晩餐に遅れた夜は

「私はドクターであってアクター(役者)ではない。帰りなさい。」

 ペシャワール会報No.63「誤解を生むNHKの表層的編集」より。NHKの 特番制作担当者が,中村哲医師に「先生,難民の貧しい子どもの家を 訪ねてもらえませんか。」と依頼したことへの中村医師の言葉。

 ペシャワール会の代表である中村哲医師は,私がもっとも尊敬する 国際保健活動家(この呼称が正しいとすれば)です。もっとも,私は 実際に海外にて活動を進める方にのみ敬意を覚えるようですので,海 外見学をまったく経験していない私は,まっとうな国際保健活動家に ほとんど会ったことがないことになります。中村哲医師は,大学の先 輩であることもあって偶然知っているだけの話であり,他にも立派な 方は多々おられるはずです。

 最初に引用した彼の言葉は,NHKのディレクターが「かわいそうな 難民の子ども」をテーマに特番を組んだ時のものとのことです。ペシャ ワールに住むある少年を主人公に番組を作る際,ディレクター氏は 「お定まりのレスキューファンタジーにのっとってって作ればよかろう」とし か思いつかなかったらしく,結局いかにもな番組ができあがったので した(レスキューファンタジーとは、私の親友の造語で、救援幻想とでも訳すべきでしょうか。地歩を固めることなく「自分がかわいそうな人を助けなきゃ!」と悦に入っている独善家を風刺した言葉です)。

 とは言え,私はこのディレクター氏の発想を俎上にのせたいのでは ありません。中村医師の対応について考えたいのです。

 中村医師の「杓子定規」な対応は,同じ九州男児である私には強い 共感を引き起こすものではありますが,ちょっとストイック過ぎるの ではないかとの見方もあるはずです。自分の信念にそぐわなくても, きわめて強力なメディアであるNHKで「かわいそうな難民を助ける熱 血医師」を演じることは,日本人の共感を引き起こすことにより,結 果的にペシャワールのためになるかもしれません。第一,時間を割い て難民の子どもを訪ねたからといって,誰の害になるわけでもありま せん。中村医師の対応は,カッコよく言えば「信念に殉ずる」とでも なり,別の言い方を持ち出せば「とっぽい」(田舎くさい)となります。

 視点を変えましょう。みなさんが,国際保健という社会的認知の低 い分野で活動しているとして,(数少ない)マスコミへの登場は資金 や人材を得るたいへん重要な機会であるはずです。そのような点を考 慮するとき,冒頭のような状況に対してみなさんはどう対応されるで しょうか?

 はっきりしていることは,どのような対応であれ賛同と非難を同時 に受けるということだけです。割り切った考えでディレクターに従う ことは,名を捨て実を取る戦術ではありますが「杓子定規」派からは 理念に欠けるとの非難を浴びることは必定です。中村医師のような対 応は,私のような原理主義者からは快哉を浴びますが実利派からはそ のとっぽさ(あるいは田舎くささ)に対し軽い侮蔑が投げかけられる でしょう。ディレクターの言葉に何の疑問も感じずに従った場合には, 世間一般の大いなる賛同を得られますが,熟練の活動家からは素人扱 いされても仕方ないでしょう。

 すでに世間への姿勢が定まった者ならばともかく,アイデンティティ を模索する年代では,ある日には原理主義者をある日にはオポチュニ ストを演じる日々を送っているわけで,このような踏み絵にはちょっ と参ってしまいます。

 なお,「結局,‘正しい’行動なんてないんだ」と思う立場もあり ます。しかし,その言葉は私の問いに答えてはいません。内容が正し くても何の役にも立たない言葉は議論の障害ですので,ここでは取り 扱わないことにします。  さてさて,中村医師の対応はどうなんでしょうね。


