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『漢方の臨床』41巻3号334-336頁、1994年3月

目で見る漢方史料館(70)

牧野文庫蔵『植物名実図考』『同長編』の初版    解説  真柳  誠


 清末・呉其濬著の『植物名実図考』三八巻と『同長編』二二巻は、薬草のみならず植物全般を対象とした中国初の本草書として名高い。『図考』には実物に接して描いた、かつて中国本草になかった写実的図もある。幕末〜明治の植物学者・伊藤圭介はこれを高く評価し、植物に和名をあてて復刻。のち伊藤本から中国で再復刻されたので、書物を介した日中交流としてかねて注目していた。しかし不明な点も多い。わずか百五十年前の書なのに、初期版本の伝存がなぜか少なく、初版は一点も存在が知られていなかったからである。その初版があった。

 高知市東郊外に中国仏教の霊場、山西省五台山の名に因むという五台山がある。その頂上近くの開けた谷あいに、高知県立牧野植物園が開設されたのは昭和三十三年のこと。高知が生んだ世界の植物学者、牧野富太郎博士(一八六三〜一九五七)が九六歳の天寿を全うした翌年だった。同年には東京練馬大泉の博士旧邸も、区立牧野記念庭園として一般公開されている。

 牧野博士の名は漢方界でも知らぬ人はいないだろう。それほど多数の薬草の学名末尾に、命名者Makinoの文字がみえる。一方、矢数道明先生は昭和十五年に水戸市で一緒に講演されたことがあるという。大塚恭男先生にうかがうと、故・大塚敬節先生も同郷のよしみで古医書をよくお見せしていたらしい。こうした博士が終生集めた書は約四万二千点という厖大さで、のち高知県に寄贈された。昭和三十八年に牧野植物園内に牧野文庫が開設され、同六十三年に全蔵書目録も完成した。和漢書目録を見ると、もちろん本草書が充実している。同一書の別版ばかりか、刷り元が違う同版本も多い。恐らく和漢の本草書では、質量ともに武田製薬の杏雨書屋に次ぐのではなかろうか。

 さいわい平成五年十月の二日間、国際日本文化研究センターの共同研究会で牧野文庫を訪問できた。その二日目に文庫を離れる寸前、『図考』と『長編』を拝見して驚いた。まぎれもない清版が三点ある。しかも初版かも知れない。のち文庫のご好意で各版本の部分複写をいただき検討すると、二点が確かに道光二十八年(一八四八)序刊の初版で、一点は光緒六年(一八八〇)刊の第二版。また初版段階から『図考』と『長編』が合刻されていたこと。二版は『図考』が補刻で、『長編』が再刻だったこと。三版の明治二十年(一八八七)刊、伊藤圭介校閲活字本はこれまでの推定どおり初版が底本だったこと。四版の民国四年(一九一五)雲南図書館石印本は日本に同文庫本が唯一かつ世界でも計六点のみで、植物漢名につけた和名のルビまで伊藤本そっくりに転写していたこと等が分かった。

 発見は他にも多いが、本書の版本八種のうち初版から四版までみな揃っていたからこそである。まさに牧野文庫の独壇場といえよう。この場を借り、今回の写真も提供いただいた牧野植物園のご厚意に深謝申し上げたい。また同園は高知市内から割合近く、休園は年末年始のみなので、同好の士にもぜひ訪問をお薦め申し上げる。

(北里研究所東医研・医史学研究部)