかし,その再審は裁判所では「雑事件」として扱われ,透明性はゼロ.ほとんどの再審請求は検察と裁判体との談合で潰される.そもそも自分たちの仕事に自信があるのなら,こそこそ逃げ回らないで,どんな事件でも,再審を受けて立つはずである(^^;).だって,そちらは「組織の力」があるんでしょ?なのに,三者協議でこそこそ逃げ回っちゃうだけなんだから.もう,足元を見透かされちゃってるんですよ,検察の旦那方.
再審請求審は可視化せよ…裁判員時代にふさわしい「誤審救済システム」構築のために

全面可視化絶対反対の不思議
弁護人「あなたは『私の行為で検察の信頼が失墜してしまった負い目を感じている。ですが、特捜部も検察も愛しています』と話されていたようですが」
証人「はい」
弁護人「今でもそうですか」
証人「今でも愛しているからこそ、今、改革が進んでいますが、2点を改革すべきだと思います。一つは、手持ちの資料は全て開示する。検察に不利な証拠があったことが後に判明することは、今の“流行”みたいなものです。私の件をきっかけに大きく検察組織を変えるなら、検察だけの判断で『この証拠は出さない』というのはやめるべきです」
 「もう一つは、強制だろうが、任意だろうが、捜査の様子は可視化すべきです。今回の件でも、大久保さんにはかなりデタラメを言われた。検事が改竄したか、しないかなんてのは不毛なやりとりなんです。だから、可視化を進めるべきです。供述調書も作らずに、録音録画する。そこまで検察が改革に踏み込めるかどうかです。検察、特捜は今でも愛しています」
産経ニュース 2011.12.16 【小沢被告第10回公判(9)】より)

検事総長殿が国会で答弁なさるように,取り調べが常に「適正に」行われているのなら,痛くもない腹を探られても,それことそ痛くはないはずで,全面可視化に諸手を挙げて賛成するはずではないか.実際に上記の証人,誰あろう前田恒彦元検事も、取り調べ全面可視化と証拠開示を全面的に支持している.大阪から東京地検特捜部にわざわざ「割り屋」として呼ばれた実績を持つ前田氏ならではの主張だが,そこまで大見得を切らずとも,

「人は何かやましいところがあるから隠すものだ」と被疑者に向かって常々説教している人達が、「隠します.でもやましいところはありません」と言っても,幼稚園児だって納得しませんぜ.一部だけいいとこ取りする録画が「部分的可視化」だって? 冗談も休み休み言ってちょうだい。それって、世間では「やらせ」って呼ばれていること、知らないの。ほんと、浮き世離れしている検事さん達ならではのお笑いコントでっせ。

およそ日本の役人というのは,「できない理由」を探し出す名人揃いのはずだが,大学を卒業して法曹資格まで持っている検事は例外らしい.公務員のくせに市民・納税者に対する説明責任も果たそうとしないのは一体どういう了見だ?彼らが「全面可視化」に絶対反対する理由におよそ説得力のあるものはない.そのほとんどは「取り調べを可視化すれば治安が悪化する」というものだが,この主張の意味が不明であり,謎かけとしては面白いかもしれないが,日本語として成り立っていない.全面可視化に反対する度に検事の日本語能力の低さが露呈される.なぜ風が吹けば桶屋が儲かるのか?その「落ち」を説明しなければ,謎かけとしてさえも成り立たないではないか.

実は全面可視化こそが検察を救う
全面可視化すれば,偽計尋問(切り違え尋問)や被疑者への暴言・暴行といった,伝統的な「得意技」が使えなくなる.検事達がそういう「不満」を爆発させて大量に退職する,そこまでいかなくても検察全体の士気が低下する.そんな懸念が 「取り調べを可視化すれば治安が悪化する」という謎かけの背後にあるのなら,そんな御懸念には及ばないと申し上げたい.なぜなら,たとえ全面可視化したって,生意気な被疑者の向こう脛を蹴るにあたっては,机の下で蹴るようにとの教育を徹底すればいいだけだからだ(市川寛 検事失格 毎日新聞社).

そもそも,「推定無罪などおこがましいにもほどがある凶悪犯」に対して,胸ぐらを掴んで 「いつまでも舐めた真似しやがると,被害者に代わって俺がお前を絞首台に送り込んでやるからそう思え」と恫喝する姿こそが,国民の皆様から拍手喝采されてきたはずではなかったのか?それが「検察の使命は治安維持だ」と誇りを持てる人材を集め,育成してきたはずではなかったのか.だったらその誇り高き姿を市民に見てもらうことこそが,失墜した検察への信頼を回復させることになるのではないのか?取り調べを全面可視化し,凶悪犯に対する「秋霜烈日」の実録映画を市民に見せれば,ジャニーズタレントが主演する映画なんぞ足下にも及ばない宣伝になること請け合いである.

