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真柳誠「目で見る漢方史料館(120) −松岡玄達自筆の浅井周伯講義録(二)」『漢方の臨床』45巻5号570-572頁、1998年5月

松岡玄達自筆の浅井周伯講義録(二) −龍谷大学所蔵の貴重書より−

解説    真柳  誠


  前回に続き松岡玄達の自筆本を紹介しよう。

  写真1は外題に『溯集講義』とある一巻一冊本で、書頭に「松達子直述」、奥書に「貞享三歳次丙寅(一六八六)夏六月十八日/揮毫於東洛蔵月堂/松岡大淵子記」と記し、運筆も彼の自筆である。玄達はこの前年と同年に浅井周伯の受講録を四点書き上げているので、講義者は周伯だろう。『医経溯集』は元末明初の王履が『傷寒論』について論じた書である。

 写真2は外題に『本草摘要講義』とある二巻一冊本で、内題に「本草抜書」、上巻首行に「■■散人元達記」、下巻奥書に「貞享三丙寅九月十九日/松岡氏玄達□□記」と記す。やはり玄達の自筆に相違ない。本書の序部分には「コノ外ニ六十味ガ一巻アルゾ」と記され、この「六十味」は前回紹介した『薬性記』の別名で、周伯の講義を玄達が貞享二年に筆録している。すると本書も周伯の講義録だった。『本草摘要』はもと「本草抜書」といい、薬物の使用頻度で『本草綱目』から甘草〜石膏の順に周伯が抜粋した書である。

 写真3は外題に『格致余論講義』とある一巻一冊本で、扉書に「丹渓朱先生格致論抄」、書末に「格致余論抄」と記す。玄達の号である「怡顔斎」「怡顔斎図書」の印記もあり、彼特有の筆なので、自筆本に間違いない。本書は「丹渓朱先生格致論抄」として書き始め、「格致余論抄」として書き終ったのち製本され、『格致余論講義』の外題が与えられている。同様例は貞享三年に集中していた。ならば本書もその頃の筆写で、『格致余論』を講義した人物は周伯だろう。ちなみに元・朱丹渓の『格致余論』は、江戸前期を中心に中国以上に大流行した。そうした中で玄達も周伯から講義を受けたのである。

 写真4は外題に『病機撮要講義』とある一巻一冊本で、扉書に「内経抜書私鈔」、書頭に「内経抜書  松達子直述」、書末に「内経抜書」と記す。運筆も玄達のものなので、貞享間の自筆本は疑いない。一方、写真2の『本草摘要講義』の序部分では周伯が自編著を列挙し、「病証ヲ抜書タルハ内経抜書ナリ」といっていた。つまり本書は、『内経』の重要な語彙を周伯が摘録した『内経抜書』を基に、周伯が講義した記録で、のち外題の『病機撮要講義』に呼び改められたと分かる。

 写真5は外題に『内経素問講義』とある九巻五冊本で、扉書に「素問抄」と記し、巻一首行に「松達子直述」、各処に「怡顔斎」「松岡氏図書」の印記がある。講義者・筆写者・筆写年の記述はないが、運筆から玄達自筆本と認められる。講義者は浅井家の家学を『内経』研究に決定づけた周伯にほぼ間違いなく、玄達の筆写は貞享三年後半〜四年頃と思われる。

  以上のごとく玄達は周伯から医学全般を学んでいたが、従来の伝はなぜかこれに触れない。これら玄達自筆の周伯受講録のみ、一括して本願寺に納められた経緯もまだ謎である。

(茨城大学人文学部/北里東医研医史学研究部)