写真1 中国国家図書館所蔵・金版『素問』(01191/157)巻3首
いうまでもなく『素問』は中国医学の最古典。ルーツのかなりが紀元前に遡るのは疑いない。後漢以降から医学の第一経典とされ、五世紀末の全元起や、八世紀
中葉の王冰による整理・注釈本もあった。が、まだ印刷術の確立していない時代である。広く普及するのは北宋政府の林億らが校訂と注を追加し、一〇六八年に
初めて刊行してからだった。以後、復刻本や注釈本は現代まで夥しい。ただし唐以前や奈良・平安の写本はおろか、林億らの北宋版も南宋の再版本も現存しな
い。したがって金版が『素問』の最古版ということになる。
当版は清代までの著名蔵書家の 記録になく、民国時代に突然出現した。それが世界唯一の北京図書館所蔵本(01191/157)である。本来は全二四巻と付録の亡篇一巻からなっていた が、現存本は巻三〜五・一一〜一八・二〇・亡篇の計一三巻である。この全貌の紹介は、かつて中国でもなされていなかった。
写真1は巻三の巻頭で、北京図書館の前身だった「国立北平図書館所蔵」の印記があるのみ。他の部分にも書き入れすらなく、以前の伝承経緯はよく分からない。写真のように過去の保存状態が悪いのは、注目されずに死蔵されていたためらしい。
さらに序跋文や刊記などの部分も現存しないため、本書の版本鑑定は難しい。北京図書館が金版と判断した理由の記録も見当たらなかった。按ずるに中国の古版
は問題ないが、およそ元版や明版の版式・字様ではなく、どちらかといえば北宋版に似る。にもかかわらず、宋朝の避諱による「玄」などの欠筆は本書に一切な
い。これらから金版と判断したのだろう。
写真2 同前巻三末尾
なお『素問』には顧従徳本など、北宋版系をそっくり模刻した二〜三種の明代倣宋版がある。比較すると当金版には誤字・誤刻がどうも多い。たとえば写真1の八行目「肺為…」は、後にある類型文からしても「肺者…」だろう。あるいは倣宋版が書名に「重広補注」の四字を必ず冠するのに、当版では写真1・3のごとく、それが一切ない。
写真2は巻三末尾。本文後の「音弁(音釈とも)」は難読字の発音注で、全巻にある。これは明代倣宋版にもあるが、「音弁」などの標記はなく、量も少なく、内容もかなり違う。
写真4 同前「亡篇」末尾 写真3 同前巻20首
写真4は
付録の亡篇末尾。亡篇とは全元起以前より『素問』から失われていた篇のこと。王冰段階で刺法論と本病論がなかったのに、北宋代にはこの二篇の亡篇ほかが王
冰注として巷間にあったという。しかし内容とも明らかな偽作につき、林億らは『素問』の校刊から排除した。これが付録されるのは元版『素問』一二巻本の
「遺篇」からと『宋以前医籍考』は記すが、すでに当金版でも「亡篇」として付録されていたのである。
以上のように本書は現存唯一の最古版に相違ない。ただし北宋版の旧態はなく、内容も顧従徳本など明代倣宋版に及ぶものではなかった。