 私が生まれた1976年当時の首相は,三木武夫でした。彼の率いる派 閥は自民党内でもっとも小さかったため,政局の主導権を握ることな ど夢のまた夢(のはず)でした。一方,当時の自民党には田中角栄が おり,彼は押しも押されもせぬキングメーカーとして政界に君臨して いました。両者は比肩すべくもありません。

 しかし,三木武夫は巧妙な取り引きにより政局のキャスティング ボートを握る天賦の才があったのです。田中派と福田派が拮抗して争 う中,コウモリのような動きで両派に働きかけ,ギブアンドテイクの 関係を確立することで,彼の派閥は常に大臣のイスを確保し続けたの でした(異例にも)。

 さらに重要な彼の資質として,マスコミを取り込む術があげられま す。「金権政治打破」「潔白な民主主義」などといった聞こえの良い 主張を適切なタイミングでブチ上げ,それを大新聞が取り上げる。他 派の自民党代議士には耳の痛い話ですが,マスコミをうまく使うこと によって国民の関心を自分に集めることに成功し,他派閥から潰され ることはありませんでした。結果として,クリーンイメージの三木武 夫は,金権批判で退陣した田中角栄の後釜として首相になれたのです。  田中角栄による三木武夫評が残っており,なかなかに的確と思われ るので,紹介します。

「三木はしぶとい。あいつはやり手の婆さん芸者みたいなものだ。三 味線の音が聞こえてくると,呼ばれもしないのに座敷へ飛び出してき て踊り始めるんだ。日本の政治家で,本当の意味で俺とケンカできる のは三木しかいない。」

 さて。三木武夫であれ,国際保健であれ,看護学であれ,その世界 でのマイノリティであることは間違いありません。少数派は既存の社 会的枠組みに対抗的に理論武装することで生き延びようとする傾向が あります。三木武夫は金権政治に対抗し,国際保健は既存の医科学に 対抗し,看護学は医師の権威に対抗する(すべての側面がそうではあ りませんが)。

 国際保健なんて,日本の医師国家試験では,全320問中,アルマア タ宣言とクワシオコアが1問ずつ出るかどうかといった扱われ方で, 既存の医科学の中では傍流もいいとこです。国際保健がさまざまな概 念や用語や手法を繰り出して存在を主張する姿は,晩餐に遅れて到着 した無名の客が,すでに盛り上がっている‘既存’の客たちに対して 自己アピールをどう行おうか考えあぐねている姿を想起させます。す でに盛り上がった飲み会に途中参加するのは,実に寒い体験ですよね。 そこでさらに自己主張するには,a lot of politics(「さまざまな 手管」とでも訳すか)が絶対に必要です。三木武夫は,まさにマイノ リティの鑑であったと思います。

 話を中村哲医師に戻します。以上のような観点からすれば,中村医 師の行動は,ペシャワール会自体のためになるかどうかは別として, 国際保健の社会的認知を上げることにはつながらなかったのではない かと思えます。晩餐に遅れた無名の客が誰からも話しかけられること なくひとり静かに食事をしても,パーティーの主役になることはあり ません。奇芸を披露して注目を浴びるぐらいのことはしないと難しい でしょう。

 その意味で,AMDAや国境なき医師団は,国際保健の地位向上に強く 貢献しています。この分野にまったく疎い高校生でも,国境なき医師 団ぐらいは知っています。あれにあこがれて医学部を目指したという 人はゼロではないでしょう。「この種の活動には,広報こそがきわめ て重要だ」とは,国境なき医師団日本事務局長のドミニク・レギュイ エ氏の言葉ですが,国際保健活動家にそのような発想が必要であると の意見は説得力を増しているようにも思えます。私も,ドミニク氏の 意見に賛成するところが少なくありません。

 しかし,私はそれでも中村医師に賛同するのです。そして,賛同の 理由は,医療系NGOの広報活動はちゃらちゃらしてて嫌いだとか,そういう原理主義的なところにあるではありません。広報の威力は過小に捉えるべきでは ないでしょう。にも関わらず,私は中村哲医師の行動を支持している のです。


