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「漢方の臨床」46巻9号1536-1538頁、1999年9月

目でみる漢方史料館(136)

現存最古の『素問』、北京図書館蔵の金版        解説    真柳  誠



 いまは中国国家図書館と改称している北京図書館所蔵の貴重本から、標題の書を今回紹介しよう。

写真1 中国国家図書館所蔵・金版『素問』(01191/157)巻3首

  いうまでもなく『素問』は中国医学の最古典。ルーツのかなりが紀元前に遡るのは疑いない。後漢以降から医学の第一経典とされ、五世紀末の全元起や、八世紀 中葉の王冰による整理・注釈本もあった。が、まだ印刷術の確立していない時代である。広く普及するのは北宋政府の林億らが校訂と注を追加し、一〇六八年に 初めて刊行してからだった。以後、復刻本や注釈本は現代まで夥しい。ただし唐以前や奈良・平安の写本はおろか、林億らの北宋版も南宋の再版本も現存しな い。したがって金版が『素問』の最古版ということになる。

 当版は清代までの著名蔵書家の 記録になく、民国時代に突然出現した。それが世界唯一の北京図書館所蔵本(01191/157)である。本来は全二四巻と付録の亡篇一巻からなっていた が、現存本は巻三〜五・一一〜一八・二〇・亡篇の計一三巻である。この全貌の紹介は、かつて中国でもなされていなかった。

 写真1は巻三の巻頭で、北京図書館の前身だった「国立北平図書館所蔵」の印記があるのみ。他の部分にも書き入れすらなく、以前の伝承経緯はよく分からない。写真のように過去の保存状態が悪いのは、注目されずに死蔵されていたためらしい。

  さらに序跋文や刊記などの部分も現存しないため、本書の版本鑑定は難しい。北京図書館が金版と判断した理由の記録も見当たらなかった。按ずるに中国の古版 は問題ないが、およそ元版や明版の版式・字様ではなく、どちらかといえば北宋版に似る。にもかかわらず、宋朝の避諱による「玄」などの欠筆は本書に一切な い。これらから金版と判断したのだろう。



  


写真2 同前巻三末尾

 なお『素問』には顧従徳本など、北宋版系をそっくり模刻した二〜三種の明代倣宋版がある。比較すると当金版には誤字・誤刻がどうも多い。たとえば写真1の八行目「肺…」は、後にある類型文からしても「肺…」だろう。あるいは倣宋版が書名に「重広補注」の四字を必ず冠するのに、当版では写真1・3のごとく、それが一切ない。

 写真2は巻三末尾。本文後の「音弁(音釈とも)」は難読字の発音注で、全巻にある。これは明代倣宋版にもあるが、「音弁」などの標記はなく、量も少なく、内容もかなり違う。




 
 
 
 

   写真4 同前「亡篇」末尾   写真3 同前巻20首

 写真4は 付録の亡篇末尾。亡篇とは全元起以前より『素問』から失われていた篇のこと。王冰段階で刺法論と本病論がなかったのに、北宋代にはこの二篇の亡篇ほかが王 冰注として巷間にあったという。しかし内容とも明らかな偽作につき、林億らは『素問』の校刊から排除した。これが付録されるのは元版『素問』一二巻本の 「遺篇」からと『宋以前医籍考』は記すが、すでに当金版でも「亡篇」として付録されていたのである。

 以上のように本書は現存唯一の最古版に相違ない。ただし北宋版の旧態はなく、内容も顧従徳本など明代倣宋版に及ぶものではなかった。

(茨城大学人文学部/北里東医研医史学研究部)