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真柳誠「日中薬用量相違の背景」『漢方の臨床』36巻2号612-619頁、1989年2月

日中薬用量相違の背景

真柳 誠


 

 かつてと言ってもほんの五、六年前であるが、今日ほど日・中間の往来が頻繁でなかった頃、中国の薬用量の多さはしばしば漢方家の話題とされていた。針の太さも同様である。書物などで見聞きするならまだしも、中国の薬店や病院の薬局で山のように盛られた一日量を実見すれば、漢方家ならずとも驚くのは当然であろう。こんな言葉も耳にしたことがある。曰く「馬に喰わせるような」、曰く「資源の無駄使い」等々。

 しかし漢方家が中国で見聞する機会が格段に増えた現在、そのような驚きの声はもうあまり耳にしない。却って最近急増している中国の留学生が、逆に日本の薬用量の少なさを疑問に思う声をしばしば聞く。

 両国間の用量が相違する所以については、しかし今に始まったことではなく、江戸時代でも色々と言われていたらしい。例えば貝原益軒は『養生訓』に当時言われていた次の三説を挙げている。第一説は日本人の体や胃腸が中国人ほど壮健でなく、飲食量や肉食も少ないので薬量も少ない。第二説は日本が薬物の多くを古来から舶来に頼って高価なため、富貴な人にも習慣的に少量を処方するようになった。第三説は医者の腕が中国に及ばないので、誤治を恐れて少量を用いるようになった。

 この三説により日本の用量は古来から少ないと言われる、と益軒は間接的に述べている。ただし第一説については、体格・強弱で劣るといっても用量が三分の一、五分の一になるほどの相違はない、という反論も記すので、益軒自身は後の二説を支持していたのかもしれない。実際、現在の日本は飽食と称せられるほどであり、第一説にさほどの説得力は最早ないように思える。

 ところで、筆者は三年ほど北京で生活し、当地では自分自身や妻・友人(日本人)でも、日本量の葛根湯ではまるで発汗しなかったり、地黄を数十グラム入れた処方でも胃腸障害が出なかったりすることをしばしば体験した。これらの体験は上述の三説のみで、どうも上手く説明がつかない。またその間、同じ漢方治療でもその環境・基盤などが日中間で多様かつ微妙に相違していることが気になりだした。米を使用しても、あたかも清酒と老酒、鮨と炒飯が違うように。話は益軒の三説ほど単純明解ではないようである。そこで彼の地での見聞・体験などから、相違の背景や要因等について思ってきたことを以下に述べてみたい。
 

一、薬物の相違

 当要因の占める比重は割合高いと思われるが、これにはさらに以下の相違が含まれていよう。

1 生薬の裁断
 中国の裁断は日本より大きい。最たるものは香港や台湾の薬店で、美しく陳列された上等な「飲片(カット生薬)」である。近頃は大陸の薬店でも、再び陳列・販売しだす店が増えているようだ。このように大きく美しく裁断するには、一般に水や酒を生薬に噴霧し、柔軟にしてから切ることが多い。当帰などはさらに押しつぶして「ノシイカ」のような飲片に切ることもある。柔軟にするのは一つに裁断の際、粉末や繊維が出るロスを防ぐ目的がある。しかしその反面、少量といえども薬液は滲出してくる。これが第一の損失である。

 たとえ薬店の華美な飲片でなくとも、大陸の病院等で一般に使用されている生薬のカットは、やはり日本より大きい。大きければ同時間煎じても、成分の抽出率が低いのは当然である。これが第二の損失。とはいえ、中国では補剤などを一般に二番煎じすることが多く、幾分の損失はカバーされるかもしれない。

 日本は貝原益軒の記載を見ても、かなり以前から細かく裁断するのが普通だったと思われる。むろんそこには当時も生薬が高価であり、少量で効果を得る目的があったであろう。ただし細かく切ると、品質や真偽の鑑別が困難になる。これを薬種問屋に任せがちな日本と比べ、料理にも使用するほど日常的に生薬に親しんでいる中国では、一般人も外見で判別しやすいよう、細切されないものと思われる。

 ただし医療用に限るなら、現在の背景は少しく異なる。つまり今の日本は生薬の八割以上を輸入に依存し、兼ねて『薬局方』でその基原および最低限の品質が規定されている。したがって市場品は、商社・問屋の責任において保証されていることになっている。しかし産出地の中国ではそうはいかない。中薬学部の必修教科に「中薬鑑定学」があり、品質のみならず多種の偽薬や類似薬・代用薬の鑑別が要求されるほど、市場品は簡単に信用できない。したがって専門誌で幾度か提唱されてはいるが、日本ほど細切することが困難なのであろう。

