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『漢方の臨床』54巻3号398-400頁、2007年3月

目でみる漢方史料館(223)

『宋板傷寒論』(その5)    解説   真柳  誠


 本史料館の第二〇五 回『宋版(板も同義)傷寒論』(その4)に小曽戸洋氏は小生の報告も引用し、『傷寒論』に偽書・変造書が多いことを紹介している。さらに趙開美版『〔宋 板〕傷寒論』の真偽を決定づける証拠が揃ったので、小曽戸氏を承けて紹介したい。

 『傷寒論』は北宋の一〇六五年に初めて書物として大字本が刊行され、一〇八八年には小字本が翻刻された。ただし両北宋版やそれ以前の写本は現存せず、南 宋で翻刻された形跡もない。のち明の趙開美は一五九九年に序刊の『仲景全書』に、『〔翻刻宋板〕傷寒論』を収載した。趙開美版には小字本の進呈文があり、 底本は小字本系だったと推定される。したがって現伝の正統な『傷寒論』は、趙開美版『仲景全書』所収本しかない。

 『仲景全書』は幕末の『経籍訪古志』が幕府紅葉山文庫蔵本を趙開美版として著録し、いま国立公文書館内閣文庫に伝えられる。一方、現在は台北故宮博物 院・北京中国中医科学院・瀋陽中国医科大学にも趙開美版があると著録される。しかし各本の比較検討はかつて十分にされていなかった。

 各本を実地に調査したところ、内閣文庫本とは明らかに別種の趙開美版二種が知られた。第一種A版は中国中医科学院本、第二種B版は中国医科大学本(先 印)と台北故宮博物院本(後印)である。A版とB版の文字は数箇所が相違するだけで、他は版木や罫線の割れ方まで一致する(図1)。また両版のみ「世譲堂/翻刻宋/板趙氏/家藏印」の木記や「長洲趙應 期獨刻」の刊記、下象鼻に「趙應期刻」「其(期)」などの刻工名や刻字数があり(図 2)、全て白魚尾。趙應期は趙開美の他の刊本にも参加した刻工なので、A・B版は趙開美版に間違いない。

  特徴的相違は第一巻一〇葉ウラ第二行末尾の割注で、A版は「腎謂所/勝脾。脾/…」、B版は「腎為脾/所勝。脾/…」に作る。よく見るとA版の「謂所/勝 脾」部分を、B版は埋め木で「為脾/所勝」に彫り直していた。他の部分でもB版の文意が通る。するとA版は趙開美初版で、その修刻がB版だろう。

 一方、内閣文庫本C版はA・B版と似るが、木記・刊記・刻工名が一切なく、一部は黒魚尾である。また不詳文字を未刻の墨丁にするなど、『仲景全書』全体 でA・B版と百箇所以上の相違があり、完全な別版だった。さらに上述の小字割注を「謂所/勝脾」に彫る等の一致など(図3)から、C版は趙開美以外の誰かがA版を底本に翻刻したものと分かる。内 閣文庫本は承応元年(一六五二)に紅葉山文庫へ入庫したので、C版は明末清初の刊行だろう。

 以前はこうした比較が不可能なため、『経籍訪古志』はC版を趙開美本と誤認し、それが一五〇年近く日本・中国ともに信じられてきた。今後は宋版の旧を伝 え、誤刻が最少の趙開美B版『〔翻刻宋板〕傷寒論』を研究のテキストとすべきだろう。

 本報告は平成一八年度科研費基盤研究(B)による。
(茨城大学人文学部)