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中日新聞ニュース

名古屋市瑞穂区滝子商店街の中に「白雅」という大衆食堂がある。名古屋市立大学の山の畑キャンパスに隣接しているので、昔は学生らが気楽に集まった。外科医の坪井君は医学部時代は山岳部で今でもその食堂に通っているらしい。坪井君の話によると、玄関に先に新聞の切り抜きが張ってあり「学生時代、この三浦君は草田君という山岳部の親友と二人で来てくれた。こんなに立派になって!」と店のおばちゃんが喜んでいたそうだ。私自身は医学部を卒業して以来「白雅」に行ったことはない。それにも関らず、店のおばちゃんは我が子のように私のことを覚えていてくれたらしい。懐かしくなって約25年ぶりに坪井君に誘われて「白雅」のおばちゃんの顔を拝みに行った。

名古屋市瑞穂区滝子商店街の中にある「白雅」2012年10月5日撮影

昔のようにビールと野菜炒め(380円)を注文して、黙って座っていると、それを運んで来たおばちゃんが私の顔を見つけて「ま〜!」と驚いて大騒ぎを始めた。玄関に画鋲で止めていた新聞の切り抜きを取ってきて、周囲の関係ない他のテーブルの人にまでその新聞の切り抜きを持って回りながら、私のことを紹介し始めた。店のおばさんは現在84歳になる。

中日新聞 2012年8月25日(土曜日)Size of this preview: 227 × 335 pixels
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プレスリリースの経緯:
2012年7月に名古屋市立大学の学術課広報交流推進係戦略広報推進員の山田さんや西澤さんから「名古屋市立大学蝶ヶ岳ボランティア診療所を設立して15年目になるので、プレスリリースをして名古屋市立大学の社会貢献を社会にアピールしたい。」というお話があった。プレスリリースの原案は山田さんが書いて持ってこられた。私はそれを添削して原稿を書き上げた。ところが関係者に読んでもらったといころ、「診療所の無料化を発表すると『名古屋市の税金を他府県の人のために無駄使いしている』というクレームが市会議員から出ると困るので削除した方がいい。」という指導を受けた。私は杞憂だと考えたけれども、波風を立てないように配慮して「無料化」の記述を削除して最終原稿として記者クラブに流していただいた。幸いにも中日新聞記者の目に留り、名古屋市立大学に問い合わせが入り、名古屋市立大学医学研究科長の紹介で中日新聞社会部の記者:柚木まりさんから私へ取材の依頼が入った。

無料化した契機:
蝶ヶ岳山系で高山病による遭難死亡事件が2005年8月2日に発生した。大阪の登山歴30年の父親が高校生の息子さんを連れて徳本峠から蝶ヶ岳を目指した。大滝山荘あたり高校生は体調不良で嘔吐があり既に高山病症状が出ていた。父親は息子さんを蝶ヶ岳ヒュッテで休憩させラーメンを食べさせた。その日のうちに長塀尾根から徳沢へ下山できると考えた。しかし息子さんは長塀尾根の途中で歩行困難となり父親はテントを張ってビバーク(緊急露営)した。標高2000 m地点でのビバークで高山病がさらに悪化し、夜になって息子さんを揺り起こして水を口にふくませた。夜中にいびきをかいているのを揺り起こそうとしても昏睡状態で反応がない。父親は怖くなり、深夜に携帯電話の通じる稜線に走って救助を要請した。徳沢側からと蝶ヶ岳ヒュッテ側から山小屋のスタッフが捜索に出動したが、闇の中でビバーク位置を発見できなかった。翌日の夜明けと同時に長野県警のヘリコプターで救出された。救助隊員が現場に駆けつけた時には息子さんはすでに心肺停止状態だった。父親は蝶ヶ岳ヒュッテ蝶ヶ岳ボランティア診療所があるのを知りながら通過したのを悔やんで「蝶ヶ岳の診療所で治療を受けていれば息子の命を救えただろう。あれが最後のチャンスだった。」と警察による事情聴取で回想している。この遭難事件の顛末を聞いて、私は山頂に滞在している学生さんから登山者一人一人に声をかける「声かけ運動」を始めてもらうようにお願いした。すべての登山者に直接声をかけて、調子の悪そうな人があれば診療所でSpO2測定など急性高山病のスクリーングをするようにお願いした。ツアー客や、親に連れられている子供は、体調不良の自覚症状があっても自分一人の判断で気軽に診療所を受診することができない可能性がある。黙って一人で苦しんでいる弱者には、こちらから声をかけて急性高山病患者を早期に見つけ出す必要がある。こちらから声をかけて患者を診療室に呼ぶのだから、診療費を請求することは難しい。予防的介入を円滑に進めるためには診療費を無料化する必要があった。

県外からの寄付金:
新聞が読者に与える影響力に驚く。新聞に記事が掲載されると、先ず岐阜県関市の小森百寿さま(90歳)から電話が入った。寄付金と約30年分の雑誌「岳人」も寄贈していただける話であった。私は小森百寿に直接ご挨拶をしたいと思い、9月23日に小森さんのご自宅である岐阜県関市小屋名の春日神社を訪問した(春日神社は全国に約3000社、関市だけでも3社ある)。小森さんは昭和22年からの登山記録を几帳面に残されていて、蝶ヶ岳には雨の中を登り、翌日は晴れ、美しい槍穂高連峰を写真撮影した昔話を、同席した学生代表の日高理彩さん(看護学部4年生)、酒々井眞澄教授と一緒に聞かせていただいた。私たちが小森さんを訪問した日は朝から雨降りであったが、山の話が終る頃にちょうど空が晴れてきた。小森百寿さまのニュースが翌日の中日新聞朝刊に掲載られると、今度は天野俶明さま(日本山岳会東海支部、登山教室委員会委員長)からも寄付金を頂ける連絡が入った。善意の連鎖は心が暖まる。

新聞記事の切り抜き:
私の写真入りの新聞記事の切り抜きが小森百寿さまの座右の箱に入れてあった。掲載された朝には、自宅の隣に住むIさんがわざわざ新聞の切り抜きのカラーコピーして届けてくれたのもほんとうに嬉しかった。

中日新聞 2012年9月24日(月曜日)

中日新聞 2013年8月22日(木曜日)

日本経済新聞 1998年9月5日(土曜日)
三浦 裕
名古屋市立大学蝶ヶ岳ボランティア診療班運営委員長
名古屋市立大学医学部分子医学研究所分子神経生物学(生体制御部門)准教授

三浦裕エッセー目次
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(Last modification August 23, 2012)