Yutaka Miura's home page
(the third page level)
|
剱岳チンネ左稜線
剱岳の三ノ窓の東側にある岩鋒はチンネの名称で有名である。クライミングルートの中でも、左稜線は高度感のある開けた展望ルートとしてロッククライマーの憧れの場所である。私は今年の夏、初めて愛知県山岳連盟所属 チーム猫屋敷のメンバー5名(S.Itoh, Mano, Iwata, Horio, Miura)で左稜線の登攀を楽しめた。2017年8月11日に長次郎雪渓を詰めて、熊ノ岩のビバーク地点にテントを張って天候の回復を待った。テントの中でラジオから、67歳の男性が三ノ窓付近で転落して重傷で動けなくなっているニュースを聞いた。12日の午後は天候が回復してきた。雲の切れ間から上空にヘリコプターが飛来して、遭難者が救助された模様だった。しかし、ラジオニュースによると、すでに心肺停止状態だったらしい。
Fig.1. 剱岳チンネ左稜線
2017年8月13日 快晴、無風。私は「ザイルいっぱ〜い!」の声に気がつかず、終了点を超えて調子よく登り過ぎて、ザイルの長さが足りなくなった。幸い、持っていたカム2個を、目の前のリスに突っ込んで何とか50mロープの長さギリギリの位置にアンカーを構築してセカンドをビレーした。Itoh, Miura, Itoh, Manoの順番でリードを交代してチンネ左稜線を完登した。Fig.1写真の中央に見えるオーバーハングの核心部を登っている赤色のザックを背負って登攀中のクライマーはIwata君である。
Fig.2. 登攀者
愛知刈谷市のKurouchi Asakoさんという女流登山家が3パーティのメンバーとともに私たちの後続隊として登ってきた。「Kurouchiさんは2013年12月22日夜、山梨県北杜市の甲斐駒ケ岳北東にある黄蓮谷付近で発生した雪崩に巻き込まれて、200メートル滑落した。偶然流される間に木に引っかかったところを仲間に救助された」逸話を聞いたことがある。その際、肋骨骨折と内臓破裂の重傷を負って、身動きが取れない状態でK市民病院に入院したにもかかわらず、病院では「早く山に登れるようになりたい」と言い続けていた、と当時の外科主治医のTsuboi先生から聞いた。この時もまだ肩を脱臼しないようにビスで固定した状態と本人が話していた。それでも剱岳チンネ左稜線をすべてリードで登攀する執念に驚いた。
三浦裕(みうらゆたか)
日本登山医学会認定 国際山岳医
愛知県山岳連盟所属 チーム猫屋敷
日本山岳会東海支部 技術向上委員会委員
Yutaka Miura, M.D., Ph.D.
Associate Professor at Molecular Neurosciences
Department of Molecular Neurobiology
Graduate School of Medical Sciences
Nagoya City University
三浦裕エッセー目次
To Top menu of Yutaka Miura's Home Page
連絡先:
(Last modification August 28, 2017)