←戻る               『漢方の臨床』44巻4号434-436頁、1997年4月

目でみる漢方史料館  (107)

宮内庁書陵部所蔵の宋版本草書−『本草衍義』『新編類要図註本草』   解説  真柳  誠


  書物の印刷は中国で唐代に始まったが、組織的な刊行は宋代からである。しかし現存する宋版はそう多くなく、刻字・印刷ともに美しいので世界中で貴重視される。日本には宋版がかなり伝存しており、宮内庁書陵部はその宝庫といっていい。今回は書陵部所蔵の宋版より、本草書二点を紹介しよう。

写真1・2は南宋の慶元元年(一一九五)に江南西路転運司が『大観本草』と合刻した『本草衍義』(四〇三函一一九号)で、全二〇巻・目録一巻の完本である。同版本は他に巻六〜二〇の残欠本が北京図書館にあるにすぎない。この慶元版は第三版で、初版の北宋宣和元年(一一一九)版は現存しない。第二版は江南西路転運司が『大観本草』と合刻した南宋淳煕十二年(一一八五)版で、完本が杏雨書屋、残欠本が北京図書館にある。また崇州福昌県の夏氏が慶元版に基づき『大観本草』と合刻した金貞祐二年(一二一四)版が杏雨書屋、やはり慶元版に基づく元・宗文書院の大徳六年(一三〇二)版が杏雨書屋・台北中央図書館・北京図書館・北京大学図書館などにある。日本では多紀元胤が望月三英所蔵の慶元版を文政六年(一八二三)に模刻して『衛生彙編』に収めている。

  写真1は『本草衍義』の箚付(序文)部分で、これによれば本書は北宋の政和六年(一一一六)に寇宗{大+百+百}が編纂し、同年に尚書省に送られて有用な書と認められ、寇氏は収買薬材所で薬材を検査する官を加えられている。そして兄の子の寇約が校勘して三年後に刊行したのが本書の初版である。

  本書はそれ以前に刊行された『嘉祐本草』と『図経本草』を補足する目的で、五〇三種の薬物について寇氏の見解が述べられている。竜骨については崖崩れで露出した化石骨の全体を発見し、生きた姿が見られないのに骨だけ遺すのは不可思議だ、と客観的に観察する。また『素問』の論に立脚した薬効の解釈が各所にあり、いわゆる金元薬理説の先駆として注目される。さらに巻三には張仲景などの処方による寇氏の治験が六例記され、後これは治験記録の模範として評価が高い。

写真3の『新編類要図註本草』四二巻・序例五巻・目録一巻(五五九函三〇号)は、右に「(建)安余彦国刊于励賢堂」の木記があり、南宋末期の建刊本とされるが、元刊説もある。左に「金沢文庫」の墨印、また各処に「多紀氏臧書印」「江戸医学臧書之記」があるので、鎌倉時代に渡来し、のち多紀氏の江戸医学館に所蔵され、現在に伝えられた。宮内庁には毛利高標の蔵書が幕府の紅葉山文庫に献上された同版もあるが、他所に同版本は現存しない。本書は民間の書店が『大観本草』を節略し、『本草衍義』を増入して営利目的に作製したもので、書名の左に「寇宗{大+百+百}編撰」などと記すのも書店の作為である。『新編証類図註本草』や『類編図経集註衍義本草』という元刊本も日本・中国に現存するが、ともに本書の書名のみ改めたものにすぎない。

(茨城大学人文学部/北里東医研医史学研究部)