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富士山の姿が忽然と消えた-----宝剣岳の体験-----

中央アルプスの駒ヶ岳ロープウエーの中から、はっきり富士山が見えた。しかしサギダル尾根を登りながら振り返ると、魔法にかかったように富士山の姿が消えていた。空は抜けるような青空で、雲一つない快晴だった。南アルプスの峰ははっきり見える。富士山は決して雲に隠れた訳ではない。確かに見えていたはずの富士山の姿だけが忽然と消えた。サギダルの頭で撮影した記念写真の背景にも富士山は写っていない(図A)。しかし、その後に宝剣岳の南綾を超えて千畳敷カールへ下山する帰路で撮影した写真には富士山が写っている(図B)。実に不思議な光景だった。写真をよく分析すると写真(図B) の空の青色が不連続であることに気がつく。南アルプスの峰々の標高と比較すると3000m付近にこの不連続面があることが推定できる。私たちは宝剣岳(2,931m)という特異的な標高を上下しいていたので、この不連続面の上と下の両方から富士山を観察したのだろう。不連続面の存在が、富士山が見えないか見えるかを決める謎を解く鍵になっているのだろう。

幾何学的に考えると、宝剣岳山頂近くの標高の高い場所ほど富士山の姿がよく見えるはずだ(図C)。写真(図1)で示されるように地平線がやや霞んでいるように見えたので、約3000mの高さに薄く層状に霧(微粒子)が棚引いて、この霧の層に入ったから富士山は見え難くなったのだ、と考えた(図D)。ただし南アルプスは鮮明に見えるから下層の大気の透明度は高く保たれている筈だ。透明度が高い大気中にある富士山の中腹だけでもうっすらと残っていたら、この説明で納得しただろう。しかし、富士山の全てが忽然と消えた。つい先ほどまで見えていた富士山は、その山頂が霞むことなく鮮明に見えていたのだから上空の大気が下層より不透明だ、という仮説は成り立たない。感覚的に「不思議だな。」と感じながら、登攀中はこれ以上分析する余裕は無かった。下山してから気象条件などを含めていろいろと考えた。当日は日本列島全体が巨大な高気圧に覆われて本州全体が快晴だった。高気圧による下降気流で断熱圧縮が起これば、一定の高度に気温の高い層ができる(沈降逆転層)気象現象が知られている。逆転層が形成されると、その上側と下側で光の屈折方向が逆転する。上側で富士山を眺めた場合に、光は上方に屈折するので富士山の姿は南アルプスに遮られて見えなくなる(図E、赤線)。一方、下側で光は下方に屈折して進むから富士山の姿は南アルプスを越えてよく見える筈だ(図E、青線)。大気の逆転層で説明すれば、富士山が鮮明に見えていた状態から、視点をわずかに移動させるただけで突然その姿を消す現象が矛盾なく説明できると分かった時、「エウレカ」の気分になりました。

千畳敷ロープウエー駅の標高でよく見えていた富士山も、さらに標高を下げるとその姿は南アルプスに物理的に阻まれて見えなくなる (図C)。宝剣岳は、富士山が見えるか見えないかの微妙な幾何学的位置関係にあるからこそ、微妙な屈折率の差で見えたり、見えなくなったりする「蜃気楼の逆」とも言える不思議な現象が体験できたのだと思う。


山行報告書(宝剣岳)

One of the alpine club members of Team Nekoyashiki, Mr. Toshiyuki Yamada felt like climbing up Mt.Hoken (2,931m) within one month after coming back to Japan from Himalayan Range(Kusum Kanguru: 6,369m). Five of us joined together to enjoy ourselves at Mt. Hoken with rock and snow.

