料理に彩どりや風味を添え、食欲を進める三つ葉や山椒をはじめとする薬味は、どうしても日本料理に欠かせない。しかし薬っぽいとも感じないワサビや紫蘇まで「薬味」というのは、なにか訳ありのようだ。それとも日本人の舌がとりわけ薬食同源で、中国ではふつう薬材専用のワサビや紫蘇まで食材とするのだろうか。ともあれルーツはどこだ、理由はなぜだとひとしきり調べてみた。
さて、伝統的とされる日本料理でなければ、「薬味」というものを香辛料とかスパイスやハーブなどと呼んでもそう問題はない。いまの中国ではこれを「香料(シアンリャオ)」、さらに調味料をまぜた麻婆豆腐の素などを「調料(ティャオリャオ)」といい、日本同様にスーパーなどで売っている。ところが、それらを「薬味」という用例は今も昔も中国には見当たらない。
当然ながら薬味はもともと医学用語だった。早くは中国最古の薬書で、1〜2世紀ころの『神農本草経』から薬の甘・苦・酸・辛・鹹(塩味)の味を五味と呼び、品質や成分の象徴として規定してきた。現在の栄養素に相当する概念といってもいいだろう。『史記』に次ぐ1世紀の史書『漢書』の芸文志でも、「処方は…薬味の滋養を借り…」といっている。
薬味はこうした重要な薬の基準だったので、しだいにクスリそのものを指す意味も派生してきた。たとえば処方の調製指示を、六朝時代6世紀まではたとえば「右六物を水二升で煮て云々」というのが普通だったが、唐代7世紀からは「右六味を水二升で煮て云々」というのが一般的になる。しかし香辛料の意味が派生することは以後も中国ではなかった。
一方、宋代になって医療が庶民の日常生活にまで普及すると、家庭にあるものは処方箋に書いて薬屋で買わせる必要はない。その代表が煎じ薬のほとんどに配剤される生姜と棗(ナツメ)で、これらについては処方箋を書いた後ろに、たとえば「生姜六片と棗二枚(箇)を煎じるとき加えなさい」のように付記された。だいたい12世紀頃からの傾向である。
この宋医学が日本に伝わると、まず生姜が薬味と呼ばれるようになる。日本の台所にふつうあるのは生姜だけなので、煎じるときに生姜を、つまり患者の家にある薬味を自分で加えるよう医者が処方箋や口頭で「加薬味」と指示したからだった。この記録が残っているのは室町時代からである。
それで生姜の別称を「加薬味」、略して「薬味」や「加薬」と呼ぶようになった。この「加薬」が、いまの「かやく」ご飯の語源であることはおもしろい。とはいっても、薬味や加薬の別称はそう一般的ではなかっただろう。医者にかかったり、薬を買うことができるのはまだ一部の上流階級に限られていたからである。
ちなみにアメリカ大陸原産でコロンブス以降の唐辛子は、タバコ・トマト・ジャガイモや梅毒ともども、当時まだ日本に渡来していない。それらの伝来はポルトガル人の来日前後のことである。したがって当時はまだ生姜が辛いものの代表だった。ついには辛いものの別称が薬味や加薬と理解され、辛みのある台所の食品、たとえばネギや山椒などまでそう呼ばれるようになったという。
話はまだ続く。この薬味という言葉が広く使われるようになったのは江戸中期かららしいが、それにはひとつの要因があった。蕎麦である。それまで粉末を湯で練り、団子のようにした「ソバガキ」として食べられていた蕎麦が、いまのような形の「ソバ切り」、つまり麺(中国語本来の意味は小麦粉をいう)として流行し、全国に普及したからである。
その結果、「ソバ切り」におろし生姜、おろし大根、おろしワサビ、ねり芥子、きざみネギ、唐辛子、山椒、胡椒など辛いものが添えられるようになり、同時にそれらを薬味と呼ぶことも広まった。もちろんクスリを食べるんだという洒落っ気もあっただろう。それゆえ役に立つ味の意味で「役味」と書き換えられることもあった。さらに辛みばかりでなく、香りや色彩のいい紫蘇・柚子・茗荷・葉山椒・三つ葉・海苔など、あれもこれもと香辛料全般を呼ぶようになる。また別な料理にも薬味の表現が使われるようになった。
以上がひとしきり調べた結果である。
うーむ、さてさて。中国や日本の伝統医学では、天然物のほぼすべてになにがしかの薬効や毒性を記述してはきた。しかし、どうも話が違う。中国語の日本語化というべきか。漢方と料理はずいぶん縁が深いというべきか。医食同源・薬食同源というべきか。ともあれ表題の質問は素朴だったが、意外に経緯はややこしかった。
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