かつて北京に留学していたとき、歴史博物館で北京原人の像を前にして突然この話を想い出した。彼らもそんな味を知っていたのだろうと勝手な想像をめぐらせ、親近感すらおぼえたものである。館内をやや進むと紀元前二千年ころの竜山文化遺跡の陳列があり、「酒器」と説明のついたワイングラス風の黒い陶器が目に入った。 しかし、その整った姿は、どうみても猿酒より紹興酒などを盛るのがふさわしい。今でもそう思う。
しばらくして街の土産屋で、雑な造りだが殷代青銅酒器の複製を格安で手に入れた。「爵」と呼ばれるこの酒器には、とがった3脚とコーヒー茶碗のような把手があり、上辺の一方が酒を注ぎやすいようにすぼめてある。その部分にはちょうどタバコが一本置けるので、ついには灰皿になってしまった。が、こんなスタイルなのは酒を満たし、炭火上に置いて暖めるためという。お燗にもずいぶんと長い歴史があるものだ。むろん当時の発酵技術ならアルコール度もかなり低く、酔いが早くまわるよう燗酒で飲んだのだろう。
同じ殷代では、殷墟から「鬯其酒」という文をきざんた甲骨が出土している。鬯とは香草を入れて発酵させた酒。当時はスープにもシナモンとショウガで香りをつけたというので、皇族たちはそんな香草酒を熱かんで愛飲していたのに違いない。こう推測して試みたことがあるが、結果はご想像におまかせする。
ところでかつての現物となると、いささか時代は下る。戦国時代のものだが、1968年に河北省平山県の中山王墓から密封された壷が発見され、中にアルコール0.05%の緑色の液体が残存していた。まさしく二千数百年も寝かされた世界最古の酒である。それはどんな味だろう。いらぬ邪心がわくのは私一人だけでもあるまい。
これより少しあと、紀元前2世紀の出土物からは、当時の酒を用いた医療が分かる。それは1973年に湖南省長沙市馬王堆の墓から未腐乱婦人屍体が発掘され、一時期、20世紀最大の発見とマスコミを賑わせたニュースで、おそらく40代以上なら記憶のどこかにあるだろう。副葬品には各種香薬のほか、絹布や短冊状の竹に書かれた15種もの医書があった。そのひとつに『五十二病方』と命名された医方書があり、ながめてみると酒の字が随所にみえる。
たとえば「冶斉□。□淳酒漬而餅之(□は判読不能)」という記述は、薬草の粉末を美酒でだんご状にする加工法らしい。「取三指最(撮)一。入温酒一杯中而飲之」とあるのは、三本の指でひとつまみした粉薬を一杯の燗酒に入れて服用すること。ほかにも犬に噛まれた傷を酒で洗浄したり、悪寒に酒を飲ませて暖めたりと、なかなかバラエティーに富んでいる。かくも多方面に応用したのは、酒の効果がふつうの薬草より明瞭で、しかも速効性だからだろう。
ちなみにこの『五十二病方』以外にも、馬王堆出土医書にはいささか難解なセックス養生書などがあるが、どうも当方面の紹介は荷が重い。
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