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真柳誠「修治とは」『現代東洋医学』5巻3号112-113頁、1984年7月1日
修治とは
真柳 誠(北里研究所附属東洋医学総合研究所)
Q 修治にはどのような方法があり、またその意義はどのように考えられているのでしょうか。その概略を教えてください。(愛知県、Y.M.生)
A 修治とは、動植物や鉱物の天然薬材料に対し、医薬品としての価値
を高め、臨床応用に合致するよう行なう加工操作のことで、修事・炮炙・炮製とも呼ばれています。つまり天然薬の採集から調剤までの全過程が修治に含まれま
すが、一般には採集・洗浄・乾燥後の加工操作を狭義に修治と呼んでいます。歴史的には食品調理法の発展と並行し、古代より様々な方法が行なわれていたと考
えられます。
たとえば、中国長沙市の馬王堆第3号漢墓より出土した前漢以前の作といわれる医書『五十二病方』には、すでに「咀」「冶」「淬」「炮」「燔」「熬」など
修治の指示と考えられる記載が見られます。また後漢頃の作と言われる『傷寒論』『金匱要略』には、桂枝の「去皮」、甘草の「炙」、麻黄の「去節」など70
種類の薬物に対して修治が指示されています。のち六朝時代には修治法を集大成した『雷公炮炙論』が著され、後世に大きな影響を与えています。わが国でも曲
直瀬道三の『炮炙撮要』、稲生若水の『炮炙全書』などの専門書が著されていますが、現代では『傷寒論』の修治でも一般には多くが省略される傾向にあるよう
です。
革命後の中国では全国各地の修治法を調査整理して出版する傍ら、『中国薬典(薬局方)』や『中薬炮製学(中薬学部統一教材)』などを編纂し、各地のまち
まちな修治法に基準設定がはかられています。後者は現代中国の標準的修治法を炒法・炙法・煅法・蒸煮法・その他の方法に大別し、各薬物の具体的修治法と意
義を解説したものです。そこで本書に述べられる修治法と意義を簡単に紹介してみましょう。
炒法は薬物を炒める方法ですが、薬物だけを直接炒める場合と、砂や伏龍肝・滑石・米・ふすまなど固体の輔料を加えて炒める場合があります。また炒める程
度には炒黄・炒焦・炒炭の3段階があります。炒法の意義は(a)煎出率を高める(種子薬の種皮を破裂させる)、(b)矯臭(麦芽・動物薬)、(c)副作
用・不要作用の緩和(牽牛子の傷気、蒼朮の燥性)、(d)必要な作用の増強(止血薬の炒炭、止瀉薬の伏龍肝炒)などです。
炙法は酒・酢・塩水・蜂蜜・生姜汁・油脂など液体の輔料を、加熱等により薬物に浸透あるいは付着させる方法です。炙法の意義には(a)薬能の増強改変
(酒炙は活血作用を強め、薬効を上焦に作用させる。塩炙は補腎・滋陰作用を強め、薬効を下焦に導く。酢炙は疏肝止痛、姜炙は止吐鎮咳、蜜炙は補脾益気・潤
肺止咳、油炙は温腎壮陽の作用を増強する)、(b)主作用・副作用・毒性の緩和(麻黄の蜜炙、厚朴の姜炙、大戟・甘遂等の酢炙)、(c)矯臭・矯味(乳
香・没薬等の酢炙、栝樓仁の蜜炙)などが挙げられています。
煅法は薬物を炉中で高温に加熱する方法です。意義として、無機質薬の場合は(a)収斂作用増強(龍骨・牡蛎・明礬)、(b)粉砕の便(鉱物薬)、植物薬
の場合は無酸素的にいわゆる「黒焼き」として(c)止血作用の増強(血余炭・灯心)、(d)毒性の緩和(乾漆)を挙げています。
蒸煮法は水・酒・甘草煎液・石灰水等で薬物を蒸したり煮たりする方法で、その意義は(a)毒性・副作用の緩和(制烏頭・制遠志)、(b)薬性・薬能の改変(熟地黄・制何首烏)、(c)洗浄、非薬用部の除去(真珠の洗浄、桃仁・杏仁の去皮)などです。
他の方法では朱砂・滑石の水飛法、豆豉・神麹の発酵法、木香・葛根の煨法、巴豆・柏子仁の製霜法等が述べられています。
これら修治の最も大きな目的は、毒性や副作用の緩和と必要な作用の増強・改変にあることは言うまでもありません。しかしこの対象とされる毒性や副作用
が、はたして修治が必要なものか疑問に思われる薬物もあります。たとえば生半夏には強い粘膜刺激性があり、歴代本草書では有毒とされています。現代の中国
でも未修治の生半夏は生附子と同レベルの劇薬とされ、使用されることがほとんどありません。ところが現代の日本では、逆に修治された法半夏や清半夏などを
使用せず、煎剤に生半夏ばかり使用しますが、中毒例はきかれません。
また主作用を増強あるいは改変させるために、薬物の気味・帰経・升降浮沈を変化させる修治は中国伝統医学理論から当然のことですが、そのようなことが起
こりうるのか現代科学から検証することは前途多難と言わねばなりません。しかし修治で薬物に物理化学的変化が加えられているのは容易に想像できることです
し、事実、伝統的に行なわれてきた少なからぬ修治法の科学的根拠が徐々に証明されています。さらに加工附子の如く、その研究成果をふまえた新たな修治法も
開発されています。今後は伝統的修治法にも各方面から一層検討が加えられ、取捨して臨床に応用されてゆくべきでしょう。