中国医学のカテゴリゼーション

 
 中国医学の基本概念に古代から陰陽説と五行説が使用されているのは入門書にみな書いてあるし、これを知らなければモグリといわれてもしようがない。一方、同様の概念がもうひとつ古代から中国医学に利用されているが、これへの言及は日中ともほとんどない。また、かなりの玄人でもほとんど意識していないように見受けられる。そこで一言申し上げたい。

 陰陽説の二分割や五行説の五分割でなく、三分割して議論する例が中国医学に少なからず見られる。

 たとえば病証や経脈の「三陰三陽」、人体の「上焦・中焦・下焦」「表・裏・半表半裏」、脈診の「寸・関・尺」「浮・中・沈」、病因の「内因・外因・不内外因」、薬物の「上薬・中薬・下薬」、薬性の「寒・熱・平」などがある。あるいは生体内を流動する生命物質を三分した「気・血・津液(水)」も、この類に入れていいかも知れない。近年では、虚と実の中間を設定した「虚実間」という新概念も日本の一部で使用されている。そういえば「上医・中医・下医」なんて医者のランクも古くからあった。
 
 事物をこのように三分割するのは易の古典『易経』が出典で、それを「天・地・人」の三才(材)思想という。孔子が作ったという『易経』の説卦伝に、「天の道を立つ、曰く陰と陽と。地の道を立つ、曰く柔と剛と。人の道を立つ、曰く仁と義と。」と記されている。人の道としての仁義はすこぶる人口に膾炙しているが、興味深いのは世界をまず天と地に分け、次にその中間に人を設定し、最後に三者をさらに二分していることだろう。つまり陰陽説から出発して、2→3→6と細分する過程がここに見られる。
 
 気のきいた中国医学入門書なら、1世紀頃の『素問』熱論篇が傷寒の進行を巨陽(太陽)・陽明・少陽と太陰・少陰・厥陰に六分割し、それを3世紀初の『傷寒論』が転用した、などと書いてある。しかし、この三陰三陽で六分割する背景に、易の三才思想があることはなぜか注目されない。心・肝・脾・肺・腎と小腸・胆・胃・大腸・膀胱という実体のある五臓五腑に、なにやら訳の分からない心包や三焦という臓腑を加え、あえて六臓六腑に数合わせしているのも三才思想によるのである。
 
 むろん『素問』や2世紀頃の『霊枢』などには、直接「天・地・人」の三才から説き起こす論説も少なくない。人は天地間に生を受け、常にその影響下にあるという『易経』の宇宙観は、生命現象を解釈する自然哲学として古くから中国医学にも導入されていたのである。ちなみに中国古代思想において、陰陽に三才を合わせた三陰三陽は医学独自の概念で、なぜか他の分野には見られない。  

 一方、『易経』では陰陽の2を三才の意味から三乗して八卦とする。ただし、これでは森羅万象の説明に不足なので、もう一度8を二乗して64まで卦を増加させている。ただし古典の医学理論で2の倍数に現象などを整理するのは多くて「八綱」などの8どまりで、それ以上はあまりない。

 かわりに見られるのは五行説を除けば上述の3・6など3の倍数で、それも主なものは多くて経脈や臓腑などの12が限界。もちろん医学理論にこだわらなければ、『素問』と『霊枢』は本来、9巻81篇に整理されていたし、2世紀の『難経』も81篇だった。
 
 いずれの倍数にせよ、医学ではあまり細分化すると現実から乖離した観念論に陥ってしまう。たとえば五行説を二重に用い、人のタイプを25種に分類した『霊枢』の陰陽二十五人篇は、その典型といっていいだろう。しかし、こうした極端な機械的細分はきわめて少ない。古代の中国医学が『易経』のように2の倍数のみにこだわらず、学派的背景もあろうが2・3・5の倍数やそれらを加えた数を適宜利用しているからである。
 
 ともあれ古代から続いてきた伝統医学なので、陰陽五行説や臓腑説を観念論にすぎない、などとムキになって無視しては身もふたもない。時には、こうした思想背景から中国医学を冷静にながめ、また遊んでみるのも必要だろう。

 さて、あなたは1から10までの数字がついた日中伝統医学の用語を、各々どれだけ思い付くだろうか。

(水戸の舞柳)

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