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『漢方の臨床』50巻2号194-196頁、2003年2月


目でみる漢方史料館(174)

北京図書館の伊沢蘭軒旧蔵元版『千金方』    解説   真柳  誠


 中国の国家図書館である北京図書館には日本旧蔵や日本人著述の医書が種々の経緯で収蔵されている。それらを機会あるごとに調査・報告してきたが、今回は伊沢蘭軒旧蔵の元版『千金方』を紹介したい。

 森鴎外の医家史伝『伊沢蘭軒』で著名な蘭軒(一七七七〜一八二九)は福山藩医で、名を信恬という。わが国に考証学を確立した狩谷{木+夜}斎(一七七五〜一八三五、字は卿雲)の友人で、医を目黒道琢(一七三九〜一七九八)に学んだ。この蘭軒門からは渋江抽斎・森立之・山田業広・岡西玄亭、また子の榛軒・柏軒など俊英が輩出し、幕末の考証医学研究をさらにレベルアップさせたことで知られる。

 ところで北京図書館の蔵書目録には「重刊孫真人備急千金要方三十巻二十四冊、元刻本、伊沢信恬跋」が著録され、蘭軒旧蔵の元版『千金方』に間違いないだろうと以前から推定されていた。幸い二〇〇〇年四月、北京での共同研究報告会の合間に北京図書館で閲覧し、カラー複写を申請することができた。

 当本の蔵書印記は写真1ほかのように、蘭軒の「伊澤氏/酌源堂/圖書記」「伊澤/信恬」等以外に、「南陵徐乃昌/校勘經籍記」「夢澤/鑑賞」「六合徐氏/孫麒珍藏/書畫印」「孫麒氏/使東所得」等がある。すると南京近郊六合出身の徐承祖(字を孫麒、一八四二〜一九〇九前)が清国第三代駐日公使(一八八四〜八八)時代に入手し、のち安徽省南陵出身の蔵書家・徐乃昌(一八六二〜一九三六)等の手を経て、北京図書館に収蔵されたらしい。徐承祖は『経籍訪古志』を公刊したことで知られ、鴎外の『渋江抽斎』にも記される。

 当本の書末には、文政六年(一八二三)に記された二葉半にわたる蘭軒自筆の跋が付される。写真2はその冒頭、写真3は末尾で、中間の一コマは割愛した。当時は米沢上杉家蔵の宋版も知られておらず、劣悪な明版や和刻本が通行していたので、この元版が善本であることを蘭軒跋はいう。さらに小字で次のような識語を追記している。

 当本は二十年前、友人の狩谷{木+夜}斎が英平吉の書店で見つけて購入してくれた。その虫損など古色は愛すべきだが、繙くたびに破損が進みそうなので補修し、いささか跋を記した。{木+夜}斎も自分も白髪になったが、なお少年時と異なることなく倦まず読書を続け、会うたびに浮世離れぶりを笑っている、と。

 さて、当本と同一の元版は宮内庁書陵部に多紀氏旧蔵本、北京大学図書館に森立之旧蔵本、台湾故宮に杉垣{竹+移}旧蔵零本と小島宝素旧蔵本、静嘉堂文庫に陸心源旧蔵本ほか、中国中医研究院に零本が現存している。森立之らの『経籍訪古志』はさらに岡傘渓と渋江抽斎の所蔵を記すが、現所在は分からない。

 むろん現存最善の『千金方』は米沢上杉家旧蔵の南宋版(いま国立歴史民俗博物館蔵、重要文化財)である。江戸医学館は多紀元堅の主宰で、これに基づき当元版で修訂し、嘉永二年(一八四九)に模刻した。その版木は明治十一年に上海に輸出、その中国印本が中国大陸や台湾で影印され、いま全世界で利用されている。まさしく彼ら考証学者の功績と言わねばならない。

(茨城大学人文学部/北里研究所)