←戻る       「漢方の臨床」46巻8号1416-1418頁、1999年8月

目でみる漢方史料館(135)

北京図書館所蔵の日本旧蔵『三因方』影宋写本    解説    真柳  誠


       写真1

 今春、北京中医薬大で医史文献の集中講義を依頼された際、一日半ほど北京図書館に訪書することができた。そのとき申請した写真が届いたので、本号では標題の書を紹介しよう。

 『三因方』は南宋の十二世紀に陳言が著した書で、全称を『三因極一病証方論』という。『金匱要略』の記述を発展させて病因を内因・外因・不内外因で論じ、その影響は現在にまで及ぶ。ただし通行本はみな問題が多く、今後は善本の南宋刊本二種が用いられるべきだろう。そのひとつは中国で保存されてきた半葉十三行・行二十三字の十八巻本で、北京大学図書館に元の麻沙覆刻本を補配した十二冊本(NC7980/7906)がある。

 もうひとつは日本で伝えられた半葉十二行・行二十三字・十八巻の小型七冊本。森立之らの『経籍訪古志』に医官河野氏の蔵本が著録され、文禄の役で小早川隆景に仕えた河野家祖先の通幸が朝鮮で獲たという。この宋版は嘉永六年(一八五三)に江戸医学館に収められたが、明治以降の所在は不詳である。しかし北京図書館にその精緻な影写本(SB13448)があった。

 写真1は当本の巻頭で、ご覧のように刊本とも見まがうべき精写ぶり。右上から順に「森氏(立之)開万冊府之記」「(曲直瀬養安院)正健珍蔵」「北京図書館蔵」「青山求精堂(立之の弟子)蔵書画之記」「(曲直瀬)養安院蔵書」「羅振玉印」「東莞莫伯驥所蔵経籍印」「東莞莫氏云々」の蔵印記がある。
 
 
 


 写真2は書末で、立之自筆の奥書に次のようにいう。

右は宋版『三因方』七冊を曲直瀬正健が善書家に影写させたもので、正健の後人愛が私に割愛してくれた。拝謝に耐えず、これを録す。丙子(一八七六、明治九)十一月六日 枳園森立之。
 この宋版を所蔵していた河野家と、それを影写した正健の曲直瀬養安院家は姻戚関係にあった。各蔵印記によると、当写本を入手した立之は、のち弟子の青山求精堂に譲渡したらしい。一方、羅振玉は明治三十一年(一九〇一)に来日し、東京の古書店で立之と求精堂の旧蔵書を多数購入している。羅氏の蔵書目録にも当本が著録されているので、このときに入手したに相違ない。その後、莫東莞(伯驥)の所蔵を経て北京図書館に入ったことになろうが、莫氏についてはよく分からない。
 


 写真3写真2の裏面にある立之の奥書。
 表紙の「三因方」は聶庵君の手書、捺してある養安院の蔵書印は服部南郭の筆跡、また本書には半夏を半下などと書く例が枚挙のいとまなく、宋版に略字が多いことの一証だという。

 写真4は楊守敬の『留真譜』初編に載る図版で、写真1と同版は疑いない。守敬は明治十三年(一八八〇)に来日し、古典籍多数を購入して帰国した。彼の旧蔵書の大部分は台北の故宮博物院に保存され、河野本によるらしい影写本『三因方』を小島宝素が弘化二年(一八四五)に校訂した書もある。彼らの努力による調査蒐集がなければ、これら善本はまさしく散佚していたのである。
 

(茨城大学人文学部/北里東医研医史学研究部)