さらに実際,取り調べを全面可視化して有罪を立証できた例は,実はいくらでもある.その典型が業過罪を問う医療事故裁判である.医療事故裁判では全て任意で取り調べが行われる.そこには,代用監獄も,人質司法も,特別公務員暴行陵虐罪も,全てが無しの,極めて透明性の高い捜査が行われる.そんな捜査を受けた裁判の典型が,ウログラフィン誤使用事故裁判だった.この裁判で検察は,白昼堂々と東京のど真ん中,衆人環視の法廷で,重大な事故原因を全て隠蔽して,楽々と有罪を立証し,被告人は控訴さえせず,判決が確定した.医療事故再生産装置たる業過罪裁判を守った検察の全面的勝利だったのである.

その証拠隠しにしたって,今時,検察が全面的に証拠を開示するなんて,おめでたい「事実誤認」をしている「国民の皆様」だけを相手にして,これからも商売を続けていけると思っている検察方が「おめでたい」ってもんだ.

検察官A名乗りもできずに何が「可視化でござい」だ
矯正医官の活躍ぶりが、NHKの「総合診療医ドクターG」で紹介されたことに触発されたのだろうか。映画「Hero」の完成報告会の記者会見が法務省で行われたことに象徴されるように、検察官も自分の活躍を国民の皆様にアピールしたいようだ。それなのに、検察庁の忠犬たるマスメディアが検察官の実名報道をしないのは一体全体どういうわけか?赤字を埋めるためには,法令に違反してまで少年事件の実名報道をも辞さない週刊誌まであるというのに!

公開の場である刑事裁判では検察官と被告人は対等の立場である.さらに検察官は税金から禄を食む国家公務員である.そして「公判」を重ねた後に,公平・中 立な立場から裁判長が判決を言い渡す,ところが,裁判長や被告人の氏名が報道される一方,検察官の名前が出てきた例しがない.もちろん,公開の場である裁 判で公務を行う国家公務員たる検察官の名前の報道を禁ずる法令などあるわけがない.現に私は、仙台地裁の加藤裕、金沢和憲、荒木百合子の3人の検察官が、国の認定基準に従ってミトコンドリア病を診断した専門医をやぶ医者呼ばわりする前代未聞の業績を上げたことを、これまで丁寧に説明してきたが、何のお咎めも受けずに、検察官と同様、法務省職員として働いている。

公務で名前も名乗れないほど後ろめたさてんこもり,自分の子どもが親の職業を学校で明かせないほどの透明性恐怖症。 秋霜烈日バッジを胸に付けて巨悪を眠らせないはずの検察官の方々が,そんな臆病風に吹かれているとでもいうのだろうか?そしてマスメディアがまるで真綿でくるむように検察官達を取り扱い、その名前を隠蔽するのは、そんな病に対する思いやり故なのだろうか。

被害者の実名報道
可視化について,警察や検察に遠慮して日和見報道を繰り返す,マスメディアの態度は滑稽極まりない.彼らの配慮は常に警察と検察に対してであり,患者・家族は単なる宣伝の道具としか思っていない.それを如実に示すのが下記の記事である

「医学的根拠ない」意見書に反論 仙台・筋弛緩剤事件(河北新報 2010年07月21日)
仙台市泉区の旧北陵クリニックで起きた筋弛緩(しかん)剤点滴事件で、クリニックの実質経営者だった半田康廷東北大名誉教授が20日、仙台市で記者会見し、 元准看護師守大助受刑者(39)=殺人罪などで無期懲役確定=の弁護団が再審請求の新証拠として提出する医師の意見書に反論した。弁護団の意見書は、今も重体の大島綾子さん(21)=事件時(11)=の容体急変について、脳卒中のような発作があり血中乳酸値が高かったとして、筋弛緩剤の点滴投与ではなく、ミトコンドリア脳筋症の悪化が原因だとしている。半田氏は「容体急変直後のコンピューター断層撮影(CT)検査で、脳卒中に似た症状は確認されず、ミトコンドリア脳筋症ではない。乳酸値もすべてのデータではなく、高い値だけを採用して結論を導き出すなど、医学論文ならば罰則を受ける内容だ」と語った。再審請求については「受刑者の権利であり、再審請求だけならば何も意見は述べなかったが、医学的根拠のない主張を展開し、綾子さんの家族を傷つけているので記者会見した」と話した。

注:この記事では患者さんの名前は上記のように実名で出ていた.また,北陵クリニック事件の判決文,仙台地検の検察官意見書,仙台地裁の裁判官による棄却決定といった,誰でも閲覧できる公文書にも患者さんの名前はすべて実名で載っている.「被害者の名前を伏せるような奴は毒殺魔守大助とぐるになっている連中」というのが,法令の専門家である検察,裁判所.そして河北新報を含むマスメディアの一致した見解と見える.

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