正直申し上げて、国際保健の世界には、ダメ人間が自分勝手 なヒューマニズムを表現したがっているだけなんじゃないかという側面が (他の分野に比して)大きくあると思います。メインストリームに不適合で あった(それが能力でも人格でも顔でも何でもいいのですが)からといって 自分の内的な渇きを外的なヒューマニズムで代償すべきではないと思います。 それは盲目的で効率の悪い活動をもたらしますし、公開マスターベーションとさえ言えます。

 「国際保健は常に無力だが、国際保健が好きなんだ」という本音ベースの 表明は、国際保健の虚飾をはぎ取り、国際保健オナニストどもが楽園と思っ ていた世界が実は荒野であったことを知らしめてしまいます。

 でも、そっちのほうが最終的にいいんだと確信します。虚飾をはぎ取るこ とで立ち去っていく人材よりも、本音を知らしめることで集まってくる人材 の方がよほど優秀であるからです。私の友人でも、フィールドワークの資質 を持ちつつも、国際保健が発する甘いにおいを敬遠して現代医学に身を投じ ている埋もれた人材が10指に余るほどいます。「ちゃんと現場にいれば、 国際保健が泥臭いなんてこと自然に分かるよ」では決定的に遅いのです。最 初から泥臭いことを公表してしまえば、潜在的な人材を他の分野に取られる ことがなく、また不必要にオナニストが集まるリスクも減るでしょう。頭の いい連中は、本音に潜むロマンティシズムをむしろ好むのです。それに、甘 い蜜を振りまいてまでマンパワーを集めねばならない段階に日本の国際保健 が達しているとは思えませんし。

 晩餐に遅れたからといって目立とうと騒ぐのはロクなことがない、との私の主張はまさにここに根拠をおいています。騒ぐ、という行為自体が、旧秩序が押 しつけた価値観に沿って行われてしまうからロクなことがないのです。国際 保健で例えると、ゲノムや外科の連中が国際保健に抱いているイメージはお 涙頂戴的人助けといったものであり、後発部隊の国際保健がエスタブリッシュ メントの中で騒いで目立つためには、このお涙頂戴的人助けを忠実に演じて みせないと相手にされないのです。ゲノムや外科に代表されるエスタブリッ シュメントからは、同情のおひねりが少しばかりは飛んでくるでしょうけど も、同時に国際保健のレスキューファンタジックなイメージがますます増強 される悪循環に陥るわけです(実際、AMDAやMSFはその悪循環に陥っている でしょう?)。

 私は、そんな労力の無駄はもうやめよう、と言いたいのです。私の親友があるところで述べた言葉として、「医療援助を美しく飾るのではなく、実は役に立たないことの方が多いんだという痛烈な無力感を共有できてこそクオリティの高い活動が保証されるのだ」というものがあります。まったくその通りです。晩餐に遅れたっていいじゃないですか。どうして 遅れてるからと騒ぐのでしょうか。国際保健を、メインストリームに適合で きなかった自分のカタルシスを得る場として捉えているから、認めてもらえ ないと嫌なんじゃないですか。

 ガッツと知性とロマンを併せ持つ、少数の指導者から始めて、徐々にテリ トリーを広げていくというやり方に、マイノリティの我々はそろそろ方針を 転換すべき時期を迎えているように思えます。そのうち、自分たちのための、 新しい晩餐が催されるようになります、絶対に。

 そのような意味で、私が注目しているのはナイチンゲールです。彼女は、 看護というまったく新しい分野を医療世界に創出し、しかも根付かせた。こ れはドえらいことです。クリミア戦争の支援に出かけてものを考えた奴は何 人といたでしょうが、彼女はそこからスタートして自分の思いついた新分野 を何百年も根付かせるための理論化にも力を入れ、その試みは成功しました。

