精神疾患研究で社会負担は減るのか?

 

 下の「精神疾患研究にもっと研究費を!」という拙文を、研究費配分に関して重要なお仕事をしておられる、さる方が読んでくださり、「精神疾患の社会負担が大きいことはよくわかった。しかし、研究費をつぎ込んだら、本当にその分社会負担が減るのか?」との御質問をいただきました。そこで、本稿ではその点について、何しろ未来のこと故「絶対」ということは難しいとはいえ、少し検討してみたいと思います。

 

精神疾患の社会負担とは何か、と考えてみると、1.精神疾患により労働できないこと、2.精神疾患による自殺、3.精神疾患に対する医療費、4.社会保障費などが含まれます。

 14の減少は、原因解明により即効性のある治療法ができれば、果たされるはずです。そのような治療が可能でしょうか? 最も社会負担となっているうつ病に関して言えば、電気けいれん療法(ECT)は、うつ病に対して9割前後の有効性があり、なおかつ即効性があることがわかっています。これがルーティンに行えない理由は、第一が同意が得られにくいこと、安全に行うためには多くの場合入院が必要なこと、低いとはいえ重篤な副作用のリスクがあること、そして一旦治っても再発のリスクがあることなどです。いずれにせよ、ECTの有効性、即効性から、重症のうつ病でも、急速に改善するポテンシャルはあると考えられ、同様の有効性を得る薬物療法を開発できる可能性は高いと言えましょう。

 2についても、ECTが積極的な適応になりますが、自殺念慮の強い患者さんは、「放っておいて欲しい」という想いから、治療に同意しないことが少なくありません。自殺念慮に対し即効性のある薬ができれば、より自殺を減らすことは可能と思います。もちろん、うつ病研究以外の自殺予防対策も重要であることは言うまでもありませんが。

 3については、現在うつ病は主として精神科で治療が行われ、プライマリケアで治療できるのは軽症で薬物が有効なケースに限られていますが、より有効性、速効性が高い治療法が開発されれば、プライマリケアで治療できる患者の割合が増え、コストのかかる精神療法の必要な患者が減るかも知れません。精神疾患なのに精神療法が不要になる、などというと、何か非人間的な印象を持たれるかも知れません。しかし、精神科医に話を聞いて欲しい…と思うのは、うつ状態で悩みをかかえているからであって、必ずしも悩みを聞いてもらえば治るという訳でもありません。早期に治ってしまって、別に精神科医にいろいろ相談する必要性を感じません、ということなら、その方が良いに決まっています。もちろん、認知行動療法などは有効ですが、その効果はストレスに対する耐性を高め、再発を予防するという、間接的な効果です。

統合失調症に関しては、発症するまでは、ほぼ問題ない社会生活を送れている訳ですので、その状態を維持すれば、長期入院や精神保健対策などによる社会負担の減少が期待できます。現在、早期診断法や顕在発症予防目的の薬物療法に関するエビデンスはほとんどありません。統合失調症の病因を解明し、こうした研究を推進することで、顕在発症者を減らすことができるはずです。

また、どの精神疾患についても言えることですが、精神疾患に対する偏見が、患者の服薬、治療の意欲をそいでいる部分があります。精神疾患への偏見がなくなれば、患者さんも、もっと気軽に精神科にかかることができるでしょう。病因を解明し、検査法を開発し、他の身体の病気と同じような、脳という臓器の病気であることが誰の目にも分かるようになれば、患者さんも通院しやすくなり、治療、予防が進み、その結果、社会負担が減ることにもつながるのではないでしょうか。

 

もう一つ。

精神疾患は解明が難しいから原因が解明されていない、と良く言われますし、私もそのように述べたこともあります。

しかし、実際に精神疾患研究を遅らせてきた主要な要因は、学生紛争時代に流行した反精神医学運動だったと思います。日本では、学生紛争以来、長い間その影響が残り、例えば東大精神科では25年間、紛争状態が完全には解消されませんでした。その間も研究が進めれていたとはいえ、そのために人材育成が十分でなかったところは否定できません。

幸いなことに、現在、神経科学・ゲノム科学の進歩、多くの神経内科疾患の原因解明の前例など、精神疾患解明の状況は整ってきました。

今後20年間、心ある研究者達が精神疾患解明を真剣に目指せば、主要な精神疾患は解明でき、社会負担減少につながると思います。