←戻る       「漢方の臨床」45巻8号986-988頁、1998年8月

目でみる漢方史料館(123)

トルファン出土の『耆婆五蔵論』と『諸医方髄』            解説    真柳  誠



  五年前の本シリーズで、ベルリン国立図書館にあるル・コック将来のトルファン出土医書を紹介した。それらは以前東ドイツにあったが、一九九〇年の東西統一でベルリン国立図書館に移管されたことを知り、一年近く文通してつきとめたものだった。ようやく本年三月、それらをベルリンで実見する念願が叶えられた。しかし六千点におよぶ文書はまだ仏典関係しか目録が作成されておらず、しかも大部分は表裏に記文のある断片ゆえ、両面をガラス板で挟んで保管されている。この厖大な文書の山からの検索には、同図書館プロイセン文化財東方学部門長のHartmut-Ortwin Feistel博士らより献身的なご助力をいただいた。ここにあらためて深謝申し上げたい。

  今回紹介する整理番号ch3725の文書は横13・5 cm、縦20cmの断簡で、その表裏に『耆婆五蔵論』(写真1)の巻末と『諸医方髄』(写真2)の巻頭を、各々同一人が筆写している。ともに現存書はない。当現状からすると、本来は帯状に貼り合わせた料紙の表裏に両書を写した巻子本(巻物)で、その一端であることが分かる。かつて黒田源次氏が T2.,Y49として報告(「支那学」七巻四号、一九三五)した文書に該当するが、報告には図版がなく、釈文にもやや問題があった。そこで以下に全文を釈読し、比定すべき字を(  )に入れておく。

  写真1には「分右搗節(篩)為散一服方寸匕□□□□/如薬法五夢肺労則語声□(哭)渋心労/則腰疼痛傷心即吐血傷腎即尿血/傷肥宍(肉)即白骨疼悪寒盗汁(汗)傷腸/即洩□(痢)傷肺則語□不通傷肝即/眼膜暗  焉(耆)婆五蔵論一巻」と記され、五臓などの労と傷の症状を述べる。
 


 書名の「焉婆五蔵論一巻」は『通志』芸文略や『宋史』芸文志に著録の「耆婆五蔵論一巻」に相違なく、宋代には現存したらしい。またわが国の『医心方』に引用される『耆婆方』との関連も疑える。耆婆は医術に明るい釈迦の弟子、Jivakaのことなので、仏教系の要素がある医書であろう。

 なお唐代では太宗の諱「世民」を避け、世を曳、民を氏などに改め(『史諱挙例』)、顕慶二年(六五七)十二月には民を含む{民+曰}、世を含む葉の字まで改めた(『旧唐書』高宗紀)。すると文中で下痢をいう「洩」は本来「泄」だったかも知れず、耆婆の「耆」が「焉」に訛ったのは、耆と字形が似る{民+曰}から昏への改字が関係しているように思える。これらからすると、本断簡は唐代の筆写で、七世紀中葉以降の可能性が高い。

  写真2には「諸医方髄一巻/夫天□(地)□(豎?)立之時□无異衆生福/重随身光明飢{ニスイ+食}淋{竹+騰}地味自然/粳米衆生受五欲楽君王有道无有/諍事衆生不識生老病□□□□/四足{ヤマイダレ+朮}梵云{伽口+羅}都伽時□□□□」とある。

 書名からすると諸医方の精髄を集めた医書らしく、序文らしい内容は仏教系である。該当書は諸目録にないが、筆写は写真1と同時の唐代であろうから、これを『宋以前医籍考』が宋代の書に分類するのはどうも当たらない。

(茨城大学人文学部/北里東医研医史学研究部)