←戻る『漢方の臨床』54巻7号1074-1076頁、2007年7月
目でみる漢方史料館(227) 大英図書館所蔵の敦煌医薬文書(4)『平脈略例』
解説 真柳 誠
前々回は大英図書館所蔵(もと大英博物館所蔵)のスタイン本敦煌文書より、S.5614の『張仲景五蔵論』を紹介した。今回は同じS.5614の後半にある『平脈略例』を紹介しよう。
前々回述べたようにS.5614は冊子本で、現在は表紙を第一頁とし、第二八頁まで現代式の頁数が鉛筆で記入されている。その第二〇頁の七行目までが張仲景『五蔵論』で、図1のように「穢山中薬 五蔵論一巻 平脈略例一巻」と、次の『平脈略例』が連続して記される。当『平脈略例』および『傷寒論』弁脈法・『金匱玉函経』弁脈に対応のS.202を世界で最初に研究したのは三木栄氏で、詳細な釈字・校勘と考察を約半世紀も前の本誌六巻五号(一九五九年)に報告されている。
三木論文によると、「平脈略例一巻」の記録は歴代目録等に見えないが、『張仲景五蔵論』一巻と連続する脈書のため、『宋史』芸文志医書類に著録の「張仲景脈経一巻、又五蔵栄衛論一巻」との関連が考えられる。『傷寒論』の仲景序に「并平脈弁証(平脈弁証を并せ)」といい、同書巻一に「弁脈法第一」と「平脈法第二」がある。『金匱玉函経』巻二の「弁脈第二」も『傷寒論』のそれと類似する。王叔和『脈経』巻五に「張仲景論脈」の引用があって『傷寒論』平脈法の首文と略同で、同書の各巻には「弁脈法」「平脈法」および当『平脈略例』との相似文が多い。これらから、古代の諸説を統合した仲景の脈学が王叔和以前にあっただろうこと。それが連綿と伝承・変化し、北宋の仲景医書校刊まで到ったこと。この少し前まで伝承されていた仲景脈学の一端を示すのが、当『平脈略例』やS.202ではなかろうか、と三木氏は考証する。傾聴に値しよう。
図1 S.5614(20・21頁)『張仲景五蔵論』末尾と『平脈略例』冒頭(大英図書館蔵)
図2 S.5614(28頁)『平脈略例』付録末尾(同前)
ところでS.5614は料紙の両面に墨書された蝴蝶装ゆえ、後世の袋綴じ本のように裏打ち補修ができない。このため大英博物館時代、日本の技術で谷折りの背から料紙の左右を表裏に剥離し、その中間に紙を入れて貼り合わせる中打ちを施している。図1の右側二〇頁は谷折り料紙の表裏に筆写した第四面、左側二一頁は次の料紙の第一面になる。現状は図2でも分かるように、各紙の谷折りの背を挟んだ補紙に糸綴じしてある。
『平脈略例』の本文部分は二六頁後半で終わり、以下は「五蔵脈候陰陽相乗法」と図2の二八頁末尾に四行ある「占五蔵声色源候」と題した付録らしい二篇が続く。なおパリのフランス国立図書館にはPaulPelliot将来の敦煌文書がある。その巻子本P.2115は『張仲景五蔵論』と『平脈略例』だが、『平脈略例』は後半を欠くため、「五蔵脈候…」「占五蔵…」の二篇がない。他方、大英図書館の巻子本S.6245は料紙の下約三分の一に三九行が残存する断片で、内容はS.5614の当該二篇の末行までに対応する。かつS.6245の末尾六行は、一部がS.5614とP.2115の『平脈略例』本文に見える。すると「五蔵脈候…」「占五蔵…」の二篇は別書でなく、『平脈略例』の一部の可能性が高い。
(茨城大学人文学部)