本書一冊は計三五葉あり、以下の内容からなる。(1)啓迪集題辞:ここには楊守敬「飛青閣蔵書印」の印記があり、本書が彼の旧蔵だったと分かる。(2)啓迪集自序:写真1のように初代曲直瀬道三の「翠竹」、写真2のように「盍静」「道三」の印記があり、書風からも明らかに初代道三の自筆である。
本書はさらに(5)啓迪集題辞、(6)啓迪集自序、(7)狩野氏による道三肖像(いま武田杏雨書屋所蔵)につき道三が天正五年に玄朔へ与えた文、(8)八省・二十一寮・十二司・四職・九職の列記、(9)啓迪集題辞の解説、(10)啓迪集自序の解説、(11)啓迪集題辞、(12)啓迪集自序、(13)永禄五年に道三が久秀に与えた文、がある。うち(5)〜(10)および(1)は書風と(3)の内容より、安芸道受の所筆と推定される。(11)〜(13)は書風と(4)の内容等より、安芸道彜の所筆と推定される。
以上の各内容からすると、本書は日本初の女科専門医とされる安芸守定一族の大膳亮家に伝えられたものだった。そして初代好庵の道受が初代道三に『啓迪集』を学んで(5)〜(10)を筆録、また天正十七年(一五八九)の卒業時に(1)を清書した上で道三に請い、(2)(3)を与えられた。のち道受は織田信長に医で仕え、近江に五百石の地を与えられた。道受の子は大膳亮を号したが病弱で、孫の道峻が二代目好庵を号して京で名を馳せ、厳有院と大猷殿下に仕えた。ひ孫の道彜は三代目好庵を称し、五代目道三の今大路玄淵に『啓迪集』を学んで(11)〜(13)を筆録し、延宝五年(一六七七)の終了時に(1)〜(3)・(5)〜(10)を玄淵に示して(4)を書き与えられた。以上を(1)〜(13)に綴じ直したのが本書である。
本書は難解な『啓迪集』の題辞と自序について初代道三が講義した現存唯一の記録で、きわめて貴重といえる。また、かつて簡単にしか知られていなかった安芸(大膳亮)家の伝、および曲直瀬家の関係も本書で明らかとなった。