2 生薬の修治
 中国に較べるならば、今の日本は殆ど生薬に修治を加えない。するのは附子・甘草・酸棗仁くらいであろうか。一部には『傷寒論』式に麻黄の去節や桂皮(枝)の去皮(コルク層)、杏仁の去皮尖を重視する立場もあるが、それらは各薬本来の作用を強める修治といえよう。

 今の中国では「中薬炮製学」という分野が確立されているほど修治が重視され、永年にわたる経験から、多種多様な方法が蓄積されている。まさしくそれは和食が材料の新鮮さを競い、本来の味を尊重するのと異なり、多様な加熱法や味付の変化に重点がある中華料理のそれと全く軌を一にする。「薬食同源」なのである。そして修治の多くは、各種加熱法を利用した「気味」の改変あるいは付加に帰納させ、一部の効能の増強や不要な作用・毒性の除去が説かれる。例えば梔子や艾葉の止血作用を増強するための炭化、麦芽や阿膠の腥臭を除くために焙じる等々。しかしそれら加熱法に代表される修治の際、必要な作用をもたらす成分も同時に破壊・流出を被る可能性が説かれることはなぜか少ない。用量を増やせばすむ問題だからであろうか。

 加熱をかくも重視する背景の一つに食中毒と同様、薬物中毒を恐れることが挙げられる。遅くとも五世紀末頃の『神農本草経集注』以降、歴代本草書のほぼ全てが薬物の「主治」に先立ち、毒性の有無を明記するのはその証左かもしれない。毒性の有無に集約された経験中には、恐らく今後解明すべき多くの英知も潜んでいよう。しかし「有毒」の記載から中毒を恐れるあまり、中国では半夏のように無修治では殆ど使用されない薬物もある。これは逆に無修治の半夏しか使用しない日本の臨床経験が語るごとく、湯剤で処方する限り半夏の毒性は無視できるのである。とすれば中国での法半夏・姜半夏などのように、一週間近くも水等に浸してエグ味を去る修治の意義は小さい、と言うのはいささか酷であろうか。むろん附子の各種減毒法に代表される、目的に適った修治も多々ある。だが日本の経験から見て、納得し難い修治が多用されているのも事実である。ともあれ火法や水法の修治は、副作用と同時に主作用も緩和にする場合がないとは言えない。

3 生薬の品質
 大陸に限る話ではあるが、普通に使用されている生薬の品質は、全般的に見て明らかに日本より劣る。だから用量も多い。兼ねて資源の浪費を防ぐ目的から、細辛や竹葉柴胡のように全草を使用するもの。また高価な人参の代表とされる党参などは、いずれも正条品より用量が増えることになる。さらに品質と直接関連はしないが、中国の常用薬中に占める用部が葉や茎の生薬の割合は、日本より高い傾向にある。これも用量が増える背景の一つに挙げられるかもしれない。

 中国では「地道薬材」と呼ばれるが、上質な生薬は産地付近以外で入手し難いのが一般である。とりわけ一級品はあらゆるルートで香港や各国の華僑に流れてしまう。しかも広大な国土ゆえ、各地域では他地域の産出薬が入手できないこともある。まして砂仁や上質の肉桂など中国南方でも産出量の少ない薬物は、北京の一流薬店・医院でも入手不能のことがあった。この点、日本は香港ほどの一級品を殆ど使用しないとはいえ、最低限の品質は保証された正条品が、中国各地・世界各国から輸入されている。それゆえ戦中は大塚敬節先生なども生薬の入手困難で大変苦労されたらしい。誠に今の日本は幸せである。
 

二、水質の相違

 これも一般論で例外はあるが、中国の水の大部分は硬水である。それも日本で硬水という程度ではない。否、島国で雨水に恵まれた軟水の日本こそ全世界的には例外であろう。

 かつて山本巖先生はこの点に着目され、面白い実験結果を発表された(「浪速の水と中国の水」『漢方研究』、一九八二年二月号)。神戸の水道水を持参し、同一分量の処方を天津・上海で当地の水と同時に煎出し、煎液の濃度と味を比較。その結果、上海の水では差が認められず、天津の水では日本の水の約半分程度の抽出率だったとの事。そしてこの差は、揚子江に臨む上海の水は日本と同様の軟水、少し塩味があり石鹸が泡だちにくい天津の水は硬水らしいことによるらしい、と推測されていた。

