ブックレビュー

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 97年の秋から冬にかけて、SOMAという学生団体から医療人類学に関するニュースレターを発行しました。このニュースレターには書評欄があり、僕もいくつかの本についてコンパクトな感想を載せました。
 どれも印象深く読みごたえのある本でしたので、短いながらこのページにまとめて収録することにしました。


『人類学のコモンセンス』

(浜本満・まり子:学術図書出版社/1995円)


 医療人類学は、(一般に誤解されているように)「医療」と「人類学」をつまみ食い的に混ぜた学問ではないはずだ。まず最初に文化人類学の基本を学ぶこと、それが医療人類学に向けられた「よい医療を目指すための実用的学問」との思い込みから離れる第1のステップだろう。

 大学の文化人類学テキストである本書は、編者自身も認める通り、テキストと呼ぶには型破りである。序文で編者は「人類学に興味のない学生に対して、人類学の概念や用語を並べたてても退屈でしょう」と言い切り、返す刀で、未開の奇習を紹介して学生の歓心を買う従来の講義を「反則技」として切り捨てる。その上で「人類学者が共通に持つ『ものの見方』、『センス』をお見せするのがこの本の目的です」とさらりと付け加えている。

 人類学者の「知識」ではなく「常識」を伝授しようとするこの困難な理念は、書名に示されているだけではない。内容も理念に背くことなく、どの類書よりも面白い。8人の著者が、有名な人類学理論を簡明に折り混ぜつつ人類学的思考を披露していく様は華麗でさえある。この本だけで全てが理解できるわけではない。しかし、医療人類学を学ぶ上で外せない一冊、と言っては誉めすぎだろうか。


『医学史と数学史の対話』

(川喜田 愛郎・佐々木 力:中公新書/693円)


 この本は2人の学者による対談形式をとっており、格調高い文章が続く。内容は科学の本質論議、皮相な現代医学批判への憂い、生命倫理の今日的な課題から臓器移植医療への考察など多岐にわたっている。驚くべきは、すべての内容に対して的確な指摘がなされていることである。それでいて俗論ではない。

 この本は科学史に触れる前半と医学を考察する後半に分けられるが、全体を通じて繰り返し登場する「医学は技術である」との言葉は、平凡だが深い。これこそ、医学に人間性を取り戻す最良の定義ではないだろうか。

 オブスキュランティズム(あいまい主義)という耳慣れない用語がテーマとなるあたりから新しい議論が展開する。著者らは、<東洋医学は西洋医学より人間的だ>とか<科学は非人間的>との思い込みを歴史的根拠がないあいまいな主張として厳しく批判している。特に、「医学者にとって機械論的哲学と生気論は両立可能であるべき」との主張は、安易な医療倫理を叫ぶ前に検討する価値がある。

 他の部分からも学ぶところは非常に多い。この本は、<近代医学v.s.人間的な医療>などという低レベルな思考を超えて、近代科学と医学のあり方を探る際の良質なテキストとして、多くの人に読まれるべきだろう。


『お医者さん』

(なだ いなだ:中公新書/693円)


 明確な視点と人間への温かみを持った平凡な医者、なだいなだはそう呼ばれるに足る数少ない作家として僕たちを魅了しつづけている。この本は、平易な文体を用いて、安易な感情論を避けつつ医者と患者の理想の関係を探る異色作である。

 <医は仁術ではない><名医などいない>。実例を挙げて医療に与えられた神的な幻想をはぎ取っていく筆者の論理は、本人も認めているように医者側の論理である。誤診の隠れみのとして使われかねない言い訳と見ることもできる。しかし、医者と患者双方の問題点をじゅんじゅんと説く筆者の姿勢の中に、なるべく理知的であろうとする良心を強く感じるのは僕だけではないだろう。

 世間には<よい医療>を求める声があふれている。多くの提案も出ている。それらの意見や提案には、結果として<よい医療>をもたらさないものも相当数あるようだ。そうでないものの特徴は、医療に神的な理想を押し付けて、結局医療の権威づけを増長させるものであることが多いように思われる。その点本書は、<よい医療>を考える時のまっとうなスタート地点としての意義を持つと言える。

 ただ、高校時代の僕は、この本がよく理解できなかった。医療がそんなに特別なものではない、とは医療の中に身を置くもの以外には分かりにくいことなのかもしれない。


『現代倫理学入門』

(加藤 尚武:講談社学術文庫/760円)


 倫理学がこんなに知的好奇心をくすぐるとは知らなかった。著者は倫理学の泰斗であると同時に啓蒙にも力を注いでおり、この本は素人にも分かりやすい。

 医療の現場では、マスコミレベルの善悪観念では太刀打ちできないことが多いはずだ。治療の打ち切り、妊娠中絶、患者の幸福...倫理学は善とは何かを追及する学問としてよりも、「善」概念のもたらすジレンマを徹底的に考察し抜く実践としてあるらしい。

 その例として、目次を抜粋してみる。「人を助けるために嘘をつくことは許されるか」「10人のエイズ患者に対して特効薬が1人分しかない時、誰に渡すか」「判断能力の判断は誰がするか」「思いやりだけで道徳の原則ができるか」「貧しい人を助けるのは豊かな人の義務であるか」...ほら、答えを知りたい命題ばかりでしょう?  このような興味深い命題に沿いつつ、ミルの功利主義やエンゲルハートの生命倫理学をやさしく説明してくれるのでありがたい。

 ただ、この本は、上で示したジレンマに明確な解答を与えてはくれない。考える材料を提示するから料理は自分で...というわけである。そこがまた、マニュアル全盛なご時勢に反していて楽しい。


『医療と神々』

(宗田 一監修 池田 光穂著:平凡社/2000円)


 やや変わった内容の本である。前半は、医療にまつわる東西の神々を個別に解説した神話関係の内容であり、後半は、医療人類学入門となっている。前半の神話は措くとして、今回は後半部分を紹介したい。

 医療人類学に関する入門書は、「医療人類学とは何か?」という、初心者がもっとも知りたい問いについて明確な解答を与えていない。解答などない、と開き直るのもひとつの手だし、むしろこの分野の本質に近いようにも思えるが、初心者に対して不親切である。

 この本では、この分野のあらましを著者独自の視点を交え、読みやすく説明している。医療人類学の下位領域をまとめた部分は特に良かった。医療人類学を端的に紹介する試みはある意味無茶なのだろうが、著者はそのような無茶を重々承知しつつ敢えて本を書いているように思われる。

 何にせよ、この本がひとつの見解の表明であることを忘れさえしなければ、この分野を知りたい者にとって、この本が格好のベースキャンプになることは間違いない。


 

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