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真柳誠「東洋医学の基礎知識−養生」『こころの科学』17号97頁、日本評論社、1988年1月

東洋医学の基礎知識−養生


真柳誠 / 東洋医学総合研究所


 医療の体系において、治療と養生は不可分の関係にある。あるいは疾病の範囲を漠然とした不健康にまで拡大するならば、両者を判然と分かつことは困難ですらある。また両者の関係は近代医学のみならず、およそ伝統医学においても世の東西を問わず同様であろう。

 しかも、致命的疾患にたいし近代医学ほど有効な治療手段を持ちえなかった過去において、養生は治療と同等もしくはそれ以上の価値が与えられ、少なからぬ経験と知識が蓄積されていた。かつての致命的疾患がほぼ克服された現在、ふたたび伝統医学に人びとの目が向けられている理由に、その養生的側面がおおいに関与していることを見逃してはなるまい。

  とりわけ東洋医学は、養生を最重視する医学体系の一つといっても過言ではなく、そこには古代から発達してきた豊富な養生法と思想をみることができる。その端的な表現として『素問』には、「聖人はすでに病みたるを治さず、いまだ病まざるを治す」(四気調神大論篇)と記されている。これは発病前の状態、つまり病理症状が発生する以前の生理状態を調整することを医療の理想とする立場である。

 養生はその「生命を養う」という字義から、とかく古代から中世の中国や日本などで信じられていた不老長生の術や薬が取り挙げられる傾向にある。しかし東洋医学の目的とする養生は、あくまでも病理と同様に生理機能を調整・改善し、個人レベルでの疾病予防と保健、ないしは回復促進と再発防止を達成せんとする点にある。

 すなわち東洋医学は、病理のみを対象とするのではなく、個々人の生理状態をも医療の対象とする意味において、養生を治療の一環として内包しているのである。それゆえ非病理的な個体因子や体質などが、しばしば治療の対象や指針とされる。

 たとえば、病気がちな虚弱者、冷え性、多汗症、便秘症、生理不順なども、たとえ現代医学的病理所見がなくとも、東洋医学では診断法と治療法が確立されている。したがって、いわゆる半病人・不健康などの漠然とした状態にも、健康維持や増進を目的とする対処が可能なのである。そして現在、漢方生薬・処方や針灸の免疫系・神経生理などにたいする作用の科学的研究が進むにつれ、それら人体生理の調整効果が明らかにされつつある。

 他方、かならずしも医学とは認めがたいが、東洋医学と密接な関連のある養生法は数多い。そのもっとも代表的なものは、いわゆる食養生である。

 これは食物の摂取方法に関するものと、食物に薬効を期待する方法の二種に大別される。前者は、季節・風土に応じた穀菜果肉などから、酸・苦・甘・辛・鹹の五味をまんべんなく腹八分目に摂取する、といった内容である。これらは「食い合わせ」の規定など一部を除けば、現代でもおおむね是とするところが多い。後者は、医 ( 薬 )食同源と通説されるごとく、漢方生薬であると同時に食物・香辛料であるものを料理に積極的に利用する方法である。これを発展させ、食品とはいえない純粋の漢方生薬を配合する「薬膳」と呼ばれる料理法も、近年流行しつつある。しかしいずれにせよ、薬効のあるものを食品として摂取することは、専門家の指導下にないかぎり、濫用や過度の期待は慎まれるべきであろう。

  もう一方の養生法として、さまざまな運動法・健身術が挙げられる。それらは運動刺激を筋肉骨格の強化に利用するのみでなく、内臓機能など人体生理全般の調整・向上にも利用するという共通の特徴がある。出土の導引図からも、紀元前にこのような運動法のあったことが知れるが、現代中国で広く普及しているのは、近代以降に体系化された太極拳や気功である。とりわけ気功術は針灸に類似の効果を得ることが可能なため、疾病治療に応用されることもある。それゆえ方法を誤まると副作用を生じることが時にあり、注意が必要である。

 以上の養生法以外に、道教系の内丹術、仏教系の坐禅や瞑想、また男女の性交術など、養生に関する方法は多々ある。だが、東洋医学としての養生の本質は、あくまでも漢方・針灸などによる疾病予防と健康維持にあるといえよう。