 筆者はこの報告を見て合点がいった。というのも当時北京で使用していたヤカンの内側には、驚くべき速度で炭酸カルシウムらしきものが五ミリ近くも沈着し、ドライバーでそれをはがしたりしていたから。早速、中国科学院の友人に問い合わせたところ、北京の水道水の硬度は実に高いとのことであった。資料を見せてもらったが、炭酸カルシウム量に換算して四〇〇ppm程度だったように記憶している。その後、北京の水を数リットル持ち帰ったこともあるが、分析は立ち消えとなった。

 ところで『傷寒論』『金匱要略』の方後を見ると、芒硝や阿膠等の入った処方では、先に余薬を煮て滓を去った後にそれらを入れよ、と指示される場合が多い。この合理的な指示は言うまでもなく、成分の抽出率を高めることが目的といえる。そして逆に、カルシウムやマグネシウムの硫酸塩などが多く含まれた水、つまり煮沸で除去し得ない永久硬度の高い水は抽出に適当でないことになろう。とすれば硬度の低い日本の水は湯剤に至適なのである。やはり日本は恵まれている。
 

三、体質の相違

 貝原益軒は日中両国人の体質にさほどの相違はなかろう、と述べていた。もちろん筆者もそう思う。ただし体質を人種的ないし先天的なものとせず、後天的・可変的と考えるならば少しは相違があるように思える。というのも自分自身の体質が彼の地での生活中に変化し、帰国後また元の体にもどったように感じたからである。このような変化をもたらす要因に以下の三点を考えてみた。

1 気候・風土
 大ざっぱに言って、日本は温暖で四季や気候の変化が緩和。中国は大陸性気候で、冬と夏あるいは雨期と乾期の変化が明瞭である。つまり中国の気候・風土が人体に与える外的刺激は日本より相当激しい。ところが筆者の場合、一年ほどすると体が順応し、却って北京の乾燥がさっぱりして快適にすら思えてきた。筆者が鈍感なせいもあろうが、それにも増して強い外的刺激に体が適応したらしい。

 その頃から薬も中国式の分量に体が耐え得るようになり、妻も同様の変化を示した。そして時々病気の相談に来ていた同期の留学生達も。もちろん気候・風土による薬用量の差は中国国内にもあり、一般に中国南方の用量は少なく、北方は多いと方剤学の授業で聞いたことがある。いささか感覚的ではあるが、どうも気候・風土が体質に与える影響は大きいように思える。

2 香辛料
 我々が日常的に摂取している食事中、生薬でもある刺激の強い香辛料が用いられる割合は中国ほど高くない。例えば麺類にネギや七味唐辛子、刺身・鮨にワサビや甘酢漬生姜などが用いられるが、毎食このような食事をしている訳ではない。また中華料理・印度料理・韓国料理もしばしば食べはするが、多くは日本人向けに香辛料が抑えられている。

 しかし中国や香港・台湾などで食事された方は御存知であろうが、食堂には酒・タバコ以外による独特なニオイが充満している。その一部はニンニクや香菜(コリアンダー)などに由来する。これは宴会や外国人向けの高級料理に限ったことでなく、庶民の日常料理(多くは妙めもの)のかなりにネギ・ショウガが加えられ、さらに肉・魚料理には必ずといって良いほどニンニク、時には香菜も加えられるからである。しかも唐辛子・山椒を多用する四川料理のみならず、辛味は日本のウマ味のように殆どの中国人が好きな味と言ってよいかもしれない。

 このように辛くニオイの強い食事を幼少から日常的に摂取している中国人と、そうではない日本人とはその刺激に対する強さが当然ながら異なる。個人差はあるが、とりわけ辛味は一度好きになると徐々にかなりの強さまで耐えられるようになってしまう。筆者もその部類で、辛くない日本式のマーボー豆腐など、最早食べる気になれない。サビぬきの鮨のように。嗜好の問題とはいえ、このような香辛料への耐性は一種の後天的体質となり、あるいは薬用量が相違する背景の一つをなしているのではなかろうか。

3 生薬への慣れ
 先の香辛料と同様であるが、連用すると程度の差はあれ人体に耐性を生じさせる薬物は少なくない。生薬では大黄・附子などが代表例といえよう。コブラ毒にしても、インドの蛇使いは幼少より徐々に慣らしてゆくそうである。幼少より生薬治療を受ける機会が日本よりはるかに多く、しかも分量の多い中国では体がその量に慣れている、あるいは慣らされているのではないだろうか。もちろん全ての生薬がいわゆる連用耐性を獲得させるとは考え難いが、ある種の慣れが長期の服用経験で生じても不思議はないように思える。ともあれ中国では厳しい気候・風土、そして香辛料や生薬の日常的多用により、恐らく外的・内的刺激に強い体質が形成されるのであろう。そしてこれも、両国の薬用量が相違する背景の一つであるように思えてならない。
 

