医学あるいは医療のマルチメディア化において必須となるデジタル画像は、デジタイズの過程でかなりの情報が失われてしまう。特に、現状では十分な色再現性が得られずに、診断精度を損なう恐れが残されたままである。マルチスペクトル・イメージング技術は、RGB方式では得られない正確な色再現手段と、色情報のなかで診断精度に影響する因子を解明し、それを指標化するための強力な研究手段を提供することにより、医学領域において大きな貢献が期待される。そのためには、コスト、感度、処理速度の今後の改善と、分光情報を用いる表示装置の実用化が条件となる。
キーワード:デジタル医用画像・マルチスペクトルイメージング・分光情報・色・色再現性・診断等価性
Digital images, which are indispensable for medicine of multimedia era, lose a large amount of the original color data in digitizing process. Especially, their inaccurate color reproduction possibly affect the medical diagnoses. Multispectral imaging is expected to play an important role in medical field by means of providing far more precise color reproduction of digital images than RGB system and a fine tool for investigating the essential color factors to reliable medical diagnoses and developing some index to represent them quantitatively. For that, improvement of its costs, its sensitivity, its speed of measurement and affordable multispectral displays are required.
1.はじめに
遠隔医療、電子カルテ、電子教科書、遠隔教育等の実用化が進み、それに伴って大量のデジタル画像やその入出力装置が医療分野に普及しつつあるにもかかわらず、それらによってなされる医学的診断の信頼性については未だ十分には確かめられていない。そこで本稿では、この問題に関する研究の現状を紹介し、そのような背景の中で、分光情報を用いたデジタル画像の記録技術、即ちマルチスペクトル・イメージングの医学領域において期待される役割について論ずる。
2.背景
医用画像の使用目的は正確な医学診断に他ならないから、デジタル画像の医療応用においては、医師がそれらを観察して、実際の患者あるいは従来のメディアに記録された画像と同じ診断精度が得られることが最終目標となる。
両者の比較検討のため、従来の画像診断の過程を分解すると以下のようになる。
(A1) 観察対象物が多様な波長の混じった固有の光線を発する。この光線の特性は、対象物の表面性状と照明光によって決まる。またX線や赤外線のような目に見えない電磁波が、何らかの手段により可視光に変換される場合もある。
(A2) 対象物の発した光波は、虹彩、水晶体および硝子体を通過し、網膜に達する。この過程は虹彩の色と光路の透明度に影響される。
(A3) 網膜の桿体細胞が光波の明度を周波数変調された神経パルス信号に変換すると同時に、3種類の錐体細胞が光波の色を神経パルス信号に変換し、視神経に伝達する。この過程にはこれらの細胞や他の細胞間で複雑な相互作用がなされると考えられているが、詳細はまだ解明されていない。明暗および色彩に関する順応の現象が、これらのセンサー細胞から発射される神経パルス信号に大きく影響することは、重要な事実のひとつである。
(A4) 脳に送られた神経パルス信号がイメージに変換される。この過程は視覚と呼ばれ、さまざまな画像の特徴抽出や抽象化が行われる。
(A5) 抽象化されたイメージは記憶に蓄積された概念と結びつけられ、何らかの意味を与えられる。この過程は視覚認知と呼ばれ、殆ど解明されていない。
(A6) 呼び出された概念は脳に蓄積された経験や知識を用いて比較、推論が行われる。この過程は意思決定と呼ばれ、未だに神秘の謎に包まれている。
これに対し、デジタル医用画像を用いた診断の過程は以下のようになる。
(B1) (A1)と同じ。
(B2) 対象物から発した光は、RGBの3原色の組合せで表現された画素を升目に並べたデジタル画像に変換される。この過程では光線の持つ大部分の情報が失われるとともに、A-D変換装置の特性によってさまざまなバイアスが加えられる。
(B3) デジタル画像は一端格納あるいは転送され、異なる時あるいは場所で使用される。
(B4) RGB3原色の組合せで表現された各画素の色の情報に従って、各画素ごとに配置された表示装置の3種類の素子が、その色と同じ刺激を網膜に与えるような強さで、それぞれ赤、緑および青の光波を発する。この3種類の色の波長帯域の中には、3種類の錐体細胞の反応曲線のピークと大きくずれているものがあるため、実際には近似しきれない色が存在する。
(B5) それぞれの素子の発した光波は、虹彩、水晶体および硝子体を通過し、網膜に達する。この過程は虹彩の色と光路の透明度に影響される。この光波は自然光と異なり、3つの波長帯域だけからなるため、受ける影響は(A2)とは異なる可能性がある。
(B6〜9) (A3〜6)と同じ。
これらの中で、(B2)から(B5)までのステップが医学的診断に悪影響を与える原因となり得る。
3.関連研究の最近の進展1,2)
デジタル医用画像の色に関する最も古い研究のひとつは、本邦の形態検査インターネットサーベイ研究班によってなされている。この研究班は文部省が7大学から9人の研究者を募り、それを核として臨床検査医学あるいは臨床病理学の各分野から30名余の研究者を鳩合して、1998年に組織したものである(詳細は研究班ホームページ<
http://square.umin.ac.jp/survey/>を参照のこと)。以下にその研究経過の概要を紹介する。
(1) 尿、血液、微生物、免疫、生理および病理の各分野から典型的標本を集めてデジタイズし、超高精細LCD(QSXGA, 200 pixel per inch)を含む各種の表示装置で診断精度を評価した。
(2) 多くのデジタル画像は、適切な処理をすればスライドフィルムと同様の診断精度を維持できるが、一部は超高精細LCDを用いなければ診断精度が保てないことが明らかとなった。
(3) さらに、表示装置の各機種間には色の再現性能に大きな差があり、それが標本の種類によっては偶発的に誤診の原因となり得ることが判明した
(Figure 1)。
(4) この問題を克服するため、研究班では急遽研究計画を変更し、全く新しい発想による表示装置のキャリブレーション方法の開発に乗り出した。
(5) 他の医学領域でも同じ問題が生じている恐れがあるため、研究班では1999年5月8日〜9日に東京医科歯科大学において第1回デジタル医用画像の「色」シンポジウムを共催した。その結果、医学領域全般に渡るこの問題の認識と、解決策についてのコンセンサスの形成に大きく寄与した(詳細はシンポジウムホームページ<
http://square.umin.ac.jp/medicolor/>を参照のこと)。