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真柳誠「目で見る漢方史料館(50)『本草綱目』の初版−金陵本」
『漢方の臨床』39巻4号、1992年4月
『本草綱目』の初版−金陵本
本草といえば『本草綱目』。中国では本書と李時珍について授業などがあるらしく、たいてい中学生以上は知っている。しかしその初版の金陵本となると、プロでも中国でこれを知る人は少ない。伝存の金陵本が中国に稀なことが理由のひとつであろう。
幸い日本には金陵本が比較的多く、しばしば話題にあげられている。というのも一五九六年に刊行された金陵本は時珍の没する直前に本文の版木が彫り上がっており、時珍の原稿に最も忠実。他は金陵本に基づく復刻かさらに復刻を重ねたもので、その度に誤刻等が増加している。世界に知られた『本草綱目』の数少ない金陵本とあらば、いやがおうでも珍重されるのである。それで金陵本の所在がとかく取り上げられ、かつて現存は四組とも七組とも報告されていた。
筆者の管見では、全揃いが七組それぞれ以下の図書館に所蔵されている。国立公文書館内閣文庫(多紀家旧蔵)、国立国会図書館(田沢仲舒旧蔵)、京都府立植物園大森記念文庫(白井光太郎旧蔵)、東北大学附属図書館狩野文庫、米国国会図書館(森立之旧蔵)、中国中医研究院図書館、上海図書館。また残欠本では巻一九〜二八が武田科学振興財団杏雨書屋(小野蘭山・伊沢蘭軒旧蔵)、巻三六〜三八が宮城県図書館伊達文庫(曲直瀬養安院・渋江家旧蔵)
にある。米国国会図書館には金陵本の版木による後刷本も二組ある。したがって残欠本・後刷本をあわせ計十一組が現存するが、かつて伊藤篤太郎氏・長沢規矩也氏やベルリン王立図書館に各々所蔵されていた金陵本の現所在が明らかになれば、もう少し増えるであろう。
さて写真1は東北大学附属図書館狩野文庫、写真2〜5は内閣文庫の金陵本である。その序文部分(写真1、3)は、左上の刷りがいずれも悪く、墨で補筆してある。国立国会図書館本も同様に朱で補筆するので、それらは同時期の刷りで、おそらく輸入も同時期ではなかろうか。
『本草綱目』の日本への渡来はこれまで一六〇七年が定説とされてきたが、一六〇四年まで確実に遡れることはすでに報告した(『日本医史学雑誌』三七巻二
号、一九九一)。しかしそれらが金陵本だったかは定かでない。なぜなら『本草綱目』の第二版は一六〇二年の刊行で、これが輸入された可能性もあるからである。
一方、写真4の序末欄外には「東謹按。大明万暦庚寅。迄我朝慶長十九載。二十四易艸木也」の書き入れがあり、白井光太郎氏はこれを東井(曲直瀬玄朔)の所筆と判断された。たしかに玄朔の筆に似るが、玄朔にしては不可思議な内容なので、まだ検討の余地はあると思われる。
写真5は輯書姓氏末尾および付図である。この輯書姓氏の末行に「金陵 後学 胡承龍梓行」と出版者が記されることで、金陵本と呼ばれる、金陵とは今の南京で、当時の一大出版地であった。しかも江戸時代、長崎に来た中国商船のかなりは江蘇省出帆の南京船で、海路で長崎に運搬するほうが陸路の北京より早く、利潤もあったという。日本に金陵本が多く現存するのは、このような背景も考えるべきであろう。