四、日中伝統医学の相違

 これはあまりにも多岐にわたる問題なので、あくまでも用量に係わる相違についてのみ、「現在は」「一般に」という前提で述べてみたい。

1 医療中の役割と環境
 現在の日本で、医療用漢方製剤は医療用医薬品の中で約二%のシェアを占めているという。一般向の漢方製剤、さらに煎薬用の生薬を加算しても、漢方薬が医療に使用されている割合は合成医薬品よりはるかに少ない。すなわち医療全体としては、現代医学的治療の補助的役割を漢方治療が担っていることになる。また例外は多々あるにしても、あまり重篤ではなく、そして主に慢性疾患に漢方薬が使用されている現況の反映でもあろう。

 周知のように中国は革命後も伝統医学を存続させ、専門の中医師を育成し、全国に中医医院を開設してきた。また西医師といえども大学でかなりの時間、中医学の講義と実習を受けている。かつ西医学の総合病院でも中医科の併設されないところは少なく、その医療における役割は日本より格段に高い。したがってその対象も西医学に比べて慢性疾患が多いとはいえ、日本よりはるかに高率で重症や急性の疾患に対応している。これが日本よ用量の多い要因の一つといえよう。

 他方、医療保険制度の相違も無視できない。中国では革命後に中医治療も健康保険で受けられるようになっている。現在は日本同様の赤字で改革中とは聞くが、それでも一部の高価な生薬と製剤を除き、医師も患者も薬価を気にする必要はない。日本では昭和五十一年に医療用漢方製剤が薬価基準に収載されたが、それからまだ十数年にすぎず、しかも中国のように自由に煎剤を投与するのとは大いに異なる。このあたりも薬用量が両国で相違する要因となっているかもしれない。

2 処方の運用法
 日本では処方単位で証と対応させ、投薬するのが普通である。これは現在のみならず江戸時代の後世方派にも多く同様の傾向が見られる。また中国でも宋代の十三世紀頃までは、処方単位で運用するのが主流であったように思える。宋代における『和剤局方』の流行がそれを物語るように。

 しかし次の金元時代に、この「局方医学」と呼ばれた処方単位の固定的運用は病理診断と治法理論を欠くとして排撃され、以後の中国医学が一変したことは周知のとおりである。そしてこの点をもって、日本の漢方は没理論と早合点する向きもある。たたし日本では江戸も明治後も、一般に処方単位で運用し続けた結果、代表的数百処方の知識においては中国より一日の長を遂げている。つまり歴年の口訣書・医案集などにより、各処方毎に厖大な量の経験と知見が蓄積されているである。しかも少ない薬用量で。最近では現代医学の病名のみならず、各種検査のデーターも処方毎に知見が集積されつつある。

 一方、金元以後の中国では病理診断と治法理論に基づき、臨機応変に処方を組む考えが発達してきた。しかしそれ故、個々の固定的処方に関する臨床知見は日本のように集積し得なかったように思える。近年、北京の人民衛生出版社から翻訳出版された矢数道明先生の『漢方処方解説』が、版を重ね大好評を博しているのはこの理由も大きかろう。

 もちろんそれと治療効果は別問題で、経験と学識に富む老中医の自在な処方が、信じ難いほどシャープな効果を示すのを筆者は幾度も見た。とはいえ、それは著名な中医師に限る話であり、一般には自在な組方が却って生薬個々の効能にとらわれるあまり、分量や薬味が増えてしまう傾向も垣間見られた。このような日中の処方運用法の相違は、効果の問題とは別に、薬用量にも深く関連しているように思われる。

 以上、思いつくままに用量が相違している背景や要因などを十ほど書きつらねてみた。恐らく他にもまだあろうが、それらが相乗的に重なり、結果として両国の用量がかくも大きく異なるのであろう。しかし以上は限られた見聞からの一私見にすぎず、一々確証がある訳ではない。またこれを以て、いずれの是非を云々するつもりも毛頭ない。要は、清酒も老酒も美酒には美酒の所以がある、と思いたいのである。したがって話がやや印象的に傾いてしまったが、その点は何卒御容赦願いたい。

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