目でみる漢方史料館(275) 『医界之鉄椎』のベトナム語版
解説 真柳 誠/Nguyễn Thị Dương(阮氏 楊)
今年九月二五日の漢方治療研究会のテーマ「醫界之鐵椎から一世紀」に因み、本号と次号で『医界之鉄椎』のベトナム語版と中国語版を紹介しよう。
『医界之鉄椎』にベトナム語版がある、と以前なにかで見た記憶がある。その時は半信半疑だったが、昨年ハノイでベトナム古医籍を調査したとき、政府健康省直轄の伝統医学病院で書庫にある本書を阮氏に見せていただき納得した。ただし王朝時代のベトナムでは、漢字とベトナム固有漢字のチュノム(字喃)で言語を表記していた。しかしフランスの植民地化で、ラテン文字にアクセント符号を併用するクオック・グー(国語)が一九一〇年前後から普及し、一九四五年の独立で正式のベトナム語表記文字とされている。
一九四〇年出版の本書も横書きのクオック・グー訳のため、図1はウラ表紙になる。ここに「東西医薬函授全書」とあるので、通信教育の教材とされていた。蔵版(出版)は東京(トンキン、今のハノイ)と海防(ハイフォン)の参天堂医薬局と記すが、図2のオモテ表紙からするとハイフォンが主だったらしい。なお『医界之鉄椎』には初版と増補改版があるが、本書は初版を翻訳している。
図1 ベトナム版『醫界鐵椎』のウラ表紙 図2 『醫界鐵椎』のオモテ表紙
図3は本論の緒言部分で、冒頭の「余、六七歳ノ頃家族ニ一難患者ノ生ズルアリ」からを忠実に訳すが、一部の省略や小見出しを補足する場合もある。ただし本書を翻訳した陳徳心(Trần Đức Tâm、図4)の経歴がよく分からない。
図3 和田啓十郎の本論緒言部分 図4 訳者の陳徳心
図5 陳徳心『東西病理学講義』
本書の前書きには「東西いずれの医学も興味深く、けして一方を捨て去るべきではない」、「我々の治療法で対処できる病気には我々で対処し、対処できない病気には外国の薬を使用すればよい」とある。これは次号で紹介する丁福保の中国語版(一九一一・一七・二〇・三〇年刊)の緒言と同内容である。すると陳徳心は丁氏の中国版からベトナム語に翻訳したのだろう。陳氏は本書以外にも『東西病理学講義』(図5)や『東西外科学講義』など、多くに「東西」を冠する約三〇書を、一九三〇年から陸続と出版していた。あるいは、それら各書にも丁氏が近代日本の医書から多量に編訳した中西医学書の影響があるかもしれない。
当時のベトナムはフランス式医学教育のみで、伝統医学は民間療法となっていた。そこで明治期に断絶し、さらに『医界之鉄椎』で復興の雄叫びをあげた日本の東洋医学、それに影響され丁福保が唱えた中西医学に陳氏は注目し、東西医学の併用を唱えたのだろう。独立後のベトナムで「東医学」が復興した背景には、陳徳心の教育活動と『医界之鉄椎』などの存在も考えねばならない。