精神疾患研究にもっと研究費を!

 

 自殺者が毎年3万人を超えるという、世界でもワースト10の自殺率に甘んじている日本。国民の3人に1人がかかるという精神疾患の研究がなぜこんなに進まないのか! 研究費が少ないからでは?といつもいらだちを覚えている私たちですが、本当に精神疾患研究の研究費は少ないといえるのでしょうか? そんなことを考えて以下の原稿を書きました。

追記:精神疾患研究で社会負担は減るのか?

 

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精神疾患研究費と医療経済

 

理化学研究所 脳科学総合研究センター 

老化・精神疾患研究グループ グループディレクター

加藤忠史

 

 現在、疾患研究に投入されている研究費額は、本当に社会の要請と合致しているであろうか? そんな問いに答える研究が、米国で行われている(Grossら、1999)。彼らは、各疾患の発症率、罹患率、入院日数、死亡率、損失年、DALY(障害調整生命年)の6つの指標と、各疾患に関する米国立保健研究所(NIH)の研究費額との相関を調べた。

これらの指標と研究費の相関を調べると、発症率(r=-0.05, NS)、罹患率(r=0.25, NS)、入院日数(r=0.24, NS)、死亡率(r=0.40, p<0.03)、損失年(r=0.42, p<0.02)DALY(r=0.62, p<0.001)であり、DALYが最も良く相関していた。従って、少なくとも米国においては、DALYが研究費支出の基準となっていることがわかる。

 

DALYの高い疾患は以下の通りである。

 

DALY(障害調整生命年)(1990年)(Grossら、1999

1        虚血性心疾患

2        外傷

3        うつ病

4        脳卒中

5        アルコール乱用

6        肺癌

7        認知症

8        糖尿病

9        慢性閉塞性肺疾患

10   統合失調症

 

このリストには、うつ病、アルコール依存、認知症、統合失調症、と4つの精神神経疾患が含まれている。

DALYから予測される研究費支出と実際のNIH研究費支出を比較した場合、相対的に最も低くなっている疾患はうつ病で、予測と比して14千万ドル(140億円)、研究費額が低くなっていると算定された。一方、予測よりも研究費が多くなっているのは、AIDS、乳癌などであった。このように、障害調整生存年(DALY)は、死亡年齢や障害度を加味した健康指標として多くの国々で政策立案のツールとして利用されている(池田ら、1998)。

 

一方、日本における研究費配分はどうなっているであろうか?

下図によれば、科学研究費において脳神経科学研究(58.5億円、4.2%)が占める割合は、成人病等(178.3億円、12.8%)の約3分の1、がん・エイズ(115.6億円、8.3%)のおよそ半分である。

(文部科学省ホームページより引用)

 

平成17年度の厚生労働科学研究費予算案でも、がん+エイズが668149万円(15.8%)、循環器+感染症が488714万円(11.5%)であるのに対して、こころの健康科学は203739万円(4.8%)と、やはり2分の13分の1となっている(長寿科学振興財団ニュースレター 200581日号)。

日本におけるDALYの試算(http://www1.mhlw.go.jp/topics/kenko21_11/s0.html)でも、以下のように精神疾患が上位3つを占めており、「がん」、「循環器疾患」、「精神疾患」がそれぞれ全体の約20%ずつを占める。

従って、日本における精神神経疾患への科学研究費、厚生科学研究費は、そのDALYの高さに比して著しく低く抑えられており、がん、成人病と同等のDALYを持つ精神神経疾患の原因を解明し、精神神経疾患による障害や自殺による死亡を予防するためには、脳科学研究費、特に精神神経疾患に対する科学研究費を、現在の23倍に増額すべきであると考えられる。

 

日本における障害調整生存年(DALY)(1993年)

 

1 がん        19.6%   

2 うつ         9.8%

3 脳血管障害      8.6%  

4 不慮の事故      7.0%

5 虚血性心疾患     4.9%

6 骨関節炎       3.5%

7 肺炎         3.3%

8 自殺         3.2%

9 統合失調症      2.5%

10 肝硬変             1.9%

 

 しかしながら、実際には、脳科学に関わる科研費は、下記の通り平成13年をピークとして極端な減少の一途をたどっている。(下の表では科研費は特定領域のみを示している)

経済コスト

 精神神経疾患では特に大きな社会コストがかかっている。米国における精神障害に関する直接の医療費は年間790億ドル(約79千億円)と算定されている(http://www.pfizer-zaidan.jp/pdf/hrn25ligh.pdf)が、ここには精神障害による失業、休職などに関連する間接費用はふくまれていない。これらの間接費用は直接費用の数倍にのぼると言われている。

日本における平成14年度の一般診療医療費は239113億円であるが、うち精神疾患(精神および行動の障害)の治療費は17667億円(7.4%)、神経系の疾患が6531億円(2.7%)で、合計24198億円(10.1%)を占めている

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/02/kekka6.html)。

精神神経疾患患者をかかえた家族の苦しみ、職場での影響などを考えると、精神神経疾患に要する医療費は、その社会コストの氷山の一角に過ぎないことは言うまでもない。

 

おわりに

このように、「がん」、「循環器疾患」、「精神疾患」という国民の3大疾患の治療を目指した研究のうち、精神神経疾患、特に精神疾患に対して、飛び抜けて研究費が少ない現状がある。認知症研究によってアルツハイマー病の病態の解明が大きく進み、既に治療薬開発研究が始まっているが、精神疾患においても、同様のストラテジーにより研究することで、同様のスピードでの病因解明と治療法開発が期待でき、精神神経疾患研究、および脳科学研究全般に対する研究費を現在の23倍に増額することは、大きな費用対効果を持つと考えられる。

 

参考文献

Gross CP, Anderson GF, Powe NR. The relation between funding by the National Institutes of Health and the burden of disease. N Engl J Med. 1999 Jun 17;340(24):1881-7.

池田俊也. わが国における障害調整生存年(DALY):簡便法による推計の試み. 医療と社会 8(3) 1998

平成17年度厚生労働科学研究費補助金予算額の概要. 長寿科学振興財団ニュースレター 200581日号