現存唯一の元『[家伝]日用本草』八巻本 ―龍谷大学所蔵の貴重本より―
解説 真柳 誠
京都の龍谷大学は本願寺の学舎が淵源で、約二五〇年の歴史を誇る。明治に歴代門主の蔵書「写字台文庫」から約四万点が寄贈されたこともあって、所蔵の古典籍は国内屈指といっていい。敦煌・トルファン文書も世界屈指で、かつて当欄でその医薬文献を紹介したことがある。
しかし、仏典以外はほぼ未整理状態だったため、筆者も参加して自然科学書から調査が開始され、本年七月に『龍谷大学大宮図書館和漢古典籍分類目録 自然科学之部』とその『貴重書解題図録』(真柳担当執筆)が刊行された。これにより約一千点・五千冊におよぶ自然科学系和漢古典籍の全貌が明らかになったが、多くは医薬書である。そこで龍谷大学大宮図書館のご好意により、今回は現存唯一の元『[家伝]日用本草』八巻本(写真1)を紹介しよう。
本書は元の呉瑞が編纂した食物本草で、現存の同類書ではかなり早いほうに属する。龍谷大学の当本は旧写字台文庫本で、元一三二九年の刊行自序、元一三四三年の再印序、明一五二五年の重刊序(写真2)と跋(写真3)、巻八末尾に「歙西□川黄錠黄銑刊」とよめる刊記がある。
これらからすると、元代の新安海寧県で医学の官にあった呉瑞は、飲食物五四〇余品の効能・毒性等を八類八倦に収めた本書を一三二九年に刊行。その版木で一三四三年にも再印されたが、約二〇〇年後には版木の半数ちかくが割れたりしていた。そこで六代目の呉景素は校正・重刊を始めたが果たせず、七代目の呉鎮が遺志を継いで歙西の黄錠・黄銑に刻版させ、一五二五年に重刊したのが当本と分かる。書名に「家伝」を冠するように私家版で、いまから四七〇年以上も前の版本だった。
『経籍訪古志』『医籍考』によると多紀氏の聿修堂(江戸医学館)にもかつて同版があったが、明治以降に所在不詳となっている。また現在、日本・中国大陸・台湾・欧米ともに同版の所蔵記録をみない。しかも本書の元版はすでになく、他には明の銭允治が収載品を一七〇余品に節略した三巻本が、一六二〇年に『食物本草』と合刊されたにすぎない。この三巻本は日本でも一六五一年に和刻されたが、本書の旧姿を保った八巻本は当龍谷大学本が唯一である。
本書は『本草綱目』にもしばしば引用されているが、三巻本には見えない文章が多い。たとえば『本草綱目』は銀杏の本草における初出を『日用本草』とするが(これは誤認で、一一五九年の『紹興本草』が最初)、三巻本には銀杏条すらなくて調査に困ったことがあった。そうした疑問がこの八巻本の出現で氷解したのである。
著者の呉瑞は字を瑞卿といい、代々の医家で元代の新安海寧県(いまの安徽省)で医学の官にあった以外、詳しい伝がなくて分からない。