 もっとも、何百年も続く分野を創出するためには、裾野を広げなければな りません。彼女は、看護婦に「白衣の天使」という甘ったるいイメージを負 わせることで、一般社会からの人材流入に道を開きました。理論化も人材の 確保もほぼひとりでやったわけで、最大限の敬意を表します。はっきり言っ て、ナイチンゲールの本質はランプ持って傷病兵を見舞った行為にあるわけ ではないでしょう?あれはあれでひとつの象徴かも知れませんが、看護とい うひとつの理論体系を持ったプロフェッションをこの世に生み出し、人材供 給にもめどをつけ、人類の福利厚生に大きく寄与したイデオローグとしての 姿が、彼女の本質でしょう。

 看護は、国際保健や公衆衛生や心療内科なんかと違ってマンパワーが必要 な分野ですから、甘ったるいイメージを負荷したままにしておくのはあなが ち間違いではないと思います。ナイチンゲール自身は、看護をプロフェッショ ンとして捉え、狭い意味での人助け集団とは決して考えなかったはずですが、 看護百年の戦略を見据えて「白衣の天使」イメージを容認したのだと推測し ます。日本の看護学校の玄関に「ランプ持てるナイチンゲール像」が置かれ、 戴帽式で涙を流す宗教的な集団をあの世から見ているナイチンゲールはさぞ かし苦笑していることでしょう(これを読まれている看護関係の友人のみなさん は、「看護は涙流すようなアホじゃない」と思うかも知れませんが、大多数 の看護学校ではヒューマニズムへの隷属を強制している現実があるわけです。 そんな宗教性から抜け出すための‘看護高学歴化計画’ですね)。

 さて、ナイチンゲールの偉大さを認識しつつも、私たちは別の道を歩まね ばならないことにも気づきます。上でちらりと触れたとおり、国際保健や公 衆衛生や心療内科といった晩餐遅刻組は、マンパワーよりは優秀な活動家を 必要としています。ナイチンゲールの業績の内、人材供給に関してだけは、 彼女のまねはできません。まねをすると、今の国際保健、公衆衛生、心療内 科みたいに、ちょっとずれた人材の比率が高まってしまうからです。

 時代はクリミアの頃と変わりました。日本国民の教育レベルは高く、憲法 論争に見られるように、聖域なく本質を論じようとする知的渇望が高 まりつつあります。人材呼び込みに際し、甘くおいしい話に代えて本音ロマ ンティシズムを用いたほうがむしろよい時代に突入してきたと思われるので す。テロネットの3人が、21世紀はポピュリズムが横行する時代だとの予測 を展開されました。このまま、あいまいなイメージで呼び込みを続けている と(ex.社会医学セミナー)、晩餐遅刻組はどっと流入してくる気ままな大 衆に蹂躙されることとなるでしょう。国際保健は言うに及ばず、公衆衛生で も、臨床医らのEBMへの参入などでその兆しが見えつつあります。流入を防 ぐことが難しい以上、とりあえず、中枢を少数の理論家で武装防御せねば内 容の変質を逃れることは困難でしょう。

 このような、甘いイメージの放棄と本音ロマンティシズムへの転換には時 間と痛みが必要です。やれるとしても、50年ぐらいかかるんじゃないでしょ うか。でも、自分たちはちょうどよい年頃ではないですか。理論武装と同時 に、本音ロマンティシズムによってより効率の良いヒューマニズムの実現を 図るのは、50年ぐらいかけてみんなで連帯してやるライフワークとして過不 足がないと思います。私は、そのような社会運動の唱道者(advocator)と して微力を尽くしたいと思っています。みなさんも、よろしければ、ご一緒 にいかがですか。

 テレビに出た中村哲はこう言うべきです。「好きでやってるんです。そう いう分野なんです。好きな人はどうぞ。」

 本音ロマンティシズムが人気を博すのはフジテレビのドラマの中だけではな くなりつつある、と述べて筆をおきます。読んでいただいてありが とうございました。



 

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