←戻る       「漢方の臨床」46巻4号824-826頁、1999年4月

目でみる漢方史料館(131)

北京図書館蔵、多紀元堅ら手沢の古医籍(三)  解説 真柳  誠



 
 
 

  半年ほど前になるが、本連載の125と126で北京図書館所蔵の江戸写本を紹介した。今回は同図書館所蔵の『対経篇并続録』(編号三一〇五)を紹介したい。ちなみに「対経」とは経典と経典の文章をつきあわせることをいう。

 さて『太素』は『素問』『霊枢』の古い文章を保存しているため、双方の対経が内経研究に必須なことは言うまでもない。今でこそ小曽戸洋・篠原孝市両氏作の完璧な対経表二種(『東洋医学善本叢書』所収)があって便利だが、それ以前にも『太素』と『素問』『霊枢』の対経表作成は試みられていた。しかし、いずれも昭和以降のもので、すでに江戸時代そうした対経がなされていたとは、かつて知られていなかった。

 本書は「対経篇」「黄帝内経太素考」「対経篇続録」の三篇からなる。写真1は「対経篇」の冒頭で、後ろから二行目以降のように『太素』の経文を大字で書き、その対応文が『霊枢』(あるいは『素問』)のどこにあるかを小字割注に記す。また小島尚真、楊守敬などの蔵書印記があるので、明治初期に来日した守敬が小島家旧蔵の本書を購入したと分かる。なお守敬の蔵書は約半数が故宮に納められていま台北にあるが、残りの約半数は民国時代の松坡図書館を経て北京図書館に収蔵された。
 
 
 
 

 写真2右側は「黄帝内経太素考」の末尾。その名のとおり『太素』とそれに注した楊上善についての記録を、日中双方の史料から摘録している。またその左下欄外に「寶素堂鈔本」とあるように、小島(宝素)家の罫紙に筆写されている。写真2左側は「対経篇続録」の冒頭。「対経篇」とは逆に、『素問』『霊枢』の各篇について対応文が『太素』のどこにあるかを記す。

 写真3右側は本書跋文の末尾で、その全文にはおよそ以下の内容が記される。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

小島学古(宝素)君が作成した「対経篇」を天保十三年(一八四二)夏に借りて写したので、さらに「続録」を作成した。いま国家が内外を博捜し、『明堂』『太素』や唐宋の古医書が続々と出現している。いずれ『小品方』や『新修本草』も発見されるだろう…云々。天保十三年壬寅六月朔 学晦迂叟寛 識于半松軒中/嘉永二年己酉(一八四九)四月 望於博愛塾中鈔写卒業 近藤顕謹識
 また写真3左側の奥書にはおよそ次のように記されている。
父・宝素先生の「対経篇」自筆原本は借りた人が失った。一方、それを学晦先生が借録して「続録」を加えた一本があったので、近藤顕に両者を写してもらった…云々。己酉(一八四九)五月二日 識于宝素堂南軒 (小島)尚真
 以上より本書の来歴が分かるだろう。なお「続録」を作成した学晦迂叟寛とは、同僚の幕府医官・喜多村直寛と思われる。一方、宝素は天保十三年九〜十一月に京都名家の蔵書調査を行い、『小品方』の一部現存を多紀元堅あての手紙に記していた。しかし本書からすると、それ以前の六月すでに『小品方』の件は江戸で話題になっていたらしい。ともあれ、彼らの精力的な調査研究の様子も本書から充分に窺うことができる。
(茨城大学人文学部/北里東医研医史学研究部)