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2012年5月4日午前4時名古屋を出発。中央高速道路を加藤彰寿君の運転で松本に向かった。車窓から早春の山腹には桜が点在する。明るい樹下には黄色の山吹が咲き誇っていた。それらの色とは異色の赤、桃、白の三色の花が一つの樹木に咲かせている不思議な樹が沿道の民家の庭に咲いているのが印象に残った。ところで昨年4月30日に、当時医学部3年だった加藤君は医師不在の中で山頂診療所へ担ぎ込まれた低体温症で心肺停止状態の患者さんを目の前にして、携帯電話で私と連絡しつつ必死で蘇生術をした経験を持っている。今回は私に医師として是非とも同行することを求めてきた。私も学生をきちんと指導する責任を感じて、川岡君を加えた3名で、登山計画を立てた。
標高2000m以下はほとんど残雪が消えていた。まめうち平から先は残雪豊富な雪道になる。所謂冬道の2500m地点の沢の一筋前の沢は踏み跡もない急斜面であるが、気持ちよさそうだったのでキッックステップで慎重に一歩一歩登ってしまった。午後4時山頂ヒュッテに到着。蝶ヶ岳ヒュッテで連休の間アルバイトをしている小山君が心配して待っていた。蝶ヶ岳山頂付近は小雨から雪に変っていた。われわれは体が濡れないようにしっかりとゴアテックスの雨着で体を覆って登った。その頃に白馬岳、爺ヶ岳方面の天候は吹雪となって8名もの登山者の遭難死亡事故が起こっていたことになる。蝶ヶ岳の気象条件は小雪程度で助かった。ただし雪中合計8時間の行動時間ですっかりお腹が空いてしまった。
夕食は小山君がネパール旅行から持ち帰った香辛料で作ったネパールカレーだ。加藤君と川岡君は荷揚げした材料ですき焼き、ナポリタンパスタ、お汁粉を作り、小屋のスタッフがイカリング・フライを作って多国籍の豪華な夕飯ができあがった。温かい小屋の中は天国であった。
5月5日下山。
ハイマツ帯で足下を見ると目の前にライチョウ夫婦がいた。残雪期の風景にすっかり溶け込んでいたので、こんな近くに来るまでまったく気がつかなかった。 下山後に神谷圭子さん宅に挨拶に寄った所、そば処「白山」(松本市寿豊丘532)に連れていっていただき、10割蕎麦を御馳走になってしまった。タラの芽の天ぷらも旨かった。
帰りの中央高速道路の電光掲示板に恵那山トンネル付近の事故で20kmの大渋滞情報が表示されていた。そこで予定を変更して、国道256号線(中津川)に降りて名古屋に向かうことにした。そのおかげで清内路(せないじ)村を通過することになり花桃の満開に出会った。調べてみると、この赤、桃、白が混じっている不思議な花の樹は、ドイツから南木曽町そして清内路へと運ばれた歴史があるらしい。昨日の車窓からチラリと見た3色の不思議な花の由来が分かったことは、渋滞を避けて下道を迂回したおかげである。
三浦 裕
名古屋市立大学医学部分子医学研究所分子神経生物学(生体制御部門)准教授
名古屋市立大学蝶ヶ岳ボランティア診療班運営委員長
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(Last modification May 8, 2012)