国際保健が分からない

 国際保健のセミナーに参加した。僕は、国際保健が何をするところなのかいまいち分からなかったので、いろいろ発表を見たり議論を聞いたりしたが、しっくり理解できない。そこで、会の後でえらい先生に国際保健の定義を聞いた。先生は、「国際保健は途上国の保健福祉の向上を目指す学際分野で、日本が世界から信頼を得るのにも役に立つ先進的な分野だよ」と丁寧に教えてくれたので、ふむふむなるほどと納得してその場は終わった。

 でもよく考えると、ひとくちに保健福祉の向上と言ってもいろいろあるのだから、困ってしまうではないか。そもそも、保健福祉は医学界の専売特許ではないのに、どうして国際保健はこんなにも医療の世界でしか流行らないのだろう。学際的と言いつつ、結局は「途上国でやる医学」を超えていないのではないのか。ほとんどの医者なんて政治とか経済の素養もない単なる体の修理屋だし、学際分野なら、経済学とか農学とかがリーダーシップを取ると思うけどなあ。こう考え直した僕は、もう一度定義をあたってみた。

 すると、香川医大のある先生による国際保健の定義を見つけた。

発展途上国に住む人々の保健・医療・福祉の向上を目的に、臨床医学・感染症学・公衆衛生・疫学・人類学・地理学・社会学・経済学・政治学等の多角的領域を含んだ、方法論に関する実践的な学問、総合科学・応用科学

ありゃりゃ、学問を羅列しているだけで、これでは先のえらい先生の説明と同じではないか。とは言え、どこを探してもこれと同じような定義しか出ていなかった。先生は、

「人間と人間の生活」に関することはすべて含まれます。

とも書いているが、これもよく見かける言い回しだった。これでは、国際保健は人類を救うことなら何でも含むことになる。あんまりだ。「国際保健はすべてを含む」なんて言っていると、「国際保健のための経済学」とか「国際保健のための人類学」などという言い回しが氾濫しはじめ(すでに氾濫してるけど)、他の学問・領域を補完勢力と錯覚し、国際保健という名の現在医学が逆にのさばるだけではないのか!?

 国際保健のための××という言い回しの何が悪いわけではないが、国際保健が医学中心で動いている現状では、保健が他の諸分野の上位にあるとでも言うかのような傲慢さを感じる。保健を中心に見据える以上、そのような言い回しは仕方ない、との意見もある。でも、国際的な援助の枠組みで、「国際保健」とは言っても「国際農業」とか「国際環境」とは称さない。いちいち「国際」を冠しなければならない実情が、ここに現れている。

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 今のところ、国際保健の定義付けには1つの大きな方向性があるように思える。国際保健を、定義不能な学際分野と認めることである。これは、「自分たちは国際保健をやっている」と認識している人の活動を国際保健とする、とも言い換えられる(まるで安っぽいデカルトのようだが)。個人的な観察では、多くの国際保健関係者は、この「定義」をひそかに採用しているように見える。

 しかし、この定義は現状にそぐわない。学際性をたいへんに重視し、医療を相対化する意志を表明しておきながら、現実にはちっとも学際的ではないからだ。厳しい言い方をすれば、医療関係者が生かじりで他の分野の理論・手法を使おうとしていることがほとんどではないか。実際、医療人類学などは、「消費」の標的にされて、「よい医療を目指すための人類学」などと捉えられがちだ。医療人類学は、医療関係者が流用できるほど生半可な分野ではないと思うし、ましてや「医療に奉仕するための」分野とはとても思えない。

 国際保健について、「何か活動してれば許されるのさ」式の定義は、うんざりである。


 

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