<メンバー>Toshiyuki Yamada、Satoshi Ito、Miki Ito、Kunio Fukuda、Yutaka Miura
<日程>2013年4月13日(土)快晴
<山域>中央アルプス 宝剣岳(2,931m)

2013年4月12日(金)午後9時45分名古屋を出発。駒ヶ根の駐車場に幕営。満天の星。
2013年4月13日(土)快晴。午前7時15分始発の駒ヶ根駐車場からバスとロープウエーで千畳敷駅(2,612m)まで一気に登り、そこから雪山の登攀が始まる(09:22)。極楽平に向う先行パーティがカールの中央の凹部をジグザグに極楽平に向けて登るトレースが見えた。雪面を切るトレースは雪崩を誘発する可能性がある。極楽方面に向かうのは止めて、サギダル尾根にルートを変えた。尾根側は急に新雪量が少なくなり、表面から10-20cm下にある氷が顔を出した。アイゼンをしっかりと蹴り込まないと滑る。人が歩く刺激で表面の雪が滑る。大量に滑れば表層雪崩になることが予想できる。

(注意1)表層雪崩の危険性:
カール地形には雪崩が集まる。雪崩がどのようなルートを流れるか、地形を読んで、雪崩が下る道を避けるように登攀ルートを選択するべきである。雪崩を避けるには尾根筋がもっとも安全で、カールの中央の凹部はもっとも危険である。

サギダル尾根の取り付き点として、太めのダケカンバの幹をビレー点に選択した。5名で2本しかザイルがないので、T.Yamadaがリードし、フォローは2組に分け、ザイル1本に2名ずつ繋がって登ることにした。第1組はY.MiuraとS.Itho。第2組はM. IthoとK.Fukuda。それぞれ1本のザイルに繋がっている2人がほぼ同じ速度で登る。サギダル尾根の雪面は固くしっかりしていたのでダブルアックスで快適に登れた。2ピッチでサギダルの頭に到達した(12:38)。

御岳山(3,067m)を望む

サギダルの頭に登り詰めると西側にも視界が開けて御岳の堂々とした姿が見えた。周囲の岩の表面にはエビのシッポが発達して、美術作品的なオブジェになっている。快晴微風、日射しが強い。レーションを食べ、テルモスのお茶を飲む。ここまでは天国であった…..。

霧氷の一種:エビのシッポ

宝剣岳山頂(2,931m)

(注意2)ビアフェラータ:via ferrata、イタリア語で鉄の路の意味
サギダルの頭からから宝剣岳に至るまでの南稜の岩場は、ほぼ連続して鉄の鎖が設置されている。PAS(パーソナルアンカーシステム)に2つの安全環付きカラビナをセットして、鎖にビレーする。鎖が固定されている非連続点を通過する際には、掛けているカラビナをはずす前に、進行方向側の鎖に新しくカラビナをセットしてから、後ろ側のカラビナを解除する。このようにして常に連続してカラビナを鎖にセットしてセルフビレーが途切れないように注意して安全を確保しながら進む。T.Yamadaは後ろの私の所作を観察して「カラビナのゲートが半開きです!」と少しでも問題があれば指摘してくれた。(感想:鉄の鎖にカラビナをセットするのに苦労した。鎖の太さはカラビナのゲートのいっぱいに開けてギリギリ入る程度だ。ゲートが大きく開くカラビナならば操作は楽だろう。しかし小さなカラビナしかない場合には、鎖にカラビナを直接掛けるのではなく、短いシュリンゲを介して間接的に掛ける方法も可能だろう。)

(注意3)滑落停止
via ferrataが2〜3m途切れた稜線上の岩場をトラバース中に、隊員の1人が足を滑らせた。まるで地獄に引き込まれるようにズルズルと雪の東斜面に落ち始めた。先頭を歩いていたT.Yamadaは「危ない!」と叫んで、その転倒者の服を掴もうと動いたが手が届かない。幸いにも転倒者の手に持っていたピッケルを刺して転落はくい止めた。滑り落ちた足先には50cmも余裕はなく、その先は断崖絶壁だ。あと1秒でも滑落停止動作が遅れていたら、命は無かったかもしれない。目前で発生したその光景は思い出すだけでもゾットする。その隊員はサギダル尾根の登りで疲れて、集中力を欠いていた、と反省していた。そこから先は一人で登攀させるのは危険だ、と判断されてS.Itho がアンザイレンして進むことになった。

(注意4)急斜面でのつま先キック
急斜面のトラバースはサイドステップで蹴り込んで滑落しないように注意する。サイドステップでは対応が難しいと感じたら、体を山側に向けて靴のつま先で蹴り込みながら進む。

(注意5)確保器を落とす事故
宝剣岳の穂先に到達した後の下山路で懸垂下降した。隊員の1人が懸垂下降用ザイルをセットする際中に確保器を落した。S. Itoが拾いに行って回収できたからよかったけれども、落とし物は禁物だ。落した本人は冬山用の手袋は借り物で、大きさが合わないので操作が難しかった、と弁解していたが装備一つ一つの安全点検から安全登山は始まるものと心得たい。

(注意6)懸垂下降中の体のバランス
隊員の1人が懸垂下降の途中で体勢バランスを崩して岩から足が外れて体がザイルにぶら下がった状態で回転して、背中から岩に当たった。振られた幅が小さかったので身体に傷はなかったけれども、もし大きく振られて岩に激突したら大怪我をする。振られてもいい。振られた瞬間に、ただザイルにぶら下がっているのではなく、振られた先の岩を的確に捕らえて体勢を立て直すことができれば大丈夫だ。

(注意7)懸垂下降したザイルの末端の固定
前述のように、下降の終了点は開始点の鉛直方向から少しずれていることが多い。ザイルは物理法則に従って鉛直に垂れ下がる性質があるので、最後に降りた登山者がもしザイルを離したら、そのままザイルは、鉛直方向に垂れ下がる。ザイルの末端が空中に逃げ出して回収が難しくなる可能性がある。そのようなトラブルを避けるために、懸垂下降した直後にザイルの末端は終了点付近の支点や自分の体に結び付けて固定しておく。

(注意8)滑落停止姿勢の必要性
隊員の1人が懸垂下降を完了してザイルを外した直後に転んで仰向けに転んだ。T.Yamadaは「危ない!」と叫んでその下に入って止めようとした。転んだ隊員は70Lザックを背負っていたので身を翻して滑落停止姿勢がうまく取れなかったのか?仰向けのまま1〜2m滑り落ちた。幸運にも平坦だったので自然に止まった。しかしT.Yamadaから「何やってんの!絶対に滑っちゃ駄目!」と叱られていた。滑落で勢いが付いたら止まらない。滑ったら反射的に滑落停止姿勢を取る心構えが常に必要だ。

(注意9)ロアーダウンに使うザイルの末端の処理
ロアーダウンをさせる時にザイル末端は8の字などで結んで、すっぽ抜けを予防する。

(注意10)紫外線の危険性
唇は皮膚から粘膜に移行する粘膜側の組織でメレミン色素細胞がないので紫外線が深達しやすい弱点がある。紫外線防止用のリップクリームの使用を薦める。 (注意1〜9はT.Yamadaの現地指導を基に記述した。)

午後4時10分頃、宝剣岳を超えた所の小屋に到着。そこで幕営組(T. YamadaとK.Fukuda)にザイルと残ったレーションを渡し下山組(S. Itho、M.Ito、Y.Miura)は乗越浄土しから千畳敷カールに下山した。

見送りの手を振るT. YamadaとK.Fukuda

乗越浄土の雪原から見える宝剣岳の穂先


三浦裕(みうらゆたか)
Yutaka Miura, M.D., Ph.D.
Associate Professor at Molecular Neurosciences
Department of Molecular Neurobiology
Graduate School of Medical Sciences
Nagoya City University

リンク:愛知県山岳連盟加盟 社会人山岳会 チーム猫屋敷
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(Last modification April 14, 2013)