←戻る       「漢方の臨床」45巻9号1122-24頁、1998年9月

目でみる漢方史料館(124)

台北故宮博物院所蔵の『啓迪集』古鈔本      解説    真柳  誠




  台北の国立故宮博物院図書館には、明治十三〜十七年に来日し、厖大な量の古典籍を購入した楊守敬の蔵書が一括して収められている。これゆえ日本関係の貴重書も多い。その『国立故宮博物院善本旧籍総目』に、「啓迪集不分巻  日本道三撰  日本天正五年著者手稿本  一冊」と著録される書があり、かつて訪台のおり親見したところ、初代曲直瀬道三の直筆を含む古鈔本だった。矢数道明先生も本書の記述から、今まで不明だった『啓迪集』題辞中の「丁林曰」は「暦」字を上から下に三分した表現だったことを本誌43巻11号で報告されている。このたび国立故宮博物院出版組の許可をいただき、やっとカラー写真を入手できたので紹介しよう。

  本書一冊は計三五葉あり、以下の内容からなる。(1)啓迪集題辞:ここには楊守敬「飛青閣蔵書印」の印記があり、本書が彼の旧蔵だったと分かる。(2)啓迪集自序:写真1のように初代曲直瀬道三の「翠竹」、写真2のように「盍静」「道三」の印記があり、書風からも明らかに初代道三の自筆である。
 
 
 
 
 

(3)天正十七年に曲直瀬道三が安芸道受に与えた文:これも初代道三の自筆で、写真3のように「翠竹」の印記がある。(4)延宝五年に延寿院玄淵が安芸道彜に与えた文:写真4写真5がその全文で、書風と「玄淵」「彰然之印」の印記より、五代目道三・今大路玄淵の自筆と認められる。

  本書はさらに(5)啓迪集題辞、(6)啓迪集自序、(7)狩野氏による道三肖像(いま武田杏雨書屋所蔵)につき道三が天正五年に玄朔へ与えた文、(8)八省・二十一寮・十二司・四職・九職の列記、(9)啓迪集題辞の解説、(10)啓迪集自序の解説、(11)啓迪集題辞、(12)啓迪集自序、(13)永禄五年に道三が久秀に与えた文、がある。うち(5)〜(10)および(1)は書風と(3)の内容より、安芸道受の所筆と推定される。(11)〜(13)は書風と(4)の内容等より、安芸道彜の所筆と推定される。

  以上の各内容からすると、本書は日本初の女科専門医とされる安芸守定一族の大膳亮家に伝えられたものだった。そして初代好庵の道受が初代道三に『啓迪集』を学んで(5)〜(10)を筆録、また天正十七年(一五八九)の卒業時に(1)を清書した上で道三に請い、(2)(3)を与えられた。のち道受は織田信長に医で仕え、近江に五百石の地を与えられた。

  道受の子は大膳亮を号したが病弱で、孫の道峻が二代目好庵を号して京で名を馳せ、厳有院と大猷殿下に仕えた。ひ孫の道彜は三代目好庵を称し、五代目道三の今大路玄淵に『啓迪集』を学んで(11)〜(13)を筆録し、延宝五年(一六七七)の終了時に(1)〜(3)・(5)〜(10)を玄淵に示して(4)を書き与えられた。以上を(1)〜(13)に綴じ直したのが本書である。

  本書は難解な『啓迪集』の題辞と自序について初代道三が講義した現存唯一の記録で、きわめて貴重といえる。また、かつて簡単にしか知られていなかった安芸(大膳亮)家の伝、および曲直瀬家の関係も本書で明らかとなった。

          (茨城大学人文学部/北里東医研医史学研究部)