宇宙医学とは
「宇宙」と「医学」。この2つの言葉を聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?
「いや、全く関係ないじゃん!」という方もいれば、ISS(国際宇宙ステーション)で宇宙飛行士が実験したりトレーニングしたりしている様子を思い浮かべる方もいるかも知れません。
ひょっとしたら、骨粗鬆症の研究や、タンパク質の結晶合成による新薬開発など、ご存知の方も多いかも知れません。
しかし実は、「宇宙」と「医学」との間には、これだけに留まらない世界が広がっています。
しかもその世界は、殆ど未開拓も同然。誰もが参画できるブルーオーシャンなのです。
「宇宙医学」とは?
宇宙医学、と聞くと、「え、医学にそんな分野あるの?」と違和感を覚える方は多いのではないでしょうか?それもそのはず。
宇宙医学は、内科や外科といった分類とは全く異なる切り口で見た医学の分野なのです。
医学は通常、「人間の心身の何のどの側面を見るか」によって、心臓外科や神経内科といった風に分けられていきます。
対して宇宙医学は、「人間の心身は宇宙空間でどう振舞うのか」を追求する学問であり、「人間をどんな環境に置くか」によって分類したうちの一つです。
宇宙空間の人間にとっての特徴は、大きく
- 微小重力
- 高放射線量
- 閉鎖環境
が挙げられます。こんな環境に行った時、人間の体に何が起きるか、想像してみて下さい。
きっと、疑問だらけになるのではないでしょうか。
足の筋肉はどうなるのか?全身の血液は、地上と変わらずに流れ続けるのか?
上も下も分からず、変な感覚にならないのか?口に運んだ食べ物は、地上と同じ様に喉を通るのか?子供の背は、「縦」に伸び続けるのか?
「宇宙に生きる」プロジェクト
このような疑問を探求しているのが、宇宙医学の研究者です。
日本では戦後の早い時期に始まり、脈々と研究が積み重ねられてきました。
そして今、宇宙で人間が生きていくために必要な知見を包括的に知るためのプロジェクトが動いています。
それが、科研費の「宇宙に生きる」プロジェクトです。
リーダーは、JAXAで今も活躍されている、古川聡宇宙飛行士。医師というバックグラウンドを持ってのISSでの長期滞在で、
宇宙という特殊空間区間ゆえの様々な医学的ストレスを経験した古川氏は、「これらは相乗的に作用するのではないか。地上でも関連する問題があるのではないか」と考えるに至り、このプロジェクトを始動させました。
「宇宙に生きる」は11の計画研究班と28の公募研究班とによって進められる。各班の研究内容は、実に多種多様。ここでは、その一部をご紹介します。
顔はむくみ、視力は落ちる?
試しにインターネットで、JAXAの宇宙飛行士の宇宙飛行前と飛行中の写真を見比べてみると、飛行中の顔の方が別人のように丸くなっているのが分かりますね。
これは、普段血液を下半身へ引っ張っている重力が無くなることで血流が上半身側に流れ込んでくることで起きる現象で、「体液シフト」と呼ばれます。
また、宇宙飛行の時に飛行士の視力が落ちてしまう、ということが経験上知られています。これは、頭蓋骨の中での体液の分布が変わることで、視神経への圧力が高まることが関係しているのではないかと言われていますが、
確定的なことはまだ分かっていません。日本大学の岩崎教授率いる研究班では、血液などの体液の体のめぐり方が、重力の変化によってどのように変わるのかを研究しています。
重力は細胞1つ1つに働く、という「当たり前」の話。
皆さんが地上で真っ直ぐ立てるのは、三半規管が重力を感知しているからです。
「当たり前」の話だよ、という方も多いと思います。
しかし、そうしたマクロなレベルだけではなく、細胞や臓器といったミクロなレベルでも、重力を感知する仕組みが働いているかもしれないのです。
確かに、重力が三半規管だけではなく体の細胞すべてに働いている、というのは考えてみれば「当たり前」かもしれません。
岡山大学大学院の成瀬教授率いる研究班では、重力のお消失が細胞内の繊維の張り具合に影響するのではないか、と考え、細胞が重力を感知する仕組みを研究しています。
対策必須、宇宙放射線。
見えないけれど、避けられない。放射線の恐怖は、原発事故でも記憶に新しいでしょう。
地球の大気というベールの外にある宇宙空間では、地上よりもはるかに多くの放射線を浴びることになります。
しかも、一度に沢山ではなく、常日頃から、じわりじわりと。種類も、あまりモノをすり抜けない代わりに当たった時のダメージの大きな粒子線という、地上ではあまり心配されない部類のもの。
そのため、対策が必須であるにもかかわらず、宇宙放射線の影響は、よく分かっていないことが多いのです。京都大学の原田教授率いる研究班では、マウスを用いて、宇宙放射線が様々な臓器に及ぼす影響を研究しています。
こんなところにも宇宙医学?
ここまで読んできて、「いや別に自分は宇宙なんて行かないし、関係ないよ」そうお思いの方も、いらっしゃるのではないでしょうか。しかし、それは大きな誤解です。
重力に逆らう必要のない宇宙空間での筋肉 量や骨量の低下は地上での老化現象によく似ているので、それをいかに防ぐかという宇宙医学研究は、究極のアンチエイジングと呼ばれます。
ISSという限られた環境下で実験や測定をするために、コンパクトで扱いやすい機器が次々と開発され救急医療への応用が期待されています。
飛行士のチームに医師がいるとは限らない中で必要になる遠隔医療技術は、今後地上でも不可欠なものです。
宇宙という過酷な環境が人間に及ぼす影響は、地球上での極限環境の医学に応用でき、また宇宙という厳しい制約の中で培われた技術は、どこであっても使えるものとなるのです。
まだまだ未開拓なブルーオーシャン!
これまでよりももう一段階根本的に言えば、宇宙医学は「人間にとって重力とは一体何なのか」という大きな問に立ち向かう学問でもあります。
「重力って、人間にとって当たり前じゃないでしょ?」という宇宙医学は、「ケータイにボタンが必要なんて、誰が決めた?」といってiPhoneを作ったスティーブ・ジョブズのような、革新的な存在なのです。
その革新的領域であるが故に、宇宙医学は分からないことだらけです。
「宇宙医学という決まった学問が体系だってあるのではなく、医学の個々の専門性をもった人がそれを宇宙に持って行ってどうなるかを調べているのが、今の段階です」と、日本大学の岩崎教授は言います。
それはつまり宇宙医学が、あらゆる人が参入でき、そこでオープンなイノベーションの起こるブルーオーシャンだということです。
研究だけじゃない?宇宙医学のこれから
これまで見てきた宇宙医学は、「宇宙飛行士の飛行中の健康を保つ」「宇宙という空間の特殊性を活かした実験の結果を、地上の医学に反映する」というものでした。
が、「医学」と「宇宙」の関わり方は、本当にそれだけでしょうか?
もう少し先の未来、宇宙旅行が当たり前になった時代には、家族連れやご老人も宇宙を楽しむ日が来るでしょう。
そうなった時、宇宙でケガをしたりちょっと体調を崩したりしても、地球から医師を呼ぶことはできません。
つまり、「宇宙空間での医療行為」が必要になるのです。それがどんな形になるのかは、完全に未知数です。
何を遠隔で行って、宇宙には何人の医師がいて、ロボットとはどのように分担するのか。宇宙ステーションならぬ宇宙病院ができるのか。
微小重力下で、どのようにして手術をするのか。どこの国でもない空間で、どういう法に従って治療するのか。
どのような形にせよ、今までに無かった全く新しい医療が登場することになるのは間違いありません。
今からワクワクしますね!