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小秀山:山行報告書

乙女渓谷 夫婦滝(男滝60m)

<メンバー> Miura(CL), Sago(SL), Yamaguchi(装備), Mano(食料), Ikeda(食料、会計)
<山域>小秀山:御嶽山系の阿寺山地、山頂標高1,982 m
<山行の目的>夫婦滝の氷結状況の偵察
<行程>
2月18日(土)乙女渓谷駐車場(7:55)-->夫婦滝(9:43)-->第二高原テント泊(17:30) 2月19日(日)第二高原テント場(7:08)-->小秀山避難小屋(8:55)-->テント場(8:56着、 9:43発)-->兜岩(10:20)-->三ノ谷分岐(12:30)-->乙女渓谷駐車場(14:28)

<行動記録>
2月17日(金)乙女渓谷へ至る林道は凍結していた。スノータイアだけではスリップして登れなかった。途中でタイヤチェーンを装着して進んだ。ただし四輪駆動車のランドクルーザPRADOはタイヤチェーンなしでも駐車場まで問題なく登れた。

2月18日(土)7:55快晴。乙女渓谷駐車場に設営したテントを撤収して出発。8:51避難小屋。9:43夫婦滝(1310m)でアイゼン装着し、氷瀑の最下段でAbarakov(V字スレッド)作成などを体験した。夫婦滝は、水の流れる音がよく聞こえ、氷柱の間に水が流れているのが見えた。11:25にアイゼンを装着したまま小秀山方面に向かった。最初は先行者のトレースを追って左側の急斜面のルンゼ側に入り込む失敗をした。そのルート誤りに山口さんが気がついて、途中からルートを修正して、夫婦滝の上に出た。小滝、孫滝を横切り、稜線を登った。「カモシカ渡り」の難所は階段が設置されているので簡単に登れた。しかしその上部10mの岩場は凍結して直登が難しい状態だった。右側の樹林帯を巻いてその上部に抜けた。そこから先も積雪量が多く、ツボ足の先行者にすぐに追いついた。ラッセルを交代して進に続けた。夏時間で夫婦滝から兜岩まで1時間15分の距離を、5時間30分かけてもラッセルに手間取り兜岩に到着しなかった。森林の安全地帯でYoWie(Australia製snow shoeの一種)を装着してから進むことにした。しばらく兜岩まで単独行の登山者が後続に付いていたが、ツボ足では厳しいいらしく、いつのまにか姿を消した。第二高原1890mまで到着できたのはチーム猫屋敷隊だけだった。この地点で、時刻は17:30を過ぎて日は傾いていた。このままのペースで進むと小秀山山頂の避難小屋に到着できるのは日没後になる。幸い到達地点の第二高原はテント設営に適した平坦地であったので、ここでテント泊することに決めた。1日の行動時間は、11時間25分。夕飯は鶏肉鍋。

2月19日(日)快晴。風が強い。
夜中、強風でテントがバタバタとはためく音と、硬いあられ状の雪がテントに打ち付ける音が聞こえていた。私はシュラフの中で「凄まじい吹雪に襲われて気象遭難する状況」を妄想していた。やがて夜が明けた。快晴。風は強いが、立って歩ける。視界も良好。これなら登れると確信した。7:08 Miura、Ikeda、Yamaguchiの3人でテント場から小秀山アタックに出発。ManoさんとSagoさんはテントで待機。小秀山までのルートは踏み跡は雪で覆われてトレースは見えない。無傷の雪面を踏んで、自分でトレースを付けながら進む。誰もまだ歩いていない真っ白な世界を登る自由の中には失敗もある。雪を踏み抜いて私は一回は胸上まで雪に埋まった。泳ぐようにしてやっと這い出した時は、全身真っ白になっていた。このような予期しないトラブルも「雪と戯れる楽しさ」の一つである。

7:55避難小屋到着。8:56キャンプサイトへ帰還。9:43テント場で再びYoWieを装着して出発。10:20兜岩手前で、YoWieをアイゼンに交換して兜岩からの斜面を降りた。12:30三ノ谷分岐からツボ足でも下山ならば大丈夫だと思った。ところが雪が深いために、ツボ足のラッセルは困難を極めたので再びYoWieを装着して下山行動を再開した。しかしトレースが深い雪に埋まってほとんど判読できない。ルートファインディングに苦労した。Yamaguchiさんが先頭になって地図を読みながら進んた。赤テープや、枝をノコギリで切り落とした形跡を目印として、下山方向に間違いのなっことを確認しつつ慎重に下山した。植林帯の中の夏道はZ字形にギザギザについていることが国土地理院の地図で確認できる。その間をショートカットして、どんどん下山した。13:44三ノ谷登山口到着。14:28乙女渓谷駐車場に下山完了。下山時間4時間11分。天気快晴できもちいい。雪を払って、荷物を整理して、「付知峡倉屋温泉おんぽいの湯」に向かった。

(参考)付知を含む、この裏木曽地域は江戸時代から、木曽五木の材木を産出していた。八百津からは材木を筏に組んで、名古屋の熱田や三重の桑名まで運んでいた。その作業者が「おんぽいェー おんぽいェー」 とかけ声をかけながら下流へ下流へと流してたという。作業者の掛け声が「おんぽい」の語源である。[付知峡倉屋温泉 おんぽいの湯http://www.kuraya-onsen.jp/about.htmlより]

感想(反省点) (1)雪山はどこでも歩ける。ルート選択は自由だ。しかし、大局的な読図力が無雪期よりも必要になる。雪が降ればトレースは消えるのは当然だが、先行者のトレースが必ずしも正しいとは限らないことには注意した方がいい。先行者のトレースはまったく信じない方がいいぐらいである。自分でトレースのない新雪の先頭を歩かせてもらって発見したことであるが、樹木の生えている間隔、枝の切り落とし痕などを観察して進めば80%は正しいルートを進める。ところが20%くらいの場所には、何の手がかりも見出せない。適当に歩いていると突然、急斜面に当たって「ちょと間違えたな」と気がつくこともあった。稜線方向がわかっているような場合で、大局的にルート方向が間違っていなければ問題ない。しかし下山方向が大きくずれた場合には、登り返す必要性が出るなどの大きな問題になる危険性があるので慎重に地形判断をしたい。 (2)国土地理院の地図が頼りであるが、驚くことに国土地理院の1/25000の地図には、二ノ谷の遊歩道が記載されていない。一般観光客も登れるように整備されているルートでも記入漏れがあるので注意。 (3)林道は凍結していた。タイアチェーンは必須。 (4)ワカンを一本締めバンドで装着するのに時間がかかる。YoWie(snow shoe)は簡単に誰でもワンタッチで装着できる。YoWieは平面に足を固定できるので前後のぐらつきがない。ワカンより安定して歩ける印象がある。 (5)1名の隊員のYoWieのバンド(足先)が頻繁に外れていた。他2名のYoWieのバンドは外れないので構造的問題というより、本人の出発前のバンドの長さ調整の問題だろう。 (6)グリベルのアイゼンベルトは、ベルトを2重リングのところで折り曲げて締め上げる仕組みだ。しかしベルトが硬く凍結すると、簡単には曲がらなくなって、締め上げに苦労する。入山前に解決策を考えておく課題である。

小秀山(矢印:避難小屋)

三浦裕(みうらゆたか)
Yutaka Miura, M.D., Ph.D.
Associate Professor at Molecular Neurosciences
Department of Molecular Neurobiology
Graduate School of Medical Sciences
Nagoya City University
(愛知県山岳連盟加盟 社会人山岳会:チーム猫屋敷)
三浦裕エッセー目次
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(Last modification